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銀の指がなぞる運命

 ルイは思わず馬を止めそうになる。

 今、メアリがどんな表情をしているのか、見たいと思うのは失礼だろうか?


「信じてくれない?」


 沈黙してしまったルイに対し、メアリは問う。


「いや、……実感が持てないだけだ。だって、メアリが能力を使うことなんて一度もなかったじゃないか。それに、親子そろって魔女なんて、聞いたことがない」

「そう、魔女の能力が遺伝するのは特殊だって、それは先祖が残した記録で知った。なぜ、魔女を産み続けるのか、その理由も書いてあった」

「魔女を、産み続ける?」


 本当に、これは一度馬を止めて、お互い顔を合わせて話すべきではないかと思った。

 だが、メアリは構わず話を続ける。


「銀の(ディートタルジェント)、国王直下の騎士団の名前にも、『銀』ってあるでしょ?」


 王の指先――ディート・レ・カヴァッレリーア。


「銀は神聖なものとして、魔女退治に使われていた。王の指先はその、魔女を倒すための存在だった」


 銀で作られたセクトリアの国章である百合十字のブローチをルイも身につけている。

 学院でも銀は魔を(はら)うと教わった。


「だけど、王の指先よりもっと前から、魔女を狩る一族がいたの」


 そこまで言われれば、鈍感なルイでもわかる。


「それが私の家、ディートタルジェントという名前は、教会から賜ったもの。どれだけの数の魔女を殺してきたのかわからない。ただね、教会から褒められても、魔女を殺すことが正しい行為だったかどうかは誰もわからない。ただ、ディートタルジェントの家だけが、それが罪であったと知ったの」


 ルイの家よりも古い家。

 始めは教会に仕え、次は王族、そして今は教徒。


「いつの頃からか、ディートタルジェント家に魔女が生まれるようになったの。古い記録には魔女の呪いだとあったし、別な手記には(むく)いだって」

「君の母親は、生まれてきたのが女の子だったから殺したのか?」

「始めは、母も信じていなかった。ただ、娘が二歳になった時、能力を使ったって。父さんが家に帰ってきた時、母はすでに狂っていたらしいわ。自分で殺した娘を抱いてあやしてたって」

「待ってくれ、ディートタルジェントが魔女の家系だとして、それがどうして今まで血を残してこれたんだ? 君の母親がしたように、魔女だといって子供を殺していたら血は途絶えるはずだ」

「そう。だけど、生まれてくるのが男の子だったら? 魔女として生まれてくるのは女だけだから。そして、やっぱり親の愛情って、すごいのね。いくら魔女でも、隠していればばれない。

 うちって、たくさん部屋があるでしょ? あれは生まれた魔女を隠すために作った部屋。もしくは狂ってしまった親を監禁するための(おり)


 魔女を(かくま)うために増改築が繰り返された家。

 そんな屋敷で、何も知らず、無邪気に遊んできた幼少期。

 無知は真実を知る者にとっては苛立ちの種でしかないだろうが、当の本人たちは気にしない。「知らないということさえ」知らないのだから。


「母さんはね、本当はすごく子供が欲しかったの。子供が好きだったみたい。だから自分の娘が魔女だったことに、絶望、したんじゃないかな? 本当に慎重にならなきゃ、どんな拍子で魔女だってばれるかわからないから。

 狂ってしまった母さんは、自分が出産したことも覚えてなかったんですって。だから、もう一度子供を作った。でもやっぱり女の子で……。だけど、ようやく兄さんたちが生まれた。これで母さんは満足する。正常な精神に戻るはずだった。だけど、一度壊れた心はそう簡単には戻らないのね。兄さんたちのこと、近所の子が遊びに来てるって思ったみたい。そして、あのクマのぬいぐるみを抱いて、『もう少しであなたたちのお友達が生まれるから、もう少し待ってね』って」


 母親に、子供として認知されないというのはどれほど辛いことだろうか?

 ――いや、ヴィンセントはメアリとハウエルの結婚式の時に言っていた。母親は子供を産んだことを覚えていないと。


 あの小さな地下室で、母親は夫と子供が生まれることを待ち望んだ。

 待ってる間、子供のおもちゃにと、クマのぬいぐるみを作った。

 そんな、幸せな情景がルイの頭に浮かんだ。


 でも、それは偽りの幸福。

 子供はすでに生まれて大人になっている。

 夫婦は年老いていく。

 ずっと、子供の誕生を待ち望みながら。


 改めて聞かされた真実に、ルイは純粋に怒りを覚える。

 なぜ呪いがいままで受け継がれているのか。

 メアリたちの両親はすでに魔女討伐とは関係がない。魔女殺しは先祖の罪だ。それをなぜ子が(つぐな)わなければならない。


「……メアリは?」

「え?」

「メアリは女の子なのに、なぜ……その、」

「殺されなかったか」

「ああ」


 そんな運命にあったなんて、ルイは信じたくなかった。


「父さんがすぐに母親から引き離してくれたおかげ。もう、母さんに子殺しの罪をおわせたくないっていうのもあったかもしれない」


 メアリは目を閉じて昔を思い出す。

 扉の隙間から盗み見た両親はとても幸せそうだった。

 子供は男の子か、女の子、どちらがいいかと話していた。


 ――お母さん、お母さんには子供はいるよ。男の子も、女の子もいるの。


 だけど、自分の子供だとは最後まで気づいてくれなかった。


「あの、クマのぬいぐるみはどうしたんだ?」


 メアリと一緒にいたクマのぬいぐるみ。


「あの子は、お母さんに返したわ。今度は私がお母さんになる番だったから。でも――」


 メアリはルイの背に顔を押し付ける。


「やっぱり怖いのよ。生まれてくる子が魔女だったらって。そのことをハウエルに伝えるのが怖かった。それは、私が魔女だという告白だもの。私が、母さんみたいにならないって確証はどこにもないのよ。だから、ハウエルと結婚してから、ずっと彼を避けてきた。魔女の親という重荷を彼に背負わせたくなかった!」


 メアリの告白に、ルイは優しく、前で組まれた彼女の手に、自分の片手を重ねる。


「兄さんは、自分の子供が魔女であっても、否定はしない。たぶん、あの様子だと、魔女もそうじゃない人も、仲良く暮らせるような国にしてくれる。俺も兄さんを手伝う。だから、メアリは戻ったら、ちゃんと兄さんに話すんだ。少しずつでも構わない。考える時間が欲しいって言うかもしれないけど、兄さんはちゃんと考えてくれるから、だから、落ち着いたら家に戻ろう」


 背中から、メアリの嗚咽(おえつ)が聞こえる。


 そういえば、メアリが泣かなくなったのはいつからだろうか?

 本当はいつも泣いていたのかもしれない。

 だったら――だからこそ、君は笑わなきゃだめなんだ。幸せにならなきゃだめなんだ。

 魔女として、母親として。

 自分を否定しなくていい、そういう国にしていかなければならないんだ。


「ええ、そうね」


 メアリは囁く。


「だけどもう、運命は決まっているの」


 馬が突然走るのを止め、前足を持ち上げて立ち上がる。


 ルイはメアリが振り落されないように、左手で強く彼女の両手を押さえつつ、右手で思いっきり手綱を引き寄せる。

 馬はどうして走るのを止めたのか?

 視線の先、それは立っていた。

 薄暗い森の中で、まるで影のように。


「……ギルベルト」


 メアリの兄、ギルベルトが立っていた。

 彼はまるですべての感情を失ってしまったかのような無表情をルイたちに向け、腰に巻いたソードベルトから剣を抜き、その先をためらうことなく、メアリに向けた。


「メアリ・リリス・ディートタルジェント。お前を逃亡罪で、この場で処刑する」



   *



 ディートタルジェント家が激しく燃え上がる頃、ルーマルク家からも火の手が上がる。

 ハウエルは父と使用人たちに避難しろと命じる。

 だが、使用人たちは逆に、ハウエルこそ逃げるべきだと言う。

 平行線だった。

 どのみち、出入り口の外では町の男たちが待ち構えている。

 それでも、ハウエルにはやっておかなければならないことがあった。

 二階のバルコニーに立ち、集まった町の住民を見下ろす。いや、見下す。

 魔女を出せ、魔女を殺せ、お前たちも魔女の手先だ!

 止まないシュプレヒコール。

 一人では小石を投げつける勇気もないくせに。


 町の住人はバルコニーに立ったハウエルに気づき、指を刺し、罵声を浴びせ、石を投げつける。


 ――愚かしくとも、守るべき国民に変わりない。


 だからといって簡単に見捨てない。それが、国政に関わる者の矜持(きょうじ)


「聞け!」


 ハウエルは声を張る。


「お前たちがしていることは私刑に他ならない! 誰が許した!」


 ハウエルの声が聞こえていないわけではない。

 住人達はまるで何かに取りつかれたかのように、ハウエルに向かって呪詛(じゅそ)を投げかける。

 自分たちは悪くない。悪いのは魔女だ。その魔女を(かくま)う者も悪だと。自分たちは生活を守るためにやっているのだと。

 その思考は正しいと思う。

 だが、行動があまりに原始的だ。

 煙は、ハウエルを前と外から(なぶ)るように量を増す。

 ハウエルは少し咳き込んだだけ。炎にも恐れず、巻き起こる上昇気流も構わず、集まった住人達に告げる。


「この私が魔女だと、異端者だと言うのならば石を投げろ! それがお前たちの正義の示し方であり、お前たちが正義だというのならば、私は忌むべき悪としてこの世から去ろう!」


 部屋の中にはハウエルとルイの父親がいた。

 燕尾服を着て、背筋をただし、椅子に座って息子の有志を見守っていた。

 ハウエルはこんなにも立派に育った。

 ルイも立派になったと思う。「思う」としか言えないのは、ルイが勇ましく戦う姿を実際に見たことがないからだ。


 心残りはそれだけだ。


 ハウエルは続ける。


「だが、ここは王国だ! エディス十一世の治める国である! すべてをお決めになるのは陛下である。お前たちは、その正義を陛下の御前で行うことができるか!」


 その言葉に、罵声は徐々に静まっていく。石を投げる手も、ためらい、その手に握られたまま。


「国とは、民と土地と法がなければならない。三つのうち、どれか一つでも欠けてしまえばそれは国とは言えない! お前たちは陛下の臣民である、その臣民を守るために法がある。だが、その法を民が守らないというのであれば法の意味は失われる。つまりは無法だ!」


 住人たちに代わり、炎が叫び声を上げる。

 それに対抗するように、ハウエルはさらに音量を上げる。

 煙の熱で喉が焼けただれていようが関係ない。


「教会はなんのために存在している! 騎士団はなんのためにある! 国は誰のためにある!」


 ハウエルは心の内で感じる。

 父が子育てもろくにせず誰のために働いていたのか。そして、「誰」の中に自分たち家族も含まれていたことを。


「今こそ声を上げろ! 日々の安らぎを訴えろ! 魔女が恐ろしい、魔女から守ってほしいと求めろ! お前たちの言葉を陛下は求めている! 私たちは弱い人間だと、群れを成さなければ生きてはいけない民草だと!

 陛下が助けてくれないというのならば、石を投げるがいい!

 だが、お前たちの後ろに、大切な人がいることを、忘れるな。大切な人たちのため、お前たちは罪を重ねてはいけない」


 住人たちの様子が慌ただしくなる。

 水を持ってこい、助けにいかなければと。

 だが、すでに遅い。

 ハウエルはその場に倒れる。


「……生きろ、」


 生きることは意識しなければ簡単だ。


 だが、生きようとすることはとても難しいことだ。


「ルイ……、生きるんだ」


 ハウエルはゆっくり目を閉じた。


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