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やがて蝶になる蛹の不安

 床に()せっていた父も、その年最後の晩餐(ばんさん)に顔を出し、家族三人で乾杯し、そろって小さな(さかずき)を傾けた。


 雪は降ったり止んだりを繰り返し、おおいに積もった。


 年明けは晴天だった。


 新年の挨拶にくる人たちのため、ルイもハウエルも使用人に交じって除雪作業を手伝った。

 小さい頃は雪が降ってきたら、外を駆けまわり、天に向かってもっと降れと叫んでいたのに、大人になって雪は厄介だと認識が切り替わる。

 それでも、ハラハラと振る雪を見ると、自然と心は踊る。


 旧家ということもあって、来客は少なくない。

 父親は、明日に陛下の挨拶を聞きに行かなければならないと、身体を気遣い、来客の相手はもっぱら、ハウエルが務めた。

 呼ばれればルイも顔をだした。


 それにしても、ハウエルの口から、ざっくばらんにしか意味を知らない難しい単語がスラスラと出てくるのを耳にして、さすがは議員補佐だと思った。

 同時に、すでに立派な大人なのだな、と。

 一方、ルイはまだ学生の身。

 久々に会う親族から「勉強をがんばってるか?」と声をかけられると、自分はまだ中途半端な大人であることを実感させられた。


 その日は雪はちらつかず、そのまま日が暮れた。


 夕方、使用人たちが滑り止め用に門の外や、門から家までの道に砂を撒く。

 食後、来客のために作った軽食の残りを摘まみながら、ルイはハウエルと珍しくテーブルゲームに興じた。

 酒も少し入っていたので、共に「待った」の連続。結局、どちらが強いのかわからないまま勝負は終わる。


「ところで、兄さんって誕生日が来ればもう二十六だよな?」


 歳の話だ。


「ああ、どうかしたか?」


 ボードの上に駒を並べ直しながらハウエルは聞く。


「なんていうかな、俺はもう世俗(せぞく)から離れた身だし、子供の頃からあんまり興味なかったからよくわかんないんだけどさ」


 自然と、ルイの耳が潮紅(ちょうこう)する。


「結婚、とか。そういう話って、ないの?」


 コツっと、軽い音を立てて、一番強い駒が定位置に置かれる。

 ルイの言葉に、ハウエルは動きを止める。

 それに気づかず、ルイは続ける。


「うらやましいとか、そんなんじゃないから。ただ、俺がまだ学生のうちに結婚するんだったら、俺の部屋、整理しとこうかと思って。邪魔だろ?」


 学院に入るにあたり、ルイの部屋はだいぶ整理されていたが、机や本棚などはそのままだ。

 昔、兄に読んでくれとせがんだ物語。

 できることなら、あの本は残しておいてほしい。兄の子、つまりは甥に読ませたい。今度は自分が読み聞かせるでもいい。そんなことをルイは酒の入った頭で考えていた。


 ハウエルは、ルイの言葉に対し首を振る。


「ううん、邪魔じゃないよ。学院を出るまでルイはうちにいていいんだから、片づけなくても大丈夫。それに、こうして戻ってきた時に寝る部屋がないのは困るだろ?」

「客室があるじゃないか」

「ルイはまだお客さんじゃないから」


 ルイの使う駒を手にし、呟く。


「あのままでいいんだよ」


 酒が入り、少し眠かったこともあり、ルイはそのとき、ハウエルに話をはぐらかされたなんて気づかなかった。




 次の日も晴天だった。


 朝早く、父親とハウエルは王宮へと向かう。

 ルイは一人、家に取り残されるかたちとなったが、そこでディートタルジェント家を思い出した。


 ――双子は戻ってきているだろうか?


 朝食をとりながら、窓の外を見ながら思った。

 戻って来ていなかったとしても、幼馴染の家だ。新年の挨拶がてら行ってみることにする。


 コートにマフラー。

 外に出ると、照り返しの光がルイの目を刺す。

 空を見上げれば晴天だ。

 この分なら、夕方には戻ってくるという父親と兄も雪で戻れないということはないだろう。


 滑り止めのついたブーツだが、慎重に雪の上を歩く。

 そういえば、昔は「魔女が出るから」と言って、一人での外出は禁じられていたが、家を出る際、家の者から何の注意も受けなかった。

 大人になれば魔女に対抗できるというわけでもないだろうに。

 だが、家の周りはだいぶ変わったな、と思う。


 道に出ている子供は少ない。

 皆、玄関近くで雪だるまを作ったりして遊んでいる。

 自分があれくらいの歳は、道など関係なく走り回り、近所の子たちと雪合戦をし、人の屋敷の木に雪玉をぶつけては怒られたものだったが。


 ほどなくして、ディートタルジェント家に到着する。


 門から玄関までの道は短いので、綺麗に除雪されており、地面が顔をだしている。


 ルイはノックに手をかけようとして、一瞬、ためらうが、ゆっくりノックする。

 あの時はその場の雰囲気も相まって恐怖が倍増されただけ、双子たちの母親だと思えば何のことはないと自身に言い聞かせる。


 ほどなく、扉は内側から開かれる。

 開けてくれたのは、昔から顔なじみの御者だった。

 新年の挨拶と、今どうしているかなど軽く話をしながら、屋敷内に踏み入る。


 あの時、ルイが迷い込んだ地下へと続く階段がある廊下、そこへの入り口は扉で完全にふさがれていた。

 まだ、あの母親は生きているのだろうか?

 そんなことを考えていると、この家の当主、ギルベルトたちの父親が正面の階段を下りてきた。


「ルイ君、久しぶりだね。元気にしているかい?」

「お久しぶりです。っと、新年おめでとうございます」

「ああ、懐かしさが先走ってしまったね、おめでとう」


 そう言って微笑む双子たちの父親はほとんど変わった気配はない。


「今日は新年の挨拶と、あと、ギルベルトたちが帰って来てるかと思って」

「あの二人はろくに手紙を寄越さなくてね、パッと戻ってくるかと思ったんだが、この分だと帰ってこないんじゃないかな?」

「そうですか」


 まあ、あの二人は予定なんて関係なく好きなように行動していた。そろいもそろって。


「こんなところで立ち話じゃ寒いだろ。メアリならいるよ」


 父親にいざなわれ、リビングへ。

 暖かい空気、それと同時に、午前の光の中、熱心に棒針で編み物をするメアリの姿があった。

 長い髪は、昔と違って一本の三つ編みでまとめられていた。

 碧い瞳が、網目からルイへと向けられる。


 思わず、息を飲んだ。


 あの泣き虫だった少女とは思えない。

 いや、(はかな)げな部分は残っている。だが、それは彼女の優美を引き立てるためのドレスだ。

 纏う服は相変わらずモノトーンだが、それゆえに瞳の青と美しさが際立って見える。


 思わず、ルイは視線をそらしてしまう。


「ルイ? 久しぶりね」


 花が笑った。


「うちも後であいさつに伺おうと思ってたんだが、あの二人を待ってるうちに遅れてしまってすまなかったね。今日、お父さんは王宮に行ってるんだろ?」


 メアリの父親に話しかけられて、意識が引き戻される。


「あ、はい。今日は一日中家にはいないです。明日ならいると思いますが、私は明日学院の方に戻るので」

「なかなかゆっくりできないものだね。ま、ゆっくりしていってくれ。今、何かつまむものでも用意させよう」


 そう言って、父親はリビングの外へ。

 その場に残されたのはルイとメアリだけ。

 久々に会うメアリに、ろくに話しかけられないルイに対し、メアリがクスリと笑う。


「そんなところに立ってないで、座って。昔みたいに自由にしていいのよ」

「じゃあ、失礼するよ」


 ルイはメアリの対面。斜め向かいのソファに腰を下ろす。

 美しい彼女の正面に座るなんて、おこがましい。


「ルイは変わらないわね」

「よく、みんなからそう言われる……おじさんが、ギルベルトたちはろくに便りを寄越さないって」

「うん、手紙が来たと思ってもヴィンスからが多い。二人とも、家から離れられて嬉しいのよ」


 その言葉に、かつての恐怖が蘇る。

 そして、ヴィンセントとの約束。


「あの、……家の人は元気そうだな」

「見た目はね。父さんは腰とか肩が痛いって。机に座りっぱなしの仕事だから」

「そっか」


 視線を固定できず、室内に視線を巡らせていると、メアリの傍らに、彼女がいつも抱きしめていたクマのぬいぐるみを見つけた。

 今彼女が編んでいるのと同じ毛糸のセーターを着せられている。


「そのぬいぐるみ、」

「見つかっちゃった」


 メアリは、幼い頃いつもそうしていたように、膝の上にそのクマのぬいぐるみを置く。

 それだけで、彼女がどれだけ成長したかわかる。

 ディートタルジェント家での一件があって以降、室内で遊ぶことが少なくなった。

 午後の授業が遅くまで行われるようになったのもある。

 そう考えれば、十年近く、メアリとまともに会って話をしてなかったことになる。


「いつも大事に抱えてたけど、プレゼントとかだったりするのか?」

「この子はね、」


 メアリの小さくて華奢(きゃしゃ)な手がクマの頭に優しく乗せられる。


「お母さんが昔作ったものって、父さんが言ってた。私や兄さんたちが生まれるずっと前」

「生まれる前……」


 そこで話しが途切れてしまったので、気になって顔を上げると、メアリと視線が合う。

 彼女は昔のように、少し悲しそうに微笑む。


「ルイは、知ってるのよね? 私たちのお母さんのこと」

「……ああ、ヴィンセントから」

「私たちの前に子供がいたことも?」

「ああ、」


 そこでルイは気づいた。

 メアリがいつも大事にしていたぬいぐるみは、本当は自分のために作られたものではない。


「この子は、お母さんが初めてできた子のために作ったんだって。まだ生まれる前に。だけど、死んじゃったの」

「メアリ、こんな話は――」

「お願い、聞いて」


 囁くような小さな声だったが、強い意志をはらんでいた。


「お母さんはね、私が生まれた時、殺そうとしたんだって。ずっと、ずっと後に聞かされたの。私には本当はお姉さんが二人いたって」


 不謹慎(ふきんしん)だが、ルイは誰か部屋に入ってきてくれないかと思った。

 この話は、最後まで聞いてはいけない。そんな予感があった。


「お母さんは、私が三人目の娘だってこともわからないみたい。生まれた時からよ。蘇りだって。たぶん、二人目もそうよ。お母さん、本当は私のこと、産みたくなかったんだと思う」

「そんなことない、だろ。母親がそうでも、おじさんは、メアリのこと大事にしてるじゃないか。俺の母親は、俺を産んですぐ死んでしまったから、母親ってどういうのかわからないけど」

「……そうだね、ルイはお母さんがいなかったんだよね」


 父から聞かされた、自身の母の最期を語れるはずもなかった。


「私、怖いの」


 あの頃のように、メアリはクマのぬいぐるみを抱きしめる。


「父さんはね、お母さんはお前のことも愛してるってこの子をくれたの。私もそう思おうとした。でもね、私、ちゃんとお母さんになれるかなって」


 たぶん、男では持ちえない感情だと、その言葉を聞いてルイは思った。

 産みの苦しみは女性だけのもの。

 月のモノの苦しみだって、男では理解できない。

 メアリは、上に兄が二人いても、徐々に自分の身体だけが女性になっていく、子供を成せる身体になっていくという苦しみを一人で抱えるしかなかったのだ。


 そしていつか、母になる。


 メアリは、自分の母親のようにはならないと思っていても、実際に産んでみなければわからない。

 そのリミットが近づいてきている。


 そう、みんな大人になるのだ。


「メアリなら、良い母親になるよ。そのクマのぬいぐるみのセーターだって、君が編んだんだろ?」

「うん、」

「そんなふうに昔からの友達を大事にできるなら、大丈夫だよ」


 確証はない。

 絶対でもない。


 でも、メアリは大丈夫だと思う。


「ありがとう、ルイ」


 涙を見せまいとする精一杯の笑顔に、気づかないふりをして微笑み返す。


 メアリを安心させるため、聖騎士になると決めたのに、今はこんなにも彼女が欲しいと思っている。

 いっそのこと、彼女の手を取って逃げてしまえば良かったのだ。

 学院からも、彼女の母親からも。

 そして、ひっそり結婚して、家庭を持つ。

 幸せなんて、それだけの簡単なことだったんだ。


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