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緋色と散る美しき思い出たち

 ギルベルトの言葉に、メアリは目を閉じて沈黙を続けるばかり。


 運命殺し。


 ルイはそんなもの存在するはずがないと言ってやりたかった。

 だが、彼はその一端を知っている。

 騎士訓練所で一度だけ戦った、イザベル・ハウラ・ド・ロワマルティア。

 彼女は運命の点が見えると言った。その点を穿(うが)つことで運命を少しだけ変える。

 それでも運命が点でしか見えない時点で、完全な聖者には(おと)ると言っていた。

 もし、運命の隅々までみることができて、それに触れられるとしたら、それは――

 ルイは歯を食いしばる。


「だったら、なんだと言うんだ?」


 その言葉に、ギルベルトは眉をひそめる。


「運命が見える? 触れることができる? もしメアリがその運命とやらに触れることができたとして、運命が変わったとして俺たちはその変化を知ることができるのか?」

「そうだな、運命が変わったと知ることができることができるのは教皇くらいだろうな。だからって運命を変えていいはずが――」

「メアリは運命を変えたりなんてしない!」


 もし、自分の身に降りかかる不幸を回避しようと運命を殺し続けて来たなら、なぜメアリは逃げ回らなければならない? なぜ兄に殺されそうになっている? 身に起きる不幸を簡単に受け止めている。

 自分の運命を悲観しているわけでも、どうしようもないことだと諦めているわけでもない。

 運命殺しなんて力がなくても、それが何かはわからない。だけど、メアリは何かを信じ続けているのではないか?

 自分が運命を変えずとも、世界は変わると、信じ続けているんじゃないのか?


「ギルベルト、お前がメアリを殺すというなら……俺がお前を殺す」

「あいかわらずの分からず屋だな、お前では俺は殺せない!」


 ギルベルトの姿が一瞬視界から消える。

 続いて、押し寄せる殺気と威圧感。

 咄嗟(とっさ)に剣を後ろに()ぐが、それは音を立てて簡単に(くだ)け散る。


「いいか、」


 ギルベルトが顔を()せたまま、低く()える。


「魔女の力って言うのは、こういうことだ」


 ルイは予備の剣とソードブレイカーを、ソードホルダーから取り出そうとするが、ギルベルトのそれの方が速かった。

 砕け散って落ちるだけのはずの剣の刃が、宙で動きを止める。

 そして、ルイに向かって走る。

 予期せぬ出来事に、ルイはその攻撃をまともに喰らった。

 深く切れた皮膚からあふれ出す血が、白を基調とした騎士服を赤く染め上げていく。

 今の攻撃はまるで――


「どうだ? 昔からお前が憧れていた魔女との戦いだ。もっと楽しんだらどうだ?」


 ルイは、深く斬りこまれた右脇の傷を押さえながら復唱する。


「魔女、との?」


 なぜギルベルトは突然、ルイたちの目の前に現れたのか。

 初撃で宙に持ち上げられ、地面に叩きつけられたルイの身体。

 そして、今の攻撃。

 もうなんでもありだ。

 驚きはしない。

 ギルベルトが魔女であっても。


「そうか、お前も魔女だったのか」


 ギルベルト・アベル・ディートタルジェント。


 男でありながら、魔女の能力を持つ、特異中の特異。


「俺は、決めたんだ」


 ルイは浅く息を吸いながら剣を構える。


「魔女と人が共存できる国にするって」


 ハウエルがそうしようとしている。メアリが望んでいる。


「だけど、そのためには、」


 子供の頃はあんなに幸せだったのに、たった十年、人生で考えれば一時だ。その間に周りはこんなにも変わってしまったんだなと、ルイはため息をつく。


「……そのためには、悪い魔女を裁かなければならない!」


 一歩二歩と進み出て、三歩目で大きく踏み込み、ギルベルトに向かって思いっきり剣を突きだすが簡単にかわされる。

 ギルベルトは横にかわして、突きだされた腕を切り落とそうと剣を振り上げる。

 ――が、その剣をルイは左手に持ったソードブレイカーで受け止め、絡め、ギルベルトの手から剣が離れる。

 同時にもう一度、突き攻撃を行うが、ギルベルトは後方に飛んで避ける。

 宙に舞った剣、それはギルベルトの手には戻らず、ルイ目がけて一直線に飛来(ひらい)する。

 ルイは避けようとする。

 しかし、突然身体が重くなり、身動きが取れなくなる。


 ――ギルベルトの能力。


 こんなところで負けてたまるものかと、文字通り手も足も出ない状態で抗おうとする。

 最後まであきらめない。

 剣の一本や二本、身体で受け止めてやる。

 そう思っていた。

 ルイの身体は献身で包まれる。

 懐かしい匂いが鼻を撫でる。


「もう、いいの」


 メアリの顔が目の前にあった。


「ルイ、今まで……ありがと」


 言い終わるのを見計らったかのように、その首が身体から切り離される。


 そこから現れたのは、予備の剣を振い終わった後のギルベルト。

 ルイの身体の拘束は解ける。

 剣に貫かれたメアリの身体がルイにもたれかかる。

 むせ返るような血の臭いにも動じることができない。


 ――嘘だ。


 メアリの身体は、糸の切れた操り人形のように、簡単にその場に広がった血の海に倒れる。


 ――嘘だ、嘘だ、嘘だ!


「――っ! ギルベルトぉおお!!」


 ルイは血だまりを飛び越え、ギルベルトに肉薄する。

 低姿勢から一気に上へと剣先を走らせる。

 ギルベルトの太ももの付け根から脇腹まで、一気に傷が入るが浅い。

 そこから姿勢を立て直し、続けざまに袈裟切りを繰り出すがギルベルトも、傷など気にも止めず、ルイの背後に回り込む。

 振り向きざまに横から剣を叩き込もうとするが、ギルベルトは剣でそれを受け止める。

 たくさん血を失ったルイの手から、剣が零れ落ちる。

 無防備になった彼の身体に、ギルベルトは最後の一撃を叩き込む。


「これで、終わりだ」


 ルイが覚えているのはそこまでだった。

 膝から崩れ落ちる身体。

 ルイは、朦朧とする意識の中、離れたところに横たわるメアリに手を伸ばす。

 首と胴体が切り離され、もうどうにもならないとわかっていても。

 彼女のそばにいたいと、手を伸ばし続けた。

 だが、その手は虚しく宙をつかむだけ。





 ギルベルトは、ルイに負わされた傷を抱え、地面に膝を突く。

 汗か、それとも冷や汗か。

 額から沸き起こる汗が金色の髪を濡らしていく。

 ギルベルトは肩で息をしながら、自身に言い聞かせる。

 これでよかったんだと。

 これで、彼女は守られる。世界は守られるのだと。


 ――だが、それをアイツが許すわけがない。


 南方からそれは来た。

 飛んでそれを避けようとするが、身体が言うことをきかない。

 重力をいじって飛来物の速度を殺そうとするが、それが通じないことに、ギルベルトは目を見開く、と同時に、銀の細い槍の一本がギルベルトの右肩の肉をえぐり取って地面に突き刺さる。

 残りの七本は、ギルベルトを取り囲むように地面に突き刺さる。


「……っ、お前らしいな。ひと思いに殺してくれた方が俺としては嬉しいんだが」


 少し離れた位置に降り立った彼に対し、ギルベルトは弱々しい笑顔を向ける。


「なあ、ヴィンセント」


 ギルベルトの視線の先に、全部で十本ある銀の槍の残り二本を、片手で一本ずつ手にしたヴィンセントが立っている。

 彼はギルベルトの言葉には答えず、痛ましい妹の最後に目を向ける。


「……ごめん」


 その言葉は、ギルベルトに向けられていた。


「ギルベルトにばかり、つらい思いをさせて」

「つらい? 何のことだ?」


 ヴィンセントの言葉を当の本人は鼻で笑い飛ばす。

 ヴィンセントはいたって冷静にこたえる。


「魔女の逃亡は重罪。楽には殺してもらえない。苦痛を与え続け、気を狂わせたうえで、見世物にして殺す。それが今の審問室のやり方だ」


 異端審問室こそ、異端者の巣窟(そうくつ)だった。

 魔女を産むようになってからも、ディートタルジェント一族は、その能力を使って魔女を(ほふ)ってきた。

 だが、その能力を恐れ、飼い主にまで(きば)を向けるのではないかと、教会から追放し、新たに魔女狩り専門の部隊を配備した。それが異端審問室の前身。

 そして、罪なき者は罰しないという、他の銀の一族との決別。

 教会から抜けた銀の一族はその後、王の元で剣を振うようになる。それが、王の指先の始まりだ。

 異端審問官につかまった魔女の末路(まつろ)は、ヴィンセントが言った通りだ。

 審問官の(なぐさ)み、自分たちが強者であることを鼓舞(こぶ)するために(なぶ)り殺される。

 ヴィンセントは知っていた。

 魔女たちや、魔女だと疑いがあるだけで、能力のないただの一般人が、そんな()め苦を受けないようにと、審問室に連れ込まれる前に、ギルベルトは一撃で殺してきたのだ。

 ギルベルトとヴィンセントは共に魔女であることを両親にも隠して生きてきた。

 その能力は、重力を操ること。

 ギルベルトがルイに追いついたのは、早馬を使ったわけでもなく、単純に己の能力で空を飛んだだけ。

 ヴィンセントがこの場に現れたのもそうだ。

 目視できる対象物にかかった重力を自在に操ることができる上に、自身にかかっている重力も自由に操ることができる。

 隠したところで、メアリの能力に運命を見ることが含まれている以上、彼女は双子の兄の能力に気づいていたはずだ。

 男でありながら魔女の能力を持つ。

 このことがしれれば、国内の恐慌状態はさらに悪化するだろう。

 だからずっと隠していた。

 ルイはギルベルトたちの母親のまともではない状態を知っても、彼らを差別することはなかった。

 きっと、能力のことを話してもルイはその存在を否定することはない。受け止めてくれる唯一無二の存在。

 そう思っていたからこそ、ヴィンセントにとっては、そんなルイを傷つけたギルベルトが許せなかった。

 だからこうして、槍を向けた。

 自分はギルベルトのように戦う能力はないと(いつわ)り続けた男が、過去の魔女退治用の(せい)遺物(いぶつ)を持ち出した。それだけで、ギルベルトにはヴィンセントの決意がうかがい知ることができた。

 ギルベルトはヴィンセントを見つめる。

 見た目は全く同じ。だが、その中身は似ているようで異なる。


「ギル、この場で殺したいのは山々なんだけど、今はルイの命を優先したい。引いてくれないか?」

「はっ、俺なんかより全然強いくせに。……お前なら一瞬で俺を殺せるだろ」

「だとしても、僕は殺さない。ギルを倒すのは、ルイじゃなきゃだめなんだ」


 ヴィンセントの言葉に、ギルベルトは目を閉じる。


 ――本当に、こいつは優しいのか(むご)いのかわからないな。


「だったら、兄弟ごっこはこれで終わりだ。次に会うとしたら、殺し合う時かな」


 ギルベルトは自身の周りに刺さった八本の銀の槍を能力で地面から抜き取り、一斉にヴィンセントに向けて放つ。

 それを、ヴィンセントは顔色一つ変えず、力を無効化させる。

 八本の槍は、音を立てて地面に落ちる。

 ギルベルトはすでに、その場から姿を消していた。

 ヴィンセントは軽くため息をつくと、すぐさまルイへと駆け寄る。

 ギルベルトから与えられた傷は深い。

 腰巻をほどいてルイの傷口を塞ぐように巻いていく。


 後のことはメアリから聞いている。


 複数の馬の足音が聞こえる。

 王立騎士団の一隊がこの場に現れる。

 その中に、ルイの顔見知りがいる。

 ルイはクレモネスに運ばれ、治療される。

 メアリが語ったのはそこまでだった。

 ヴィンセントはルイに止血を施しながら、メアリの遺体に目を向ける。

 彼女は、ルイの未来を語るだけで、自分の未来は語らなかった。

 メアリは、自分の能力を知ってから、未来を語らなくなった。

 自分の最後も、何もかも知りながら、それを変える力を持っていながら、流れに従って生きることはどれだけ辛かっただろうかと、ヴィンセントは思いを()せる。


 メアリの生きた世界はとても狭かったが、ルイがたくさん物語を語ってくれたおかげで、そんな狭い世界でも生きてこれたのだと思う。


 結婚もした。


 ――なんだ、僕らよりも充実した人生だったじゃないか。

 妹は幸せだったんだ。

 守りたい者のために、命を張ったんだ。

 だから、メアリはとても幸せだったんだよ。

 だから、君は生きなきゃだめなんだ。

 生き残ってしまったんだから。

 生きるんだ。

 

   *


 ルイは微睡(まどろ)みもなく、一瞬で覚醒(かくせい)した。

 だが、枕に沈んだ頭はぼんやりしているどころか、揺さぶられているような不安定感があった。

 身体を動かそうにもベッドに縛り付けられているかのようにまったく動かすことができない。唯一、指先はいくらか動かすことができた。

 覚醒と同時に襲ってくる不快感。

 冷や汗が額に浮かぶ。

 浅い呼吸を繰り返し、病院特有の匂いを感じながら絶望を知る。

 自分は、生き残ってしまったんだと。


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