希望は神の手の中に
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ヤブ医者に殺されかけた――本人には殺す気は一切なかったらしいので、ルイの勝手な被害妄想である――あの夜から、戦い方についてレクチャーを受けていた。
心の奥では再び剣をとるという気持ちは固まっていなかった。
だが、ヤブ医者にナイフを突きつけられたときの恐怖。
純粋に死にたくない、生きたいと感じた。
あれは、今にして思えばヤブ医者の粗療法だったのではないかと思う。
医者は、戦術はもちろんのことながら、人体の新しい知識、「ラプラスの幽霊」という新たな概念。持っている知識を惜しみなく与えてくれた。
「別に、持ってて減るものではないし」
ヤブ医者はキッパリ言う。
ルイが戦い方を学ぶのは、生きたいという希望。そして、罪のない魔女を守りたいという願い。
魔女も普通の人間も変わらない。
罪を犯した者のみ裁かれるべきなのだ。
――人々の考え方を変えなければならない。そのためには何が必要だ? 自分にできることはなんだ?
過去には戻れない。
道の先には多くの試練が待ち構えている。
そんな時、本の英雄はどうした?
ハウエルはどんな話を聞かせた?
人々の願い、夢、奇蹟、勇気、痛み、悲しみ、別れ、絶望、苦悩、挫折、野望、欲望。
この世界を作った神は希望を人には与えなかった。
希望は神が預かった。
だから人々は希望を手に入れようと手を伸ばすのだ。
届かないとわかっていても。
そのあがきは無駄ではないと。
希望を手に入れてしまえば、この足は止まってしまう。
届かないから、つかめないからいい。そんなものがこの世界にはある。
「除染装置、『IrLS』のことは知ってるかな?」
病院ではない。
ヤブ医者の本当の住まいだという屋敷の、その地下。
その燭台の蝋燭に、ヤブ医者は火を灯しながらルイに問う。
冷たい石の壁に触れながら、ルイは答える。
「ああ、名前だけなら」
「実のところ、名前は後付なんだ。イリスという、お父さんの弟子が作った装置なんだ。
Intelligence repair loop system、Rにはrecycleとrainという意味も含まれている」
少し肌寒いその部屋の壁には、薬品や機材が保管された棚や図面台。
中央には鉄製の大きな箱があった。
ヤブ医者はその大きな箱に手を置きながら話を続ける。
「でもね、それを造るにあたって、ボクらには別の情報が与えられてたんだ。――賢者とは、体の中に錬成用の炉心を持っている。その炉心を人工的に造りだし、賢者でない者でも錬金術を扱える装置を造ろうって、始めはそんな話だった」
「実際、そんなことが可能なのか?」
ヤブ医者は肩をすくめる。
「理論的には可能だろうけども、今の技術では足りないものが多すぎる。たとえば高速で十桁以上の値の四則計算を行える機械とかね。ヒトの脳を越えたものが必要となる」
「途方もない話だな」
「だけど、人の手助けをする程度のものならば作れる。人間と動物の違いは道具を使う、道具を作るところにある。始め、IrLSの製造はIO計画と呼ばれていた」
「IO?」
「Intelligence object計画、知性を兼ね備えた道具って意味」
「……お前が腕につけてる、その水銀みたいなものとは違うのか?」
ルイは、ヤブ医者の手首にはまった手枷を指差す。
「ああ、これに近いね。ただこれは、ボクの言うことしか聞かないし、錬金術師しか扱えない。でも、インテリジェンス・オブジェクトとはそういうことなんだ。使用者の意志を反映する。まあ、すべてを自動化することは不可能だけど、アシストやサポートはできる。それを造りだすことはできたんだ。ただし、武器としてね」
ヤブ医者は手枷の鎖を鳴らしてみせる。
「結局ね、技術の進歩は戦争と繋がってるんだ。今、この国とイースクリートは冷戦状態。それもそろそろ終わると思う。だけど、いざという時のための保険としてね、これだけの力があると見せつけたいんだ。力を見せる。伝わりやすいのは破壊行為だろ?
国からの予算を得るために、IrLSの生みの親は偽りの計画書を提出した。そして、その偽りから着想を得て、インテリジェンスオブジェクトという武器を産みだした。賢者って、実のところ、愚か者なんじゃないかって思うんだよね」
「……で、私をここまで連れてきた理由はなんだ?」
馬車に揺られて一時間程度だろうか?
話しだけなら病院でも済むはずだ。
ヤブ医者はあからさまなため息をついて言う。
「君って、これ以上は強くなれないと思うんだよね」
「ずいぶんとハッキリと言うんだな」
言われなくとも、そんなことはわかっている。
もう怪我は完治していても、老いが力を奪っていくだろう。
「ボクね、君のことが好きなんだ。いや、好きになった、かな?」
「……私にそういう趣味はない」
「え、どういうこと?」
「わかっててからかってるだろ!」
「照れ隠しだって言葉の裏読んでよね。ま、実のところ君がどういう経緯でボクのところに運ばれてきたのか、セクトリアで何があったのか、――これは現在進行形かな? 手助けしてあげようかな~ってね」
そう言って、ヤブ医者は腕を組み、横目でルイに視線を投げかける。
現在進行形。
今まさに、人が殺されているかもしれないのだ。
だからそれを止めに行って来い、身体の怪我は完治したから。
だけど、心の傷はどうにもならない。自分でどうにかしろ。だけど、松葉杖くらいはあげる。そう言っているのだ。
結局は戦うしかないのかと、ルイは天を仰ぐ。
無骨な石の天井は、何も言ってはくれない。




