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泡沫のような夜 4

「あぶないよ!」


 怒りを含んだ声。そして僕の手首を掴んでいる手。それが七海だと気づいたのは、直後に列車が耳障りな音を立てて通り過ぎてからだった。

 目の前に敷かれている見慣れた古い線路を見つめ、僕はびくっと身を震わせた。けたたましく鳴り響く警報機の音が徐々に意識を覚醒させてゆく。 

 どうやってここまで歩いて来たんだろう。よくおぼえていなかった。何度も見たことがあるこの景色ですら未知のものに思えてくる。これを未視感ジャメヴというのだと知ったのは、ずっと後になってからだ。

 このとき、僕は込み上げてくる恐怖を飲み込むことに必死だった。パニックに陥っている脳をフル稼働させて声を絞り出す。


「あ、ええと……ごめん」

「疲れてるの?」

「そう……かもしれない」

「けっこう歩いたもんね。でも、気をつけてよ? 私がいなかったら、ユウくんきっとかれてたし」

「あはは……」

 

 七海は冗談めかして言っているけど、ほんとうに危なかった。

 魔法にかけられたみたいに線路へ吸い込まれていく僕が、白黒で酷く殺風景な映画の登場人物としてグルグルと脳内を駆け回る。

 不器用な僕は、浮かび上がる映像をうまく制御できず、グロテスクな未来まで想像してしまい、立ちくらみと吐き気に襲われていた。

 気分を変えようとして線路の脇に生い茂るすすきに目を向けた。この種類は秋の花では? 鹿野宮市で変わっているのは人だけでなく植物もらしい。生態系は大丈夫だろうか。

 そんなことを思いながら踏切を越えた。足元はよりいっそう暗くなる。九丁目は踏切を境にして雰囲気ががらりと変わる。

 時代の流れに逆らうことができず、すっかりくたびれてしまった商店街が明かりを消して沈黙している光景。まるで取り残されたものが行き着く墓場みたいだ。

 ここを通るたびに思う。あぁ、僕もだって。普段、僕は周りのテンションについていけず置き去りにされているので、切れかかっている誘蛾灯ゆうがとうに群がる羽虫しか客のいない静かな商店街に共感を持てた。

 でも、よく考えたらお前らの隣には仲間がいるよな。僕の教室での基本スタイルはぼっちだけど。つまり僕の方が上位互換だ。なにこれ。むなしい。

 

「ユウくん? 何考えてるの?」


 七海が不思議そうな顔をして訊ねた。僕は曖昧に笑って首を振る。


「強いて言えば人生についてかな」


 それを聞いて納得したのか、彼女は「なるほどね」と言って頷いた。


「それってつまり、自分の存在感がなさすぎて、正面にいても素で空気扱いされてることについて嘆いてるの?」

 

 何でピンポイントなんだよ。しかも当たってるし。なんていうか、笑顔でナイフを突き立てられた気分だ。

 僕は、返事の代わりにため息を吐き出してがっくりとうなだれていた。付き合いが長いと遠慮が一切なくなるってのは考えものだよなぁ……。


「おーい、元気出せッ!」と言って、七海は僕の背中をバシバシと叩く。


 落ち込んでるのはナツのせいだからね。本人は自覚してないみたいだけど。


「私の家まではまだ距離があるからね。時間なくなっちゃうよ?」

「あれ? 泊めてくれる流れじゃないの?」


 時計を見ると二十二時をとっくに過ぎている。藍田家で朝を迎える算段だったのに。付き合ってもない年頃の男女がそれはまずいか。


「うーん、泊まってくのはいいんだけど、お父さんが帰ってくるまでだから。ほんとは明日の夜とかでもいいのにね。だからさ、今夜は……」

「今夜は……?」


 僕は生唾を飲み下した。同時に欲望に満ちた期待が指数関数的に増えていく。七海のくっきりとした端正な顔立ちを改めて意識してしまう。何だかんだで美少女に入ると思う。好きな人だからっていう補正はあるかもしれないけれど。


「徹夜でゲームだね! 寝たらすぐに起こすから覚悟しといてよ!」

「ですよね」

 

 淡い期待は裏切られる。そんなもんだ。

 落胆の中に少しだけ。ほんの少しだけ、楽しいから仕方ないかって気持ちが混じっていたのは、僕だけの秘密にしておこう。


   

 その時、僕らはちょうど薄暗い街路灯の真下に来ていた。


「あっ……」


 それがどちらの声だったか分からない。僕らが通りかかった時に運悪く寿命がやって来たようで、夜道を照らす白色の明かりがぷつりと途絶えてしまった。辺りの景色が漆黒に塗りつぶされる。

 和やかだった空気は一瞬で凍りつき、僕らの間に緊張が走った。ちなみに僕は違った意味の緊張も味わっていた。七海が声を押し殺して僕の腕にしがみついているのだ。やばい。七海の震えてる姿(実際は暗くて何も見えないけど)が破壊的に可愛い。

 

「早く……歩いてよ」


 消え入りそうな声が聞こえた。どうやら僕の足が止まっていたらしい。決して、足がすくんで動けないわけではない。僕一人なら恐怖に打ち震えていただろうけど……。それよりも深刻な事態が僕に降りかかっている。

 よく考えてみてくれ。今、七海は僕の腕に抱きかかえる体勢になっている。想像力を働かせればすぐに分かることだけど、歩くたびに控えめながらも確かな弾力が……。だめだ。刺激が強すぎる。非常事態なのに僕だけが幸せに浸ってるとか罪悪感が半端ない。それでも体は正直だ。この一秒一秒の間にも痺れるような快感を堪能している。

 はやく気を逸らさないと。何となくジーパンのポケットに手を入れてみる。


「……ちょっと待って。スマホのライトをけるから」

「ユウくんが冷静だなんてショック。てっきり怖がってるのかと思ってたのに」

「失礼な。震えてるナツに言われたくはないね。というか、ライト消すよ?」

「消したら自分も困るじゃん……」


 たしかに僕も困る。ふざけていたら一向に進まないし。だんだん怖くなってきたし。幽霊とか出てきたらどうしよう。いや、そんなの信じてるわけじゃないけどさぁ。

 不安が募ると最悪な未来を想像してひとりで怯えるのが僕の性格である。僕はそれを臆病おくびょうだと思っている。七海はちょっと悲観的なだけって言うけれど、臆病と何が違うのか分からない。  


「ユウくんもしかして……」

「トイレは行きたくないからね」

「うん知ってる」


 それからしばらく沈黙が続いた。慎重になればなるほど口数は減るもの。僕も七海もこの心許ない白光を見つめ、足元に注意を払いつつ歩いている。

 さらに歩くと青白く発光している看板を見つけた。闇の中だと看板が宙に浮かんでいるように見えて気持ち悪い。僕は目を凝らしてそこに何が書いてあるのか確かめる。左折を意味する矢印の下に小さく刻まれた文字。掠れきって今にも消えそうな字だ。 


「『ジャック・オー・ゴースト』って書いてあるな」

「お店の名前かな」

「そうだろうね」とっくの昔に潰れてるだろうけど。


 ここはもう廃墟群に近いからな。名前からしてハロウィンだけは賑わいそうな感じ。でも看板自体が不気味すぎて客が寄り付かなさそう。だから潰れたのか。納得。


「まだ生きてるかもしれないよ!」

「いや生存は見込めないね」


 いつものやり取り。その裏で僕はありえないほど緊張していた。

 何故って、そろそろだから。

 何がって、そりゃあ七海に告白することだよ。

 楽しい毎日だけど足りない。もっと近づきたい。妥協するのは飽きたって。だから今日こそはって決めてきたんだ。

 断られたらどうしよう。嫌な汗がじわりと滲んでくる。 


「ん……車が来てる。珍しいね」七海が言った。


 二つの眩い光が僕たちを照らす。

 今しかない。 

 僕は、道路の脇に寄せるふりをして彼女の華奢な身体を抱きしめた。こんなに大胆になったのは初めてだ。極度の緊張と鼻腔をくすぐる甘い匂いが合わさり頭の中が一瞬で真っ白になる。もう退けない。ずっとくすぶっていた感情を抑えることができなくなってしまったから。


「あっ、ちょっとユウく……!」「あ、あのさッ!」

 

 二人の声が重なった。

 

 偶然。そう――()()()()


 鈍い衝撃が僕を襲った。僕の体は弾かれるようにして道路の真ん中へと投げ出される。自動車の激しいブレーキ音が上がる。これはきっと間に合わないな。

 視界の端では尻もちをついている小柄な男がいた。足音の一つも聞こえなかった幽霊のように現れた男。その表情はよくおぼえている。

 そんなまさか! という驚きの顔。ぶつかるはずなんてなかったのに、とでも言いたげだった。

 このまま終われたならまだ幸せだったと思う。そうだよね。この時になっても七海じゃなくてよかったとさえ思っていたんだからさ。


 ――何となく分かってた。彼女がそれを絶対に許さないって。


 僕を庇うように両手を広げて立つ七海。僕が上げたのは叫び声だっただろうか。それが七月二十四日に記憶した僕の最期の景色だった。







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