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存在理由を確かめる殺人

「お、お前っ」


 ルイの額から冷や汗が流れる。

 少しでも動けば、首が飛ぶ。

 突きつけられているのは前からだけではない。


 前は、左手に、逆手で持ったナイフ。そして、後ろに回された右手。たぶん、同型のナイフだろう。金属特有の冷たさが首の前と後ろからジワジワと伝わってくる。


 身動きが取れない中、ルイは目だけを動かす。


 ヤブ医者のいたテラスからここまで十メートルはあるだろう。

 なにより、医者の前には手すりがあった。

 最初の投擲(とうてき)から肉薄までは一瞬だ。

 こんな動き、ただの医者ができるわけがない。

 ヤブ医者に目を戻すと、彼は殺意のこもった冷たい目をルイに向けていたが、破顔とともに殺意は消滅する。


「殺し合いに礼儀なんて必要あるかい? 本当に殺したいならボクは不意打ち狙いでいくよ。相手に、『殺された』って意識も与えない。これって最上級の優しさだと思わない?」


 言いながら、ヤブ医者はナイフをルイから離す。

 離れると同時に、ルイは緊張から解放され、その場に崩れ落ち、肩で息を繰り返す。


「おっと、やりすぎたかな? 寸止めって難しいんだよね。基本的に殺してなんぼだからさ」

「お前、本当にただの医者か?」


 ルイはヤブ医者を下から睨みつける。

 問われたヤブ医者は、首をかしげながら両手のナイフを天に放る。


「ただの医者とは言ってないよ。一応はお医者さんって言っただけ」


 落下してくるナイフは、空中で液体へと変化して、ヤブ医者の両腕にそれぞれ絡み付き、普段つけている手枷(てかせ)の形になる。

 手枷に変化したそれを、ルイはまるで手品でも見せられた子供のように、真剣に見つめる。

 その視線に気が付き、ヤブ医者は「ああ、これか」と、鎖を鳴らして手首を持ち上げてみせる。


「メルクリウスっていう、意志を伝達する金属。これが、ボクが賢者として一人前の証。そして罪人だという戒め」

「賢者は、ほとんど存在しないって……」

「うん、イースクリートとの停戦条約、食料を分けてもらう代わりに賢者は政治に介入するなってね。実際、遺伝の問題で数はだいぶ減ってるよ。だけどさ、食べていくためだもの。多少の嘘はついてもバチは当たらないでしょ?」

「じゃあ、賢者は存在していて、そんなバケモノじみた技を使う連中がお前の他にもいるってことか?」

「さあ、どうだろうね?」


 ヤブ医者はルイの隣にストンと腰を下ろす。「こんなに血気盛んな賢者はボクくらいじゃない? まあ、それも昔の話だけどね。自ら戦うってことは、自分を危険にさらす自虐行為だよ。賢者は頭はその名の通り賢いんだから、自分では戦わないのさ。そんなこと、ゴーレムとか、ホムンクルスって人工生命か、疑似生命って言えばいいのかな。人外にやらせておけばいいんだよ」


 つまり、ヤブ医者は自虐行為を行ってきた変態というわけだ。


 そこでふと、ルイはあることに気づく。「クレモネスの軍隊は……人外で組織されてるということか」

 「人外」という言葉を口にすることをためらってしまう。

 この病院で養われる子供たちも、そう言われて捨てられたりしたのだろうから。


 ヤブ医者はそれを察したのか、手を振る。「この場合は奇形とかじゃないよ。ゴーレムとかホムンクルスはヒトとカウントしないんだ。

 国民も国にとっての資源だと定義するなら、戦場に人間を出すのは矛盾しているんだよ。自国愛? 忠誠心? そんなの古いよ。家族のために戦うっていうなら、最前線なんかで戦わず、家の前で剣を構えていればいいのに。なんで国のために死ななきゃいけないの? 意味わかんない」


 ヤブ医者の言うことは正しい。だが――


「戦士としての誇りや矜持(きょうじ)は、国を守ってこそ保たれるものだから」

「そんなの自己満足じゃん。守るためってさ、自分を鼓舞(こぶ)するための大義名分じゃないの?」

 ヤブ医者は大きなため息をつく。「だったらさ、守るためだったら何人殺しても構わないってことにならない?」

「確かに、そうだが……じゃあ、なんでお前は殺したんだ?」

「弱点突かれたからってさ、そういうの揚げ足取りって言うんじゃない?」


 図星だった。


 でも、純粋な疑問だった。

 戦争で国民を戦場に出すのは愚の骨頂と言っているようなものだ。

 それなのに、このヤブ医者の殺人術は一人二人殺した程度で身についたものではない。それも、無抵抗の相手を殺したとかでもない。

 「一応は医者」なのだから、人体の弱点を知っている。

 だから、殺すとしたら一瞬で致命傷を与えられるはずだ。

 たぶん、セクトリアの王の指先や、階段騎士に相当する手練れと戦った経験があるはずだ。


 などとルイは真面目に考えていたのだが、その答えは冒涜(ぼうとく)だった。

 殺された者に対しても、強くなろうと研鑽(けんさん)を重ねる者たちに対しても。


「特に意味なんてなかったよ」

 ヤブ医者は軽く視線をルイに向けて言う。「腐れ外道の気違いって、ボクを殺しても構わないよ。ボクはいつでも殺される覚悟――ってまでは言わないかな、いつ殺されたって、死んだって、それは決して珍しいことじゃないって知ってる。

 人は等しく誰かに殺される可能性と殺す可能性を持ってるんだよ。ただ、そんなこと意識して生きてなんていられないからね、ただ忘れてるだけ。平和が、コミュニティが内包する危険を隠してしまっただけ」


 ヤブ医者が言うその世界は、ルイの幼い頃の世界のすべてだ。


 魔女は一人で生きていたら誰にもばれず、平穏に暮らせただろう。

 だが、群衆の中に放り込まれ、魔女はその能力を隠さなければなくなってしまった。

 魔女でなくとも、罪を犯す、人を傷つけるものは存在する。その存在を忘れているからこそ平和に暮らすことができる。

 しかし、何も知らず、狼除けの檻の中で飼われた羊は牧羊犬の鳴き声にさえ、恐れおののく。そして逃げ惑う。


 恐怖心が、暴力へと変わるのは予定調和だろうか?


 羊は、牧羊犬に吠えられなければ、噛まれなければ、平然の草を食んでいる。

 なぜ人はそれができないのか?

 一度、「敵」だと植え付けられた意識の種は、人々の心に深く根付いてしまう。

 羊なんかよりも、優れた頭脳を持っているはずなのに、少しの違いを許すことができない。


「なあ、」


 ルイはヤブ医者に問いかける。「その腕輪、罪人としての戒めっていったな?」

「うん」

「いつ殺されてもかまわないって、罪の意識はあるってことか?」

「罪かぁ、そもそも罪の定義がボクの中でしっかりしてないから、たぶん世間一般的な罪の意識はないと思うよ」


 そう言って、彼は諦めにも似たた笑みを浮かべる。「ボクってさ、はっきり言って頭のネジが結構足りなくて、パーツも足りてないんだと思う。こんなこと言ったらお父さんに申し訳ないけどね、どうしようもないんだ。いまさら、虫とか動物が何かに擬態するように、自分を偽って人の輪の中に溶け込もうなんて、はっきり言って気持ち悪い。ボクにとってはね、普通に人の輪に溶け込んでる、輪郭のはっきりしない人間のほうが異常なんだよ。没個性ってやつ? 知らない人と溶け合って混じりあって、自分が消えていくんだよ。いつ死んでも構わないけど、消えるのだけは嫌なんだ」

「消えたくないから殺したのか?」

「いや……」


 ヤブ医者は首を横に振って答えようとするが、押し黙る。


「どうかしたか?」

「ううん、ただ、君に言われてそうだったかもしれないなって。ボクを育ててくれたのは大好きなお父さんじゃないんだ。賢者の世界にもいろいろあってさ、ボクはお父さんから引き離されちゃったんだ。

そこで、『人を殺せなきゃ賢者とは言えない』って、無理やりナイフを握らされて、人殺しを強要されたんだ。殺さなきゃ、色々酷いことされてさ。それこそ、死んだ方がマシだと思えるようなこと。

 でも、確かに人体実験は必要なんだよ。生きてる人間のためにさ。それを免罪符にするつもりなんて更々ないけどね。そのうち、探究心で人を殺すようになった。この殺人術は、人体実験の賜物(たまもの)かな。

 人体の可能不可能、そして感覚、そこから生じる錯覚や心理。それらを知ることでスマートに殺せるようになっただけ。人なんて、ボクの探究心を満たすための素材に過ぎなかったんだ。そう思ってる賢者は少なくはない。同時にね、殺しまくって、そこから得たデータを元に研究を重ねていったら、いつかまたお父さんに会えると思ったんだ」

「一言いいか?」

「何?」

「すごく、本気で、お前を殴り飛ばしたい」


 その言葉に、ヤブ医者は一瞬きょとんとするが、満面の笑みでいう。


「それくらい構わないよ。あー、でも顔はダメかな。ボディのほうでお願い。なんなら刺してくれてもいいよ」


 こいつは、度し難いほどの変態だとルイは確信にいたる。


「誰が刺すか。お前を殺したら、ここにいる子供たちが悲しむだろ」

「悲しむかな?」

「悲しむ」

「そっかぁ」


 悲しまれることがそんなにうれしいのか、ヤブ医者は頬を染めてヘラヘラと笑う。

 はっきり言って、気持ち悪い。


「さっきさ、罪の意識はないって言ったでしょ?」

「ああ、」

「罪はわからないよ。だけどお父さんが、『私を殺せ』って言ったんだ。お父さんのこと好き好き大好きって言ってるのにだよ? 

 だったら、別の誰かに私が殺されたらどうする? って。そりゃもう記録にも残せないようなエグい拷問して殺すって。そしたら、誰かを殺すことはそういうことだって。誰かに恨まれること、殺した人の数、それとその人と関わりのあった人間、それだけの数の苦しみと悲しみはずっとボクにつきまとって、離れないって。お父さんも、ボクのことを許さないって。人を殺すことはそういうことだって教えてくれた。

 でも、人の魂は死んだら――錬金術の世界だとね、マクロコスモスに行って、生まれ変わるんだ。だから幽霊なんて存在しない。だけど、遺族は確かにいるだろうね。でもさ、さっきも言ったけど、ボクはいつ死んでも構わないんだ。ただね、お父さんに嫌われるのは嫌だから、お父さんに好かれるようなことをしようって。病院を建てたのもそれだけの理由だよ。

 恥ずかしい話、ボクは誰かに愛されたいんだ」


 ヤブ医者は、まるで罪を告白するように呟く。膝を抱えて。


「たくさん勉強したし、解剖もした。でも愛だけは見つからなかったんだ。ボクもね、おとぎ話は好きだよ。愛と勇気があれば大抵の願いは叶うからね。純粋に、それを信じてたんだ。勇気は人殺しで身につけたよ。でも愛は見つからなかった。自分の中にあると思わなかった。だから、愛をくれる人が欲しかったんだ」


 ヤブ医者は、足元の草をむしって、放り投げる。

 それは夜風に乗って、流されてしまう。


「ったく、何が悲しくて君にボクの一番恥ずかしいこと話さなきゃだめなんだよ」

「……お前が自分で話したんだろ」


 私は悪くない。


 最悪なことに、どうやら私はこの変態と根底に抱えたものは似ていたようだ。

 たぶん、ヤブ医者は愛してくれる人を探し回って、それが物語に出てくるような純粋なものではないと知って、癇癪(かんしゃく)を起こし、殺しに走ったのではないのだろうか?

 そんなものはたぶんこの世には存在しない。

 あったとしても奇跡だ。


 私も、ヤブ医者も、物語に毒されて純粋な愛を求めた末、片や他人の血、片や己の血で手を汚すだけで、愛を手にすることができなかった。


「愛の裏返しは、憎しみだったか」


 ルイは呟く。

 手の施しようのない、馬鹿な負け犬同士の語らいの夜だ。


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