聖者の国の矛盾
イースクリートの首都セレネ、そこから少し南西に下ったところにルイの通う神学院はあった。
小高い丘の上にあり、周りは背の高い針葉樹や、ケヤキなどに囲まれていて、聞こえるのは鳥のさえずり、学生たちのはしゃぎ声くらいだ。
それも、新年度である秋口以降はぱったりと止む。
学院は全寮制で男性のみの女人禁制。
食堂で働くのも男性だ。
隣に聖エリエゼル教会があるが、そこに数名の老シスターがいるだけ。
女性からの手紙は没収され、女性へ手紙を送ることも禁止されていた。見つかったら説教部屋行きだ。
母親からの手紙は、担当教員の前で開封、その上で音読しなければならない。
徹底的に「女性」が排除された世界。
そこで神学を学び、信仰心を燃やし、ただ黙々と単位を取得し、論文を書くことに勤しむための場。それがこの聖ダルダ学院だ。
男ばかりの学校となれば、暴力沙汰など日常茶飯事の荒れた学校――いくら、なんでも神学を学ぶところでそんなことはないとルイは頭を振る。
いや、そんな生ぬるい想像どころの場所ではなかった。
相手がどこの貴族の子息であろうと、容赦はしない。
依怙贔屓の一切ない、徹底的な平等生活。
それに耐えられないと、入学一か月、二か月ほどで自主退学した者は少なくなかった。
ただ真面目に授業を聞いて、学校の聖堂に書かれた規則を守ればいいだけのこと。
父親に厳しく育てられたルイにとって、それは当たり前だった。
だが、世の中には男児だろうが、兄弟がいようが関係ない。猫っ可愛がりの上に甘やかす親馬鹿が存在する。
イースクリートにも貴族は存在する。ただ、商業で栄えた新興貴族の割合が多く、そういった家の男児に限って問題を起こす、教師に叱られ、退学処分となる。
となると、颯爽と親が現れて教員に頭を下げるのだ。
学院に入ってできた友人からそんな話を聞き、ルイは首をかしげた。
本来謝るべきなのは、規則を犯した学生のほうではないのか? なのになぜ親が謝りにくるのか?
ルイは「金の力」というものを知らなかった。
ルイだけではない。旧家出身の学生たちも一緒に首をかしげた。
それに対し、新興貴族の家の子息が説明するのだ。
――世の中には、お金を払えばなんとかなると思っている奴がいる。「ごめんなさい」と頭を下げるより先に、チップを投げてよこすような人間がいる。
実際、お金で学生の退学処分は取り下げになったのか?
なるわけがない。
謝罪のつもりできた父親は、「あなたたちの教育も、考え方も間違っている!」と説教をくらい、肩を落として帰路につく、ルイはそんな親を数人、寮の窓から見たことがあった。
純粋にかわいそうだな、と思った。
親は何も悪いことはしていない。だが、教員の言葉を借りれば、教育に間違いがあった、それが巡り巡って退学という結果を産んだのだ。
そう考えると自業自得なのだが、やはり他人の親であれ、その寂しい背を見ていい気はしなかった。
授業についてこれない学生に関しては、補習授業が行われるだけで、教員は叱りはしない。
一クラス三十人程度、その全員にわかるように説明するのは何年も教師をやっていても難しいし、教師に問題がある場合もある。教師も完璧ではないと語った。
教員は皆、学生に対して厳しくあったが、自身に対してもまた、厳しいのであった。
聖ダルダ学院は聖職者を目指す者のための学校であり、学生のほとんどが聖職者の中でも司祭など、上の位を目指す人間のための学校だ。
だが、ごく少数であるが、聖騎士を目指す者もいる。
ルイはその一人だ。
イースクリートの場合、学院の下、高等学校の科に騎士科があり、高等学校卒業時点でイースクリートの聖天井騎士団に入団する者もいるという。
だが、現状イースクリートは北のクレモネスとは食料のやりとりはしていても冷戦状態。いつ戦争が再開されるかわからないのだ。
騎士や兵士はいつ死ぬかわからないのだ。
誰だって、いつ死ぬかわからない。――そうではなく、有事の際、一番死に近いところにいるという意味だ。
それで、問題を先送りにするため、高等学校の上の神学院に入学させて、入団を先延ばしにしている人も少なからず存在している。
そういうクラスメイトに話しを聞くと、「自分はすぐにでも入りたいんだけど、母親が泣くからさ」と語った。
聖ダルダ学院から、中央騎士養成所はすぐだ。
歩いて十五分ほど。鬱蒼とした林の中の一本道を進むと、その裏手に出る。
広い屋内訓練所。その二倍以上はあるであろう、屋外訓練所。
授業は午前と午後で分かれており、開いてる時間にカリキュラムをこなしていくシステムになっている。
ルイは基本的に学院での授業もあったので、午後の訓練を受けていた。安息日は午前の訓練は休みなので、ほぼほぼ午前の訓練という訓練生とは顔を合わせたことがなかった。
訓練生と仲良くなると、講師は誰それがいいとか、訓練生の中でもアイツは強いとか、訓練所ならではの噂を耳にするようになった。
そして、ルイは耳にする。
――午前組にバケモノがいる、と。
養成所での勉強はまず、座学から始まった。
イースクリートは、聖始祖の教えを元に法を作った。その中で、「殺人」とは絶対に行ってはいけないことであり、これを犯した者はもっとも重い罰がかせられる。
一番重い罰と言われて思い浮かぶのは死刑、その中でも公衆の面前で行われる公開死刑。
イースクリート以外の生まれの者ならば、そう思い浮かべるだろうが、この国に「死刑」は存在しないのだ。
どんなに残虐非道な人間であっても、終身刑である。
そんな国が、他の国と戦うための戦力として、騎士団を筆頭とし、軍隊を持っているのは矛盾している。
「殺さない」という掟は、もしかするとイースクリート国民にのみ適応されるのか?
否、他国の人間も殺す気はなかったのだ。
あくまでも自国の防衛とけん制を目的とした――ハリボテだった。
北の大国クレモネスの食料自給率から端を発した大戦。それよりもさかのぼること五十年前。
イースクリートは南の、現バハル・トルバ共和国から攻め入られる。
南のバハル・トルバ共和国は土地にも気候にも恵まれた国だが、南大陸から来る魔物による被害が深刻な問題となっていた。
共和国最南端に位置するレビ・トラグダオは、魔物の繁殖期である春と秋は毎日が魔物退治。
原住民にとってみれば、魔物退治は日常茶飯事。
だが、いざ共和国になって、東大陸の南半分で足並みをそろえようとすると、魔物による家屋の損壊、道の補修など、税金の問題が発生した。
共和国なのだから、レビ・トラグダオにだけお金をかけるわけにはいかない。
そもそも、南側は北側に比べ国として遅れていた。その遅れを取り戻すために共和国になろうとしたところで、これでは発展もままならない。
魔物退治で税金は飛んでしまう。
バハル・トルバの国々は魔物を退治していくうちに身につけた独自の戦力があった。
それを使い、もっと安全な土地を――
そうして、一本の狼煙からイースクリート南部への侵攻が開始された。
バハル・トルバからの先制攻撃に対し、イースクリートは防衛に徹する。
その間、バハル・トルバの軍師に対し、何度も和平交渉の文を届かせようとしたが、バハル・トルバは一歩も後退せず、向かっている相手が無防備であろうと、槍を向けた。
戦争はすでに始まっている。
一方的に始まってしまった戦争を止めるため、会議が開かれることとなる。
今まで、武器を持っても相手に攻め込まず、現状、攻め込まれても守るばかりで槍返すことはしない。
和平交渉も無駄足。
イースクリートに与えられた選択肢は、国境線を北上させるか、侵略者と戦うか。
昼夜問わず、不眠不休でイースクリートの二院、王室側の貴族院と教会側の聖族院の間で議論は続く。そうしている間にもイースクリートの軍は負傷し、後退を余儀なくされる。
その窮地に駆けつけたのは、当時属州国扱いだったセクトリアだった。
セクトリアの法は、イースクリートの法の写しではなかった。
根底にあるのはやはり聖始祖の教えだったが、内側に「魔女」という火薬を抱えていたので、死刑を用意していた。
そして、魔女に対する戦力も持っていた。
国内の異分子に向けるための剣先は、奇しくも本国を守るための不意打ちとなった。
いまでこそ、セクトリアはバハル・トルバ共和国との国境が存在するが、その場所はかつての戦場、まさに攻防戦が繰り広げた場所だ。
東大陸の西、馬が通れるギリギリの林の中を南へと進み、日が暮れ、寝静まるバハル・トルバの陣地を西から騎兵部隊で一気に蹴散らす。
バハル・トルバの陣地は国境線にそって左右に広がっていたため、左翼が奇襲を受けたと知り、右翼の兵が援軍として押し寄せる。
騎兵隊はそれを合図に、イースクリートの陣地へと進路を変更する。バハル・トルバ側の右翼に対しては、続く歩兵部隊が槍と弓でもって迎撃する。
騎兵隊が左翼を蹴散らした時点で火を放たなかったのは、次の歩兵部隊の奇襲攻撃のためだ。
暗さに目が慣れないまま、バハル・トルバの右翼は救援に向かってくる。そこを、夜闇に紛れた歩兵部隊が迎撃する。
歩兵部隊もまた、騎兵隊と同じ進路で退場する。
奇襲は成功だった。
バハル・トルバがその時、国境に配備していた戦力の三分の二をたった一夜で奪った。
一時休戦状態にすることができたものの、バハル・トルバは諦めなかった。
一週間後には増援を送り込んできた。
だが、その一週間の間に、イースクリート議会は法の改定を行った。
――一方的に攻め込まれた場合、民を守るため、敵国に対して武力で応じる。
こうして、イースクリートは「戦える」軍隊を保有することになる。
そして、中央騎士養成所の門は一般人にも開かれるようになる。




