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純粋な差別と無垢な病棟

 それから十日ほど、この病院に運ばれてから約一か月経った頃、ルイはつかまり歩きができるほど回復した。


 その間、ルイが置かれた病室に人が増えることもなかった。

 なので、始めは入り口側に寝かせられていたのだが、窓際に移らせてもらった。

 雨の日となると、部屋の隅はまるで夕闇のそれで、嫌でも気持ちが沈むからだ。


 陽の光を浴びたところで気持ちは晴れないが、鬱々(うつうつ)としているよりはいい。


 あのヤブ医者から少しくらいなら歩いてもいいと言われて、いまだに力をかけられない腹と左肩をかばいながら手すりにつかまり、ゆっくりと脚を前へ前へと動かした。


 今まで入院も、病院の世話になることも最低限だったため、気が付かなかったのだが、廊下の壁には階段にある手すりのような、木製の出っ張りが取り付けられており、患者が一人でも歩けるようにとの配慮がされていた。

 本当は脚や腰を痛めている者のために設置されたものなのだろう。ベッドで眠りっぱなしで筋力も体力も失い、手すりにつかまらなければ前に進めないという事実は、ルイを内側から苦しめた。


 別に天賦(てんぷ)の才能があったわけではない。


 それでも、十二しか用意されていない階段騎士の席。その第八段。

 下から数えたほうが早い位置でも、ルイにとっては(ほこ)るべき立ち位置だった。


 聖階段騎士団。


 それは、聖職者でありながら武器を手にする教会管理下にある戦力。

 常備、十二段すべてが埋まっているわけではない。

 最高位である第一段、三段、十一段は不在だった。

 そして、そこからさらに八段が――


 歩きながらルイは考えた。


 あの場に戻りたいのだろうか?

 国民を魔女や異端者の脅威(きょうい)から守るための騎士団。

 だが、実際のところはセクトリアにおける教会の最高位に位置する枢機(すうき)(きょう)のための守り刀でしかない。


 実際に、魔女討伐(とうばつ)が行われたのは枢機卿が住まう聖都がその危機にさらされたときだけ。

 それも、本当に魔女だったのかわからない。

 ルイは後衛だったので、魔女に直接手を下したわけではない。

 人々がてんでバラバラに逃げ惑う中で、誰が魔女で、何が起きているのか把握は困難だった。

 だから、冷静になって考えてみれば、その場を収めるために魔女らしき女性を殺しただけ、なのかもしれない。


 それでも、階段騎士が罰せられることはない。


 階段騎士は枢機卿の振う剣。

 剣を握っているのは枢機卿で、騎士は剣でしかない。戦うこと以外の意志は必要ない。

 そして、枢機卿は決して間違えない。


 選択肢も与えられない武器に再びなろうというのか?


 いや、自分は守るべき枢機卿に対してその切っ先を向けてしまった。だから、戻りたくても戻れない。

 だけど何かはしたい。ずっとこのクレモネスにいるわけにはいかない。

 もしかしたら国家反逆罪で、セクトリアではお(たず)ね者になっているかもしれないが、一度は母国に戻りたい。


 意識を手放してしまった後のことが気になった。

 その時は無我夢中(むがむちゅう)でも、今になれば冷静に物事を考えられる。

 家も、いくら貴族とはいえ、なにかしらの(とが)めを受けている可能性がある。その原因が己であると自覚していても、すでに勘当されていたとしても、謝りたかった。

 ここまで育ててくれた父母は元より、第一に兄に対して。


 やがて、閑散(かんさん)とした談話室にたどり着く。

 当然のごとく、談話している者はいない。

 談話室には丸テーブルが三台、それと適当に椅子が置かれている。

 本棚もあって、二回目に訪れた時に背表紙をざっと斜め読みしたが、クレモネス語がほとんど。絵本などは、セクトリア、クレモネス、イースクリートの三国で使われる共通言語のものがいくつかあったが、どういうわけだろう。英雄譚が多く、陰鬱(いんうつ)な気分になって、手に取るのを止めた。


 目の前の窓が開いている。さすが北国、(こよみ)では初夏だというのに長袖でも肌寒い。

 窓からは、外で遊ぶ子供たちの声が聞こえる。

 休憩にと、ルイは窓辺の椅子に腰を下ろして、外の様子を見る。


 広い草原。

 周りの建物は遠く、この場が僻地(へきち)であることは容易(ようい)に知れた。

 クレモネスの西に位置するゼクストパオム、国土の中央に位置する首都エアストパオムから一番離れた、クレモネスの外周を囲うズィブトヴァルトに近く、民家も少ないため、店はない。娯楽(ごらく)施設なんてあるはずがない。


 ただ、この病院があるだけ。


 人が寄りつかないのは、立地も関係しているのではないかと、窓から子供たちと一緒になってはしゃぐヤブ医者を見下ろす。


 病院の一階に診察室や手術室、調薬室が置かれ、二階が入院患者用のフロアになっている。

 病院の入院患者のほとんどは子供か老人。後者はベッドに横になったままで、ほぼ引きこもり状態だ。

 いっぽうの子供は――


 ルイの視線の先、歳や性別関係なく楽しそうに鬼ごっこや、ままごと、ボール遊びなど、自由に動き回っている。


 これだけ言えば健康児だが、そうではない。

 身体の一部欠損や、脚に矯正(きょうせい)器具、頭を丸刈りにした子供など、楽しそうに遊び回っているが、一般人からすれば身体的障害を持った子供ばかりだ。


 クレモネスは、錬金術の研究の過程で、国が汚染された。


 だが、三年前に突如(とつじょ)として公表された通称「IrLS(イリス)」という(じょ)(せん)の雨を降らせる装置によって、国の北側の浄化が進んでいるという。

 南側で二号機の製造が進んでいるらしいが、一号機ほどの除染力は期待できないという。


 ここにいる子供たちは、ヤブ医者に聞かなくてもわかる。

 汚染された身体から生まれてきた奇形児。そして捨てられた子供なのだろう。

 中には貧困のため捨てられた孤児もいるだろう。

 だが、子供たちは分け(へだ)てなく一緒に暮らしている。


 そこに差別はない。


 ヤブ医者が説明しなくても、年長者が気を使い、みんなで出来る遊びを考える。医者はそれに付き合っているだけだ。


 ヤブ医者は子供たちから「猫先生」と呼ばれていた。

 ルイにはなぜ「猫」なのかわからなかった。なので、本人に直接質問すると、自身の頭を指差して苦笑を浮かべた。

 ――部分的に染めてると勘違いする人もいるけど、実はこれも奇形の一種だよ。本当なら茶色い髪じゃなきゃいけないんだ。だけど、白いところが多くてさ。これが原因でボクの母親は家を出たらしいね。ボクも最初は一色に染めようか色を抜こうかって思ったけど、猫みたいで可愛いって言われてさ。それからどうでもよくなっちゃったんだよね。


 本当、猫みたいな毛並み。

 そして動きもすばしっこい。


 ルイの脳内では、ヤブ医者の動きに対してどう立ち向かうか、勝手に想像が(ふく)らんでいた。

 そのことに気づき、思わずルイは首を振る。


 ここでは、この病院ではみんな平等だ。

 みんな助け合い、補い合い生きている。


 人間とは本来そうあるべきなのに、本来子供にそう教えるべき大人たちが平気で誰かを差別し、石を投げ、陰口(かげぐち)を叩き、無辜(むこ)の民を傷つける。

 ならば、多数派と同じ人間だと、己を(いつわ)ればどうだろう?


 黒でも白でもない。

 みんなどっちつかずの灰色だったら、セクトリアは平和になるのか?


 ルイは立ち上がり、子供たちの笑い声に背を向ける。

 ――みんな、ずっと子供のままだったら良かったんだ。

 ゆっくり、ゆっくり、自分の部屋に戻る。


 本棚に並んだ英雄譚。

 それに背を向けて歩き出す。


 幻想に背を向けることは大人になることかもしれない。

 だがルイの足は過去へと向かっている。

 魔女は悪い存在。みんなを傷つける悪者。

 神学校を卒業し、上の神学院に進んだ時も、魔女という存在は悪だと信じて疑わなかった。

 現に、魔女は多くの人を殺した。


 鋏の魔女は縦に並べた五人の人間の首を一瞬で切り落とした。

 絵の魔女は様々な怪物を、空想具現化して王立軍を部隊ごと滅ぼした。

 杭の魔女は村人をことごとく串刺しにした。

 歌の魔女はその歌声で持って民の心を惑わし、殺し合いをさせた。

 鏡の魔女は虚像を生み出し、惑わせ、狂わせて殺した。


 数人単位ではなく、数十、数百単位で。


 「国民のために魔女を倒す」と小さい頃から言っていたと思う。

 兄から読み聞かされた英雄譚にあこがれていたんだと思う。

 成人男性の平均身長よりも低くて小さな身体でも、男らしいところがあるんだと見せたかった。


 ――誰に対して?


 すべては夢だ。

 幼い頃の空想、妄想、想像。

 ルイは今でも思っている。戦いたいと。

 死ぬまで戦いたい。

 こんなふうに無様に生き残るのではなく、大切なものに命をかけて、そして死にたい。


 死にたい。


 その戦いが無駄じゃなかったと、誰かのために戦って死にたい。

 たった一人でもいいから救いたい。


 命をかけて。


 この命にふさわしいと思った。

 悪い魔女だけではないのだと、気づくのが遅すぎた。

 たった一人で、守れるはずもなかった。

 部屋に戻るため、一歩踏み出すたびに、今ある後悔と幼い頃の強い想いが(よみがえ)ってくる。

 ――奇蹟は起きる。

 ――奇蹟なんてない。


「聖騎士が魔女を怖がるもんか!」


 はっとして、ルイは振り返る。

 突然身体をひねったので腹が痛んだが、どうでもよかった。

 振り返った先に、誰もいなかった。

 子供たちの歓声が、遠くに聞こえる。

 その言葉を、ルイは覚えていた。今まで忘れていたが、思い出したのだ。


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