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泡沫のような夜 3

「ここ、あんまり人がいないね」


 七海は、まだ賑わいの跡がちらほらと残っているみちを指して言った。赤提灯の明かりが消え、せわしなく点滅する街路灯では照らしきれず暗がりに戻った道端では、飲みかけのペットボトルや紙くずなどが転がっており、何とも言えない寂しさに満ちているように感じさせられた。


「もうそろそろ祭りも終わりだからね」


 市外から来たひとは鹿野宮駅に向かうので、それとは反対方向を歩いている僕らには関係ない。ちなみに地元のひとたちは夏祭りが終わった後でも騒いでいる。

 日付が変わる頃に、酔いつぶれた人が道路の脇で真っ赤な顔を晒して寝ている光景をよく見かける。そこに知り合いが混じっていたりすると思わずため息を吐いてしまう。

 祭りの余韻をさかなに酒を飲んで盛り上がりたくなる気持ちは分かる。せめて自分の足で帰って来れる程度にとどめておいて欲しいけど。   


「ちょっと寂しいね」


 七海がぽろっと声を漏らした。どうやら僕と同じことを思っていたらしい。


「まぁ、明日はゴミ掃除でまた騒がしくなるよ。寝てるひとを叩き起こすおばさんの声とかで」


 夏祭りの後日は延期にならない限り基本的に日曜日で、街の行事に積極的な住民らが、休みを投げうって道路の上に落ちている小さなごみから〝大きなごみ〟まで余すことなく掃除する。特に後者は、持ち主の家にまで速達される。送られてくる宅配物を冷めた目つきで受け取る家族を見かけたら、目を伏せて心の中で合掌せずにはいられない。

 

「私のお母さんも明日は鬼の日だよ」

「あー、ナツの母さんって優しいけどこわいよな」

「こわいのはお父さんにだけ」

「……仲良いよね」

「うん、凄く良いはず」と言いながら肩を落とす七海。


 いくら仲良し夫婦だとしても毎年のように怒られて頭を垂れる父親の情けない姿にはうんざりするのだろう。

 僕もだ。玄関から聞こえる怒鳴り声で飛び起きる日曜日なんて嫌すぎる。


「ほら、男っていうのはどうしようもない生き物だからさ」


 七海はこちらをちらりと見て。


「そうかも」

 

 声に出して納得していた。あわれみの視線を送るのはやめてくれよ。まるで僕がどうしようもないやつみたいじゃないか。


「今、何時かな?」


 僕は反射的に腕時計を見た。二十二時の手前くらいに針が止まっている。


「あと三分でナツの門限」 

「……そっかぁ」


 七海はちょっとだけ考え込む。焦っている気配は全くなかった。


「ユウくん、あの、これからうち来る?」

「えっ、いいの?」


 心臓が大きく跳ね上がった。全身の感覚が過敏になってしまい、いている和柄のサンダルがアスファルトを叩く小さな音すら鮮明に聞こえていた。

 いまなんて言った? こんな夜遅くに? これって僕の創り出した夢じゃないだろうな。


「たぶんいいよ。今日は特別だから」


 心配しつつも頭の中で狂喜乱舞する僕をよそに、七海は柔らかい笑みを返した。

 突然やってきたイベントに翻弄され、まともに機能してくれない脳に鞭打って、じっと考える。


「あぁ! そういう事か!」

 

 今夜は七海の父親がいないんだ。七海の母親は、僕が遊びに行くたび「今日は泊まっていくの?」と聞いてくるので夜遅くにお邪魔しても迎え入れてくれるだろう。

 父親の方は七海を溺愛しているらしく、僕が七海と一緒にいるところを目撃するたびに凄い目つきで睨み、さらにそれを目撃していた母親にもれなく撃墜されている。

 そんな七海の父親は明日の朝まで帰ってこないことが確定していた。それはつまり、射貫くような視線を浴びなくて済むということ。僕はひとまず胸を撫で下ろした。


「そういうこと!」


 七海は親指を立てて笑い掛ける。その幼気いたいけな仕草が僕の心を掴んで離さない。綺麗で艶のある髪が夜風になびいて彼女の顔にかかっていた。

 僕に断る選択肢なんて最初から用意されていなかった。装飾されたコトバのパーツを寄せ集めてさんざん悩んだけど、咄嗟に思いつく言葉なんて限られている。


「行くよ」「意気地なしだなぁ」

 

 それだけで十分すぎるくらいお互いの気持ちが分かり合えた。こんな何でもないやり取りが、きっと一生の思い出になるのだろう。

 七海が足を早めた。()()()()()僕の手も引っ張られる。

 驚いた。いつの間にか手を繋いで歩いていたなんて……。でも、不思議なくらい自然なことのように思えて。程よく馴染んだ体温があまりにも心地よくて。

 このまま変われなくてもいいかもなって思ってしまう。あぁ、たしかに、意気地なしだなぁ。


「ユウくんって変わってるよね」

「いきなりどうしたのさ」


 いまコーラを飲んでたら噴き出してた。肩越しに「変わってるね」なんて言われたら笑うしかないから。

   

「何かいろいろ諦めちゃってる悲観主義者みたいなのに、なんだかんだで前向きに生きてるでしょ?」

「ハハッ、なにそれ?」

「やっぱりよく分かんない。でも、それって、私は嫌いじゃないな」

「ふぅん」どういうことだろうか。


 自分がどうやって生きているかなんて考えたこともなかった。ただ漠然と大人になることに抵抗を覚えていたくらい。

 田舎ここの閉塞感も別に嫌いじゃなかったし。都会そとに出たいとか思ってもなかった。就きたい職業もなくてさ。働いている自分をどうしても想像できなかった。

 たいていの高校生はみんなそういうものなんじゃないかって思ってた。自分の将来に期待と不安を背中合わせにして過ごしているんだろうって。根拠なんかどこにも存在しないのに。

 ……やめよう。

 概念的な事柄を考えると狂いそうになるからね。それに、せっかくナツが隣にいるというのに、自分の世界にどっぷり浸っているのはよくない。


「そう言えばさ、夏休みの宿題やってる?」


 今度は学校の話を持ち出した。七海の中ではさっきの話題は完結しているらしい。


「まぁまぁかな」

「それってどれくらい?」

「とりあえずカバンから筆箱は出した」

「つまり何もやってないんだね……。それは『まぁまぁ』って言わないんだよ」

「へぇ」全くその通りだった。


 それでも去年よりは進歩しているはず。肝心の宿題には何一つ手をつけていないけど。まだ夏休みの最初だからってのはあるよね。少しくらいだらけても挽回できる。

 その無計画さがたたって夏休みの最後の一週間が地獄に変わるんだけど。僕の場合、『遊びに行こうぜ』とか誘ってくれる友達が七海くらいしかおらず、七海は僕のことをよく分かっているのでむやみに誘うことはない。なので誘惑に負けて詰むことはなかった。

 友達が少ないことで得られる数少ない利益の一つだ。そもそも『友達が少ないこと』自体がもの凄い損害を出しているので負債は募るばかりである。流石にマズいって思うけど、自分から誰かに働きかけるのは克服できない壁だった。

 見ず知らずの人と対面すると喋り方を忘れたみたいに言葉が出てこないんだよな。七海と喋るときは――うん、喋ることは苦手みたいだ。


「それなのにテストでは良い点数を取っちゃうから羨ましいよ」


 七海がくちびるを尖らせる。

 

「まぁ、たまたま運が良かったんだ」


 これも曖昧に答えた。

 僕はかげで努力するような人間ではない。よくある『俺は何もやってないのに出来るんだぜ』と虚栄を張ったり、『普段は馬鹿っぽいけど実は賢いんだな』と見られたい願望なんてこれっぽっちもない。ただ、頑張っている姿を他人ひとに見られるのは背中がむず痒くなってくるけど。

 そして僕の行き着く結論は、何とかなるさ、と放棄してしまうこと。典型的なダメ人間だ。分かっているんだけど……やめられない。堕落は麻薬のようなもので。深みにまると自力では抜け出せなくなってしまう。

 

「いつも言ってるよね」

「……そろそろ勉強しないとヤバいなって思ってるよ。ほら、数学とか難しくなってきたから」

「数学かぁ。こないだ小林くんに、『七海の胸って微分するとゼロだよな』って言われたのがけっこうショックだった……」


 七海の胸部に目をやる。かなり歩き回ったのに着崩れしていない浴衣。見たかぎり胸元から腹部にかけては傾斜の少ない直線を描いている。

 僕の目からも随分と控えめに見えた。そうだな。微分するとゼロかもしれない。

 

「うまいこと言うなぁ」

「な、なにおう。私だって積分すればもっとあるはずだよ!」

「どこからどこまでするんだよそれ……」


 好意を寄せている人と手を取り合って、どこまでも楽しく、そしてどこまでも不毛な会話を積み重ねていく。そうするとあっという間に時間が経つ。僕らはもう何百回も通ったことのある交差点にまで来ていた。ここから十五分も歩けば七海の家に着くはずだ。

 いつも待たされる信号に今回も捕まり、消えかけた横断歩道の白線を眺めて時間を潰していると祭りから帰ってくる人たちが増えてくる。途端にがやがやと騒がしくなった。七海が僕の方を見て言う。


「ユウくん、今日はあの道を使おうよ」

「ちょっと遠回りになるよ?」

「いいよ。あっちはひとも少ないだろうし」

「分かった」

 

 七海が言っている場所は古びた線路が通っているみちのことだろう。鹿野宮(かのみや)市の北区は端から順に十丁目まで分かれているのだが、八丁目だけ仲間はずれで存在しない。そのおかげで、『幽霊が住む八丁目』なんて名前が付いていたりする。言わば地方特有の怪談話みたいなもの。鹿野宮で育った子どもなら一度は聞いたことがあるはずだ。こういう実体のない恐怖感を与えるものって教育にはうってつけだよね。


「じゃあ行こうか」


 信号が青に変わる。僕はすぐに七海を追い越して手を引いた。こんな簡単なことだって勇気を振り絞らないとできない。

 七海はきょとんとした顔で僕を見ていた。


「……うん」


 七海はおとなしく手を引かれていた。


 夏が近づいてくると頬をほんのりと火照らせてうつむく彼女を思い出す。僕らの未来をぼろぼろに引き裂いた高校二年生の夏休み。

 僕に未来が視えていたなら、今はすっかりかすんでしまって見えないあのあかりを、懐かしく思うことはなかっただろう。

   








  

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