運命を砕く剣という名の現実
負けた講師がいくら、自身の訓練に集中しろと言ったところで、誰も真面目に訓練をしない。
ペアになって打ち合いや体術の練習をしていても、視線は自然と、屋外訓練所の二人に注がれる。
「一ついいか?」
ルイの質問に、イザベルは首をかしげる。
「お前は午前組だと聞いた。なぜ午後の組に参加しているんだ?」
「それは私に勝ったら教えよう。さほど、私と戦うことに関しても興味ないのだろう?」
イザベルの言葉は当たっている。
強くなりたいという気持ちはあっても、誰かに勝ちたいという気持ちはなかった。
審判役の若い講師が言う。
「危ないと判断するまでは止めないからな、では、始め!」
危ないと判断する頃にはすでに事は済んでいる気がする。
ルイは木刀を構える。
「では、こちらから行かせてもらう」
先に動いたのはイザベルだ。
木刀の先を地面に向けた状態でルイに向かう。
一方のルイはその場から動かない。
間合いに入ったと同時に、イザベルが下から上へ大きく木刀を振り上げる。
それを、ルイは木刀で払うでもなく、左に避ける。
上からの降り落としがあるかと思えば、イザベルは素早く木刀を振り下ろしながら、後退し、ルイと距離を取る。
その動作だけで、ルイにはイザベルが戦闘経験を重ねて勝って来たのではなく、考えながら動いていることを知る。
他の訓練生は型を大事にする。だが、イザベルにはその気がない。
向かってきた時、木刀の先を下に向けて肉薄したのは、木刀の先から動きを予測させないためだ。
後退したイザベルに対し、ルイは木刀を右手だけで持ち、思いっきり足を前に踏み込んで突く。
咄嗟にイザベルはバックステップで回避するが、間に合わず、ルイの木刀はウエストをかすめる。
イザベルはひるまず、その無防備な右腕に木刀を振り落す。
木刀が振り下ろされるよりも早く、ルイは身を低くし、左太ももに力を籠め、左足を軸として木刀の軌道から避ける。
そして、意趣返しとばかりに振り下ろされたイザベルの木刀――彼女の手から数センチのところに木刀の頭を思いっきり叩き込む。
イザベルが手にした木刀は、呆気なく地面に落ちる。
一瞬、わっと歓声が上がるが、すぐに講師の怒号でかき消される。
「まいったな。自分より背が低い相手が、こんなにもやりにくいとは」
イザベルは自身の木刀を拾い上げながら呟く。
「だが、いい経験になった。ありがとう」
そう言って、彼女は笑顔で握手を求めてくる。
「ああ、こちらこそ」
ルイは握手にこたえようと手を差し出すが、イザベルは差し出された手、その指先を持ってその場に跪くと、目を輝かせてルイに言う。
「結婚しよう!」
今度は訓練所に悲鳴にも似た男たちの怒号がこだました。
「はっきり言うぞ、私はここの裏口を登ったところにある神学院の学生だ! 神学院だ! わかるか? 神学院だぞ!」
「そんなもの今すぐ辞めてしまえ」
イザベルのその言葉に、ルイは両肘を机の上に乗せて頭を抱えた。
収集のつかなくなった屋外訓練所から脱兎のごとく逃げ出し、空いていた座学室で不毛のやり取りは続いていた。
なぜイザベルが午後の組に参加したのか?
まず、順を追って説明する。
イザベルはセクトリアの貴族、ロワマルティア家の令嬢。
最悪なことに同郷だった。
イザベルはルイもセクトリアの貴族だと聞き、「運命だ!」と再び手を、今度は両手で握ろうとするが、ルイは「半径一メートル、いや、二メートル以内に寄るな!」と言って阻止した。
なぜ、イースクリートにいるのか?
それは花嫁修業のためだという。なんでも、大のお祖母ちゃん子のイザベルは祖母の教えにのっとり、「強い男」を求め、自身も訓練に励み、自分よりも強い男をさ迷い歩き、母親の生家があるイースクリートにたどり着き、そこで毎日訓練所で自分より強い相手を探していたそうだ。
午後組に参加したのは、午前組に自分より強い男がいなかった、ただそれだけだ。
「だから、午後組に参加したその日に出会えたこれを運命と言わずなんという?」
「偶然」
「君も運命否定論者か? 心はキャベツか?」
「わけがわからん。ともかくだ。私はすでに神職に近い身だからお前とは結婚できない」
「だから辞めろと言っている」
「こっちの都合を考えろ!」
ルイの言葉に、イザベルはきょとんとする。
「都合か……、身長差なんて些細なものだ」
「違う!」
まるで言葉が通じてない。本当に彼女はカイブツなのかもしれない。
「そうじゃなくてだな、私の意見も尊重しろ。察しろ」
「意見か。結婚したらいくらでも聞いてやる」
「それじゃ遅いんだ!」
「なんてな。いや、ルーマルク家は聞いたことがある。議員を輩出する古い家だろ。その古い家の生まれである君が、神学院に通っている。つまり君はルーマルク家を継ぐことができない。後々になって問題にならないように聖職者にして相続だのなんだのから切り離された。そういうことだろう?」
「全部わかっているなら察して別をあたってくれ」
「いや、私は本気だ。まさに僥倖だ」
イザベルは壇上の椅子の上で長い脚を組み替える。
「君はルーマルク家を継がなくてよいのだろう? ならばうちに来ればいい」
「だめだ。お前の家に婿養子で入ったとして、後々実家と揉め事なんてごめんだからな」
「まったく、お堅いんだな」
「お前のメンタルほどじゃない。っていうか、さっきの試合。あきらかに手を抜いてただろ?」
負かせてくださいとまではいかないが、「目立った動き」が多かった。
始めは木刀の先から動きを見せないようにしてたのに、その後は粗末だった。
「そういうところに気づくあたりがね、結婚したいと思うんだよ」
「実際のところ、どうなんだ?」
イザベルは軽く「結婚」を流されて肩をすくめる。
「運命は存在するんだよ」
「は?」
「私は真面目な話をしているんだが?」
「私も真面目だ」
さっきのせいで意思疎通が滅茶苦茶である。
「聖者は運命が見えると、学院で学ばなかったか?」
「ああ、」
本当に真面目な話だった。「聞いたが、それもだいぶ数が減っていると。ずっと、何百年も先まで見通せるのは教皇くらいだと」
「そう。そして、運命が見える者は教会に保護される。運命がどんなふうに見えるかは知っているか?」
「いいや」
ルイは素直に首を振る。
「運命は線で見えるらしい。もしくは長いスクロールだな。そこにこれから起きることが書かれている。未来の集合体。未来の歴史だな」
「……それが?」
「私の場合は、どういうわけか点で見えるんだよ」
「点?」
「そう、聖者に見える未来が、流れる川のようなものだとしたら、私が見ているのは、その流れる川の絵だ」
「一瞬しか見えないということか……ということは、戦う相手の先の動きが絵として見えるということか?」
「そういうことだ」
イザベルは頷く。
「私は別に強いわけではないよ。未来をカンニングして良い評価を得てるだけだ。だが――」
イザベルは暗くなり始めた窓の外に顔を向ける。「君の場合は、点を見ている暇なんてなかった。遊びがない。張りつめた糸のようでね。こんなに真剣な相手にズルはできないと思ったんだ」
「ズルなんて……持って生まれた能力じゃないか」
「私が望んだものではないけどな」
そう言って、彼女は立ち上がる。
「最後にいい思い出ができたよ、ありがとう」
「最後?」
「いい加減に戻ってこいとな。私も思い切って聖職者になろうかな」
「それは、止めたほうがいい」
「先輩としての忠告か?」
「まあ、そんなものだ」
新年に会ったメアリの顔が脳裏に浮かぶ。
「ならば、騎士でも目指すか。望んでない能力だとしても、これが生かせるのは戦場としか思えないからな」
「だとしたら、また会えるかもしれないな」
ルイも立ち上がり、イザベルに手を差し出す。
「私は、聖階段騎士団に入りたいんだ」
「……魔女に、因縁でもあるのか?」
「いいや、ただ、魔女という存在に脅える人々を安心させたいそれだけだ」
「そうか」
イザベルは、今度はちゃんと、握手する。
「次に会う時はもっと強くなっていると期待しているぞ」
「ああ」
そう言い残し、そのカイブツは騎士養成所を静かに去っていった。
その後、いたるところで彼女の武勇を耳にするが、結婚したという話はついぞ聞くことはなかった。
だが彼女とは別に、その数か月後、春が終わり夏季休暇の少し手前、ルイの元に実家から立派な封筒に包まれた手紙が届く。
父からの手紙だった。
夏季休暇に合せて、兄のハウエルの結婚式を行うから戻ってこいとの内容だった。
寝耳に水だった。
自分が「結婚しよう」と告白されている裏で、兄の結婚の話が進んでいたなんて、年末にすでに婚約していたなんて、誰も教えてくれなかった。
一番気になったのは、兄の結婚相手。
それは、メアリだった。




