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幽霊になった僕 1

遅れましたがどうぞ

 結論を言うと僕も七海も生きていた。それも無傷で。気が付いたら自分の家のベッドの上だったような。はっきり憶えてないけれど。

 目が覚めてすぐに七海からかかってきた電話に出て、二言三言くらい話した後、「やっぱり夢だったのかよ!」とか言って寝たような。

 だからこそ、今日、七月二十五日に鹿野子かのこ公園の古いベンチで待ちぼうけしているに違いない。

 そんなことより暑い。早く来てくれないかな。……っていうか、大慌てで部屋を片付けた意味なかったよな。

 


「ユウくんお待たせ~!」


 願いが叶ったのか、七海が手を振りながらやってきた。目が合うと七海は笑い、片手で白い帽子のつばを押さえながら走りだした。

 僕は向かってくる彼女を眺めながら、水色の肩が開いたブラウスにショートパンツの組み合わせが絶妙だとか思っていた。あしとか肩がむき出しのファッションって何なの。誘ってるんじゃないかと勘違いするんだけど。余計なトラブルを防止するために廃止すべきだと思う。廃止したら夏の楽しみが一つ減るか。それは嫌だ。 


「ナツ……暑くて死にそう」


 顎にまで伝った汗の粒を腕で拭う。べっとりとして気持ち悪かった。


「おおぅ、新手の遅いんだけどアピールですな」

「そういうわけじゃないけど……」半ば図星だった。


 この憎たらしいくらい晴れ渡った真夏の空の下、日光浴を強いられていたら誰だって地獄を連想するだろう。ドタキャンの鬼コンボが成立しなくて本当によかった。


「ふぅーん?」


 七海は目を細めた。それからくるりと回って、「おいでおいで」と手招きした。上機嫌。僕の頬も自然と緩む。


「はやくー!」

「はいはい」


 もう一度汗を拭って立ち上がる。この無限に湧き出る汗はどうにかならないかな。もの凄い勢いで体内の水分を逃がしてるように見えるけど熱中症にはならないらしい。そんなことより、汗臭くないか? 家を出る前に制汗剤を浴びるように吹きかけてきたけど心配だ。


「はい、は何回でもいいけど早く動いてよ」


 彼女から催促の言葉が掛かる。仰る通り。僕は急いで駆け寄った。


「あれっ……」


 七海は手提げの小さなカバンの中を弄りながら首をかしげる。

 もしかして財布を忘れたのでは。

 彼女の場合、「財布忘れちゃった」からの奢られる流れを是としないので、いったん取りに戻るはず。僕としては七海に奢る前提(奢ったことないけど)で準備をしてきているから、どちらでも構わない。むしろ「奢ってよ」という言葉を期待していたりする。


「財布忘れちゃったみたい……」


 ほうら見ろ。ここまでは長年培ってきた妄想での理想ルート。そして巧みな話術で上手く七海の家に上がり込み、コトに及ぶのが健全な高校生の在り方だ。

 いやそんな度胸ないですよ? 未だに告白すらできないヘタレですもん。

 告白。そうだ、昨日、夏祭りに告白するって意気込んでたけれど……。夕べはずっと寝ていたのだろうか。それにしては記憶が鮮明すぎるし。僕が七海に誘われて出向かないわけがないし。全て現実だとしたら、僕が自分のベッドの上で倒れていたのはおかしいよな。頭が痛い。何か途轍もない存在が、僕に向かって考える事を禁止しているみたいだ。


「どうしたの、熱中症? もしかして待たせすぎちゃったかなァ?」

 

 額を押さえている僕を見て、七海が心配そうに声を掛けてくれた。熱中症。確かに可能性としてはありそうだ。


「何でもないよ。それで、財布忘れたんだって?」

「あ、うん、入れたはずなのになぁ。ユウくんも気分が悪そうだし、一回うちに来なよ。お茶出すから」

「喜んで」


 なんて完璧な流れなんだろう。妄想が現実になったみたいだ。これも夢だったとかいうのは勘弁してほしい。むしろ夢でもいいから醒めないでほしい。

 僕が余計な思考を振り払った時には、七海の背中が遠ざかっていた。


「あっ、ナツ! ちょ、ちょっと待ってよ!」


 僕は慌てて彼女の背中を追いかけた。途端にあちこちから聞こえる蝉の鳴き声。まるで笑われているみたいだ。

 ふと、空を見上げる。雲ひとつ見当たらない真夏の晴天。視線を戻せば愛しい人の影がアスファルトの上で踊っている。

 夢幻ゆめまぼろし。とてもはかないもの。そんな言葉が僕の脳裏をよぎって消えた。



☆ ☆ ☆



「ただいま~」

 

 七海が玄関のドアを開けて中に入った。ほのかに感じる藍田家の香り。幼い頃から知っている香り。それでも久しぶりで、なんだか緊張してしまう。長らく疎遠になっていた友達と再び会う瞬間に似ているかもしれない。僕には友達なんていないですけど。


「あらお帰り、七海」


 待ってましたとばかりに顔を出した七海の母親の優子ゆうこさん。おかげで家にあがるタイミングを見失ってしまった。仕方がないので背中を丸めて隅の方で耳を立てる。ここで「あ、こんにちは! 僕です!」なんて切り出せるコミュ力は備わっていない。


「お父さんは……寝てるよね?」

「そうね。しばらく起きてこないかも」


 どこかの魔王みたいな顔をして言う。父親の安否が気になった。 


「もう帰ってきたの?」

「うん、忘れ物しちゃって。ユウくんもいるから先に私の部屋に上がって待っててもらうね。ほら、入りなよ」


 七海が僕に合図を送る。流石だ。僕にできないことをよく分かっている。

わざわざ出してくれた助け船にありがたく乗り込もうとした矢先、彼女の体を強く抱きしめる優子さんの姿が目に入った。

 嗚咽をもらして「大丈夫だからね、七海は悪くないからね」と何度も言ってる姿に僕は何も言えず、ただ黙って様子を窺っていた。

 七海も僕と同じように固まっていたが、ハッと我に返り、「意味分かんないんだけど! ユウくん見てるし、話はあとで聞くから!」と怒鳴った。けれども変わらず泣き崩れている優子さん。


「もう、ユウくんもぼうっとしてないでお母さんを何とかしてよ!」

「えぇ……」


 僕にどうしろと。とりあえず肩でも叩いて、ここにいますよって伝えた方がいいのか。

 この状況においての模範的な解答を見つけられず、恐る恐るといった具合で肩に触れる。しかし僕の指先は優子さんの肩に触れることなくすり抜けてしまった。


 そして気づいたんだ。僕も、七海も、僕たちに起きている異変に。

 

「なんだこれ……」


 それ以上の言葉がでなかった。七海も。両目を開いたまま微動だにしない。

 何度やっても同じだった。

 水の中に手を入れるみたいに波紋が生まれ、触れた部分が透明になり、そこを指が通過する。触っているはずなのに、優子さんは気づかない。気づけないんだ。

 きっと僕の声も聞こえなければ、姿も視えない。明らかに異常な事態だった。普通に考えたらありえないじゃないか。

 

「ナツ、聞こえる?」

 

 不安になって七海に話しかけた。


「うん」

 

 自分の母親に気を配ってか、七海が小さな声で返事する。おかげでいくらか冷静さを取り戻した。嫌な汗でぐっしょり濡れたシャツ。かすかな震えが止まらない。それでも不格好な握りこぶしをつくって息を整える。


「行こう」


 喉から絞り出した声。ほんとうは部屋に行こうと伝えたかったのだけど、上手く口から出なかった。七海は僕を見つめ、「先に行ってて」とだけ答えた。僕は頷き、履きっぱなしだった靴を脱いだ。



「おまたせ、やっとお母さんが落ち着いたみたい」

 

 そう言って七海は部屋に入ってきた。両手に持った冷たいお茶の入ったコップを置く。僕はおもむろにコップを手に取って眺めた。透明なガラス越しに浮かんでいる氷を見つめているとため息が零れてくる。

 彼女が来るのを待っている間、さっきの出来事について整理していたのだけど、何も分からないまま時間が過ぎていた。何も分からない。

 ふつう、こんな時ってどういったリアクションを取ればいいのだろう。じっと沈黙して解決するのを待っているのか、ヒステリックに叫ぶのか、或いは気のせいだと――自分が最も理解しやすい形に変えてしまうのか。

 こんなの非現実的だ。僕の中にある常識がそう訴えかける。常識。これは本当に正しいのだろうか。こんなことはありえないって一体誰が証明したのだろう。


「ええと、さっきのは何だったんだろうね。お母さんはユウくんのこと気づいてなかったみたいだし、いきなり泣き出すし……ユウくんは透明人間みたいになっちゃうし」

「透明人間か」また懐かしいあだ名を持ち出してきたな。


 僕が小学生の頃に、あまりにも影が薄すぎて付いたあだ名が透明人間だっけ。最終的にはそのあだ名すらも忘れ去られてしまったけど。


「なんだろうね、やっぱり、昨日の夢のせいかな」

「夢?」

「うん、昨夜みた夢。昨日って夏祭りだったじゃん? 私は今年もユウくんと一緒に行ったんだけどさ、あっ、これは夢の話だからね、起きたら真夜中で私はベッドの上にいたんだけど――」


 そこまで七海が言ったとき、僕は思わず声を上げそうになった。その夢を知っている。彼女の口から語られるはずの僕らの結末も。


「ナツ、その夢の最後ってさ」

 

 僕は七海の話を遮って口をはさんでいた。幻聴が聞こえる。アスファルトを転がるタイヤの音、激しいブレーキに伴う摩擦の音、逆光に包まれて消える彼女、キーンという耳鳴りがする。喉が渇いてたまらなかった。


「死ぬんだよな、僕ら」


 七海が驚いたように僕の顔を見た。それからゆっくりと頷く。あぁ、そうだ。僕はその夢を知っていた。彼女が見たはずの夢を。

 

「つまり、昨日の出来事は夢じゃなかった。現実なんだよ、全部」


 まだ夢である可能性もあった。たまたま同じ夢を見ることだってあるかもしれない。奇遇だなって笑い飛ばすことができた。そっちの方が車にかれて無傷で生きている、と言われるよりは現実味を帯びている。

 でも、僕は断言した。直感でしかないけれど。これは事実として起きたことなのだと確信したんだ。おかしいのは、昨夜、僕らがベッドの上で目を覚ましたこと。そして恐らく――ここにいること。

 重苦しさをはらんだ沈黙が訪れる。僕にはその沈黙を破る言葉を思いつけなかった。だから、風を受けて大きく膨らむレースのカーテンを無言で眺め、両膝の間に顔をうずめている七海の反応を待っていた。

 否定して欲しかった。妄想だって指摘されたかった。頭おかしいんじゃないのって引かれる方がずっと幸せだった。

 七海は膝を抱えたまま僕の方へ顔を向けた。


「私たち、死んじゃったんだよね」

 

 七海はそう言った。彼女の瞳が不安気に揺れる。

 

「……って言われてもなぁ」


 なんだか釈然としない。僕らはここで普通に会話している、気持ち悪い、もやもやとした何かをどうしても拭い去れなかった。

 突然、ポケットに入っていたスマホのバイブが鳴り出した。なんだよ、びっくりして心臓が止まるかと思ったじゃないか。なんて言いつつロックを解除する。殺人事件。どうでもいいニュースか。どうでもいい、なんてことはないかもしれない。けれど、僕にとって、事件の外側の人間にとって、所詮は絵空事でしかないんだ。

 ため息を混じらせてスマホを握りしめる。何もかも分からないまま。もう一度だけ記事を確認する。特に意味はなかった。いまこの瞬間の暇を埋めるためだけにとった行為。この事件もいずれ忘れ去られていくんだ。それで完結してしまうはずだった。でも――事件という単語が、僕の中で強烈な印象となって刻みついた。事件が起きれば記事になる。それは現象が確かに存在したのだという証拠となる。


「ナツの家って、新聞とってる?」

「え、うん、取ってるけど?」

 

 突拍子もない質問に戸惑いながらも答えてくれた。彼女からの訝し気な視線が突き刺さる。僕は気にせず矢継ぎ早に言葉を紡いだ。


「とりあえず持ってきてもらえるかな」

「分かった、ちょっと待ってて」

 

 手渡された今朝の新聞を食い入るように読んだ。鹿野宮市が発行している新聞。さまざまな文字で装飾された一面には夏祭りの賑わいについて書かれている。そんなことはどうでもいい。僕にとって重要なのは他の記事。焦りを覚えつつ一枚捲る。

 

「見つけた!」


 僕はある見出しを指で差しながら七海に見せた。そこには交通事故について書かれていた。細い縦長のスペースに記されている、七月二十四日に鹿野宮市北区九丁目で起きた死亡事故。男子高校生の一人が死亡している。その運転手は事件後に自首しているみたいだ。

 加害者に対する怒りだとか、被害者としての哀しみだとか、そんなことまで気にする余裕はなかった。ただ事故に巻き込まれて男子高校生が一人死亡しているという事実と、記されるべきもう一人の存在がないことで頭がいっぱいだった。


「ねぇ、これって……」

 

 七海の顔が青ざめる。


「ごめん、ナツ、確かめたいことがあるから帰る」


 それだけ告げて彼女の家を後にした。外は相変わらずの猛暑だったが、今の僕にはそれさえも些事でしかなかった。





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