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子供は大人にさせられる

 年末、数日分の荷物を持ち、迎えに来た馬車にルイは乗り込む。


 三日ほど前から雪は降り続き、道は完全に雪に覆われている。

 ボタ雪が降る中、馬車はのんびりと西へと向かう。

 雪化粧が施された林を抜け、今度は北へ。


 うたた寝をしていたルイが目を覚ますと、窓の外には見知った風景が広がっていた。

 たった三か月程度離れていただけなのに、とても懐かしいと思えた。

 屋敷にたどり着き、出迎えてくれたのは使用人たちとハウエルだった。


「おかえり、雪で遅くならないか心配してたんだ」


 ハウエルはルイと軽くハグをする。


「ただいま。……父さんは?」


 次男の帰省には興味がないのか、とルイは思ったが、ハウエルの表情からそうではないことを知る。


「なにか?」


 使用人は黙々と、ルイの荷物を彼の部屋に運んだり、濡れた外套(がいとう)を脱がせたり。この話には触れたくない、という雰囲気がにじみ出ている。

 ハウエルはルイを暖かいリビングに招き入れながら言う。


「ここ数日かな、寒さのせいだとは思うんだけど、具合が良くないらしい」


 ハウエルの言葉に、ルイは窓の外に顔を向ける。


「医者には見せたのか? まだなら、雪で道が塞がれる前に――」

「もう呼んで見せたよ。だけど、原因はわからないって。医者は過労じゃないかって。しばらく様子を見るために安静にって。今も自室で休んでるよ」


 その言葉に、ルイは軽く肩をすくめる。「てっきり、父さんが出迎えなかったのは俺に価値がないからだと思ったんだけどな」

「そんなことはないよ」


 ルイは学院を卒業したら、完全にこの屋敷を出ることになっている。

 神学院に進むことを強要された時、父からルーマルク家のしきたりを伝えられた。


 長男以外は聖職者となり、家を出る。


 昔ならば、身勝手なしきたりだと食ってかかったかもしれないが、すでに議員補佐として働き始めた兄や、それに伴い、一人で食べる夕食。遠からず、この家に自分の居場所がなくなると、予期していた。


「寝てるかもしれないけど、父さんの様子を見てくるよ」

「ああ」


 厳しい父親。だが、今学院の厳しい決まりに耐えられるのも、騎士になるための訓練についていけるのも、父の厳しさ――厳格さのおかげだ。


 冷たい手すりに手を乗せ、ゆっくりと階段を登る。

 家の中でも息は白くなる。

 広い屋敷全体を暖めるのは難しい。

 階段を登り切って、長い廊下を進んだ先、二階の一番奥が当主の書斎。その右隣に寝室の扉がある。

 軽くノックするが、返事はない。

 「失礼します」と言って扉を開け、室内へと足を踏み入る。


 厚手のカーテンは閉ざされたまま。

 外の降り続く雪のせいで室内は昼間だというのに蝋燭を灯さなければ本も満足に読めないほど暗かった。

 扉の対面に、天蓋付の大きなベッドがある。

 そこに、白髪の壮年の男が横たわり、目を閉じている。

 ルイはそっと扉を閉め、ベッドへ近づく。


「……ハウエルか?」


 突然、父が口を開いたので、いつもの癖でルイの身体がこわばる。だが、それは一瞬だ。起こしてしまったかと、申し訳なく思う。


「ルイです。ただいま学院から戻りました」

「そうか、ルイか。頑張っているか?」

「……はい」


 横になったままの父親の枕元に立つ。

 いつも綺麗に剃っている髭は伸びっぱなし、髪も元々金髪であったのに加え、白髪が増えて、真っ白に近い。


 家を離れて三か月、こんなにも父親は老けていただろうか? と、記憶の父を引っ張り出そうとする。


「お加減が悪いのですか?」

「なに、感冒(かんぼう)だろう。あれはヤブ医者だな」

「そんなことは――」

「妻の時もだ」


 ゆっくりと開かれる瞳。

 その瞳はハウエルと同じ群青。遠い空の色。

 ルイを見るわけでもない。虚空を見つめ、勝手気ままに語り出す。


「しばらく横になっていれば良くなるとな。……いや、アレは医者の言うことを聞かなかったのかもしれんな」


 アレというのは、ルイの母親のことだ。


「乳母に呼ばれて妻の寝室に行ったらな、お前を抱いたまま死んでいた」


 母親はルイを産んだ後の肥立ちが悪くて亡くなったと聞かされていた。

 それが、自分を抱いたまま死んでいたなんて、初めて聞いた。当然、ルイには生まれた頃の記憶なんてない。


「アレはな、(めと)った時から……よく喧嘩をした。女のくせに生意気だった。放っておくとハウエルを甘やかすばかりで、身勝手な女だったよ」


 母親が、子を甘やかすのは当たり前のことではないだろうか?

 いや、腹を痛めて産んだ子でも、捨てたり、売ったりする親は存在する。


「大人しくしていろというに、アレはお前に乳をやりたいと。乳母は、自分のせいだと頭を下げてきたが、妻の自業自得だ。少し辛抱すれば、いくらでもお前に母乳を与えられただろう」


 青い瞳と目が合う。

 ルイの瞳は、父と兄とは違う薄いスミレ色。家族の中で唯一異なる、残された色。


「お前は、もう二十歳だろ? 何も変わらんではないか。アレにそっくりだ」


 そう言って父親は笑い、目を閉じる。しばらくして、穏やかな寝息をたてはじめた。

 サイドテーブルに置かれた薬袋。

 たぶん、薬の副作用だろう。

 突然、かたくなに語らなかった母のことを語り出したのも、副作用だろうか?


 ルイは、多少乱れた布団を、身体が冷えないようにとかけ直してやる。

 そして、静かに部屋を後にする。

 階段を下りながら、ルイは思った。


 父親との間にあったわずかな齟齬(そご)


 それは、妻が最後に残したものが、「妻」そっくりだったからではないだろうかと。

 ハウエルに比べて生意気なほうだとわかっていた。

 だが、自分の母親も生意気だったなんて知らなかった。

 母親の記憶は一切ないのだ。

 だから、偶然の一言で済まされることだ。しかし、父親は拘泥(こうでい)してしまった。


 いつか、生意気が、身勝手がルイの身を滅ぼすのではないかと。


 そこに到達した時、思い出すのはディートタルジェント家で見たものだ。

 雪は、止む気配を見せない。それどころか、強くなる一方だ。

 ディートタルジェントの家に行くのは明日にしよう、そう思い、ルイはリビングの扉を開ける。

 暖かな空気が彼を迎え入れる。


   *


 夜の草原で、虫が鳴いている。


 日中、子供たちが遊んでいる庭。そこに転がった一本の長い木の棒を手に取り、ルイは両手で握りしめ、正面で構える。


 突くことに特化したフルーレの場合は、相手に対し、剣を手にした利き手側、身体の側面を相手に向ける。

 フルーレの型もルイは身につけていたが、あれは身体の柔軟性が求められる。

 抜糸をして間もない身体には荷が重い。


 正面で構えた木の棒をゆっくりと振り上げ、素早く振り落し、ウエストの位置でピタッと止め――ようとするが、腕の筋力が衰えているため、木の棒はあっけなくルイの手を離れ、地面に落ちる。


 虫は鳴きやまない。


 腰を折って、落とした棒をつかみ上げると、後ろに気配を感じた。


「盗み見か?」

「隠してるつもりはないでしょ?」


 ルイが振り返ると、一階の待合室とつながるテラスの手すりに頬杖をつくヤブ医者の姿があった。


「まだ起きてたのか?」

 とっくに日付は変わっている。


 ヤブ医者は微笑みながらこたえる。「自由に動けるようになってからが一番危険だからね。一応監視させてもらってるんだよ」


「自殺するんじゃないかって?」

「そういうこと。でも、その分だと自分で自分を殺す気はなさそうだね。いや、勝てないとわかっている相手に挑もうというのなら、それは自殺に等しいかな?」


 まるで独り言のように言って、ヤブ医者はクスクスと笑う。

 そんなヤブ医者をルイは睥睨(へいげい)し、再び、ヤブ医者に背を向けて木の棒を構え、振りかざす。


「たぶん、正攻法では君は勝てないよ」

「ただ邪魔をしにきただけなら――」

「そんな型にはまった戦い方は、殺しには向いてない」


 虫の鳴き声が消える。


 瞬時に感じ取った殺気に思わず振り返り、飛んできたソレを咄嗟(とっさ)に手にした棒で横に薙ぐ。


 投擲(とうてき)物は細い棒で振り払うことはできたが、棒は簡単に折れる。

 同時に、ルイの手に重さと痺れが走り、折れた棒を手放す。

 後ろに仰け反った状態の首元に、月光に鈍く光る銀のナイフが突きつけられる。


 突きつけているのはヤブ医者だ。


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