そして終わりは始まる
*
聖なるかな
聖なるかな
聖なるかな
聖堂に聖始祖を讃える唄が響き渡る。
大嫌いだった。
聞くことも、歌わされることも嫌いだった。
聖始祖は死人だ。
なぜ他の死人と同じく軽く祈るだけで済まされない?
聖始祖がいなければ、自分たちは生まれることはなかった。
本当に?
生まれなかったら「生」を認識することはない。
生の喜び、尊さを謳うのは生を知る者だけ。
聖始祖なんて他人だ。
いくらありがたい言葉や教えを残したところで、見る者にとっては無価値な戯言だ。
神はいると思う。
ただたんに、この世界はどうして生まれたか? という問いに対する答えだ。
生まれたということは、生み出した者がいる。
だけど、神に祈ることは、聖始祖を崇めること以上の滑稽。愚の骨頂。
神は世界を造るだけ造って、あとは育てるに任せる放任主義な親だ。
そんなものに追いすがって泣いたところで、飴玉の一つもくれはしない。
ただ、世界のみを信仰する。
世界の運命こそ尊く、保護するに値する。
だから殺さなくてはならない。
たとえ、血を分けた兄弟でも。
結局のところ他人にしか過ぎないのだから。
*
ルイは門を開け、一気に玄関ポーチまで馬で駆け抜ける。
驚いた使用人たちが数人屋敷から飛び出してくる。
見ない顔も混じっている。なにせ、ハウエルが結婚してから五年、一度もルイは生家を訪れなかったからだ。
馬から降りながら使用人に向かって問う。
「兄のハウエルはいるか?」
昔からいる使用人の男に馬を預ける。
「ルイ!」
玄関から当のハウエルが飛び出してきた。
王宮の方に行っていると思ったが、運良く休みだったらしい。
いや、運がよかったかどうかわからない。
「いったいどうしたんだ?」
ただの帰省でないことは、審問官の上着とその下に着ている騎士服と、覗く剣の柄から見て取れるだろう。
「中で話そう。一刻も争うんだ」
そう言って、ルイはハウエルの背を押し、屋敷の中へ。
そこには、心配そうな表情を浮かべるメアリの姿があった。
ディートタルジェント家の様子を、ちゃんと伝えるべきだろう。
「メアリにも聞いてほしい」
ハウエルとメアリは顔を見合わせる。
ハウエルは頷くと、「書斎で話そう」と先頭に立って階段を登る。
使用人がお茶の準備などを申し出るが、ハウエルよりも先に、「三人で話しをさせてくれ」とルイが言って断る。
書斎の中は父親が使っていた頃とさほど変わらない。
「その様子だと、聖都から急いで来たんじゃないか?」
ハウエルはルイに水の入ったコップを渡しながら言う。
「ありがとう」
水を受け取り、ようやくルイは飲まず食わずでここまで来たことに気が付いた。
コップの水を一気に飲み干す。
「それで、どんな話だ?」
「とりあえず、座らないか」
そう言って、応接セットに座る。
ルイは一人で。ハウエルとメアリは並んで。
「今朝、ヴィンセントから知らされたんだ、メアリの家……ディートタルジェント家に魔女がいると通報があったって」
その言葉に、ハウエルは少し目を見開き、メアリは顔を伏せた。
「誰がそんなこと……、ディートタルジェントの屋敷には行ったのか?」
「ここに来る前に……、ただ」
どう伝えたらいいのか、見た光景がうまく文章にまとまらない。
「ルイ、」
呼びかけてきたのはメアリだ。
「言って。私のことなら気にしないで」
まるで、何もかも見通しているかのように。
そうだ、メアリは自分の母親が魔女だということを知っていた。
たぶん知らないのはハウエルだけなのだ。
「……家の人は、使用人は全部で何人いたのかわからない。だけど、俺が行った時点で三人の遺体を見つけた。それと……、それと、おじさんとおばさんも死んでた」
「強盗とかじゃないのか?」
ハウエルは身を乗り出す。
「わからない。詳しくは見なかったから。ただ、メアリたちの両親が気になって、他のことには気が回らなかった」
「まず、警備隊に連絡を――」
「いや、異端審問室への通報が入った以上、警備隊のほうにも連絡が行っている可能性が高い。守ってくれるかどうかわからない」
民の暴徒化、私刑、焼き討ち。
これらが行われてきた背景には警備隊が機能していなかったことだ。
暴動の規模が大きすぎて抑え込むことができなかった場合もある。それ以上に、その土地のものと一緒に、魔女を恐れ、疑心暗鬼に陥り、一緒になって暴動に参加した者も多い。あとは裏金だ。
魔女狩りのために見逃していい。
この国はもう、無法地帯だ。
「そんなことが……」
ハウエルは立ち上がり、何か考えるように額に手を当て、机の周りを右往左往する。
「いいか? ここは王国だ。法治国家なんだぞ。それが――、異端審問室は何をしているんだ?」
「異端審問官が動くのはすべて、事が済んでからだ。今更、枢機卿に訴えたところで、今のこの状況は変わらない。ヴィンセントの話だと、この町の連中はメアリの嫁ぎ先を知っているから、うちも安全ではないって。だから、一時的でもいい、沈静化するまでどこかに隠れていてほしいんだ」
「隠れるって……、だめだ」
ハウエルはため息をついて、元の位置に腰を下ろす。
「逃げたところで状況が変わるとも思えない。教会が動かないというのならば、今こそ王政側で民の安全を確保しなければならない。だから――」
ハウエルの手が、メアリの手に乗せられる。
膝の上に丁寧に置かれたメアリの両手。その左手の薬指にはまったリングが、重ねられた兄の手にはめられたリングと一緒に、同じ輝きを放つ。
「私はここに残る。使用人には避難するように言う。だが、メアリのことを頼みたい」
「兄さん!」
ハウエルの言葉に、メアリも驚いてハウエルの顔を見つめる。
「兄さん、冷静になって考えてくれ。俺は任務で多くの被害を見てきた」
「だから逃げて欲しいと?」
「そうだ」
「私は逆だ。多くの被害を知って、この地獄を終わらせたいと思う」
「たった一人で立ち向かうのか?」
「ああ、私はルーマルク家当主、ハウエル・エシエル・ド・ルーマルクだ」
その言葉に、メアリが身を乗り出す。
「だったら、私はあなたの妻です! それに、元はと言えば私の母が――」
「こういう時くらい、カッコつけさせてくれないか? 私が活躍するところなんて、メアリにほとんど見せられないんだから」
そう言ってハウエルは微笑む。
対するメアリの瞳からハラハラと涙が零れ落ちる。
「ルイばかりかっこよくて、私は地味だから、こういう時くらいしか男を見せられないんだ」
「兄さん……、」
青い瞳が見つめ返してくる。
「その代り、事が済むまで、メアリのことは頼んだぞ」
こんな時に限ってなのか、こんな時だからなのかわからない。
ハウエルとのたくさんの思い出が湧いてくる。
「兄さんには、やっぱり敵わないな」
ルイにとっての英雄は他ならぬハウエルだ。
頭が良くて、優しくて、勇敢だ。
頭の中で想像する英雄の姿は、いつだってハウエルの姿をしていた。
王様は父親。王妃様の顔はあいまい。
そしてお姫様はメアリ。
物語の中にみんないた。みんな、最後は幸せに暮らす。
そんな姿を想像するだけで、とても心が満たされた。
二人乗り用に馬を乗り換えることにした。
いつも出かける時に御者を務めた使用人が素早く馬の準備を整えていく。
「今、王宮の周りにも南から逃げてきた人であふれかえっている。だから、このまま北上してクレモネスに一時的に避難したほうがいいかもしれない。だけど、騎士団の方は大丈夫なのか?」
「実は無断で飛び出してきたから……もしかしたら辞めさせられるかも」
これにはさすがに、ルイもハウエルもそろって苦笑いを浮かべる。
「その時はその時。辞めさせられたら王立騎士団を受けてみるよ。せっかくきつい訓練受けて来たんだし」
「いや、ルイには教会機関に残ってほしいかな」
ルイは鐙に足をかけ、首をかしげる。
「議会では、ちょっと詳しくは語れないけど、教会のやり方を徹底的に見直そうとしているんだ。だから、教会側にも賛同者がほしいなって」
「そういう、身内のやり取りをしないために次男以下は聖職者ってきまりじゃなかったのか?」
勢いをつけて鞍に乗る。
二人用の馬は、さすがにルイの身長に対して大きすぎる。
「そこらへんも、私の代で少し変えていこうと思ってるんだ」
「生まれる前から親馬鹿か?」
「いいじゃないか」
そう言って、ハウエルはメアリと抱擁を交わす。
ルイは少しの間、視線をそらした。
その先に、父親の寝室がある。
議員を辞めてから、特に趣味があるわけでもなく、父は引きこもり気味なのだそうだ。
抱擁を終え、馬の横に来たメアリに腕を差し出し、引っ張り上げる。
「じゃあ兄さん、気を付けて。本当危険だと思ったら――」
「わかってる。私が死んでしまったら、国を変えられない。ルイも気を付けろよ」
「ああ」
ルイは馬を走らせる。
たった一時の別れだと、そうであってほしいと願っていた。
ルイがルーマルク邸を発ってからほどなくして、煙の臭いが漂ってきた。
黒い煙が上がるのは、ディートタルジェント家がある場所。
ほどなくして、人々の群れはこちらに向かってくるだろう。
ハウエルは二階へと上がり、父親の部屋に入る。
「父さん、本当に逃げないんですか?」
そこには、大議会用の燕尾服に腕を通す父親の姿があった。
真っ白になった髪。
老いたものだと思っていたが、今の姿は現役時代そのままだ。
「私はいい。それよりもお前だ。お前が死んでしまったらこの家は……、血が途絶えてしまう」
「私が死んでもルイがいます。そのつもりで父さんは母さんにルイを産ませたんでしょう?」
「そうだな、そうだったな」
着替え終わった父は、椅子にゆっくりと腰かける。
その様子を見届け、部屋をでる。
「ハウエル様、いざという時は私たちを置いて逃げてくださいまし」
「それよりもばあや、他の者もなぜ逃げないんだ」
階下には使用人たちが集まり、扉や窓にバリケードを作っていた。
屋敷の外でも、男たちが門を固めていた。
「ここに残った者は皆、あなたのお父様やお母様に拾われた、行くところのない身です。この屋敷が私たちの家なのですよ」
一番年長であろう、ばあやの言葉に、使用人の誰もが頷いた。
「ありがとう。その言葉だけで私は十分だ。……そうだね、あとは君たちの意志に任せる。逃げ出しても罪には問わないよ。私は裁判官ではないからね」
そう言って、ハウエルと使用人たちは顔をほころばせた。
ディートタルジェント家は燃え上がる。
その炎でトランス状態に陥ったかのように、町の者が集結し、一番古くからあるルーマルク家を目指す。
各々、武器になりそうなものを手にして。




