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指切りげんまん 1


 当日、待ち合わせの場所は鹿野宮駅だった。

 約束の朝九時にぎりぎり間に合うように出てきた僕は、自転車を全力で漕ぎ、「幽霊だから」という理由で信号をいくつか無視しながら到着した。

 たっぷりと余裕を持って準備はしていた。していたんだけど……家を出るタイミングを計っているうちにずるずると時間だけが過ぎていたのだ。

 人生初のデートの為、朝九時という時間が早すぎるのかどうか判断できなかったけれど、七海に残されている時間があと僅かなことを考慮すれば、もっと早くてもよかったかもしれない。

 空はどんよりとした雲で覆いつくされていた。一面が灰色に染まっている景色は、梅雨の季節に見慣れたものだったが、未来のない僕らに向けての嫌がらせかもしれなかった。

 けれど、七海を見つけたときには、そんな悲観的な考えもどこかに消えてしまっていた。ある程度の距離まで近づくと、互いの視線が交わり、物憂げな表情が笑顔に変わる。  


「おはよっ」


 いつもより控えめなテンションだった。明らかに『デート』という単語を意識しているのが見てとれたが、それは僕も同じだ。


「おはよう、その……」


 可愛いよ。

 肝心な部分を言えずに途切れてしまう。

 高校二年生になるというのに化粧品の類いをほとんど持っていないはずの七海が、ナチュラルメイクをしてきている。これがどれほどの意味を持つのか分かるのは僕だけで、全身が歓喜で打ち震えそうになるのを堪えていた。

 

「あはっ、同じこと考えてたんだね」七海が恥ずかしそうに目を伏せた。


 二人とも制服だった。鹿野高の夏服は、市民が抱いている海への羨望を見事に体現したセーラー服(学校側は制服と主張している)で、大きめのワッペンが可愛らしいアクセントとなっている。

 制服を選んだ意味は特になかった。強いて言うなら憧れあたりだろう。学校帰りにデートするっていう。

 数十秒くらい見つめ合った後、無性にくすぐったくなってきて、誤魔化すように笑ってしまった。


「今まで見たユウくんで一番かっこいいと思う」「……ありがとう」「なにか私に言うことは?」「いつもと違うね」「おいこらっ。ちゃんと言ってよ、恥ずかしくなってきたじゃん」「ごめん……綺麗だよ」「ま、及第点かな」

 

 一連の会話をしながら、切符を買って駅の改札を抜ける。


「なんで駅に待ち合わせたの? どっちかの家か、公園でよかったと思うんだけど」「えーっ、分かってないなぁ。私はデートって感じを出したかったの」「それで駅?」「デートだからね」「納得できないんだけど」「しなくていいの。こういうのは雰囲気だから」 


 いつもの流れを思い出したかのように、次々と言葉が出てきた。ホームには僕たち以外に人がおらず、無人駅と化していた。

 自分たちの他に人がいない駅というのは、七海の理想と一致しているらしく、満足そうにしていたので田舎に住んでいてよかったと思えた。

 深刻な過疎は電車に乗り込んでからも変わることはなく、僕ら二人を合わせて乗客が五人だった。人が少ないのに越したことはないけれど、限度があると思う。

 早くも終電ムードが漂う、鹿野宮市という朽ちた町にため息が出た。それにしても。


「デートかぁ」

「楽しみだよねっ」大袈裟に肩を叩かれる。


 デート。それは想い人のあらゆる仕草を神聖化してしまう、特別な魔法がかかった言葉。

 とは言ったものの、ロマンチックなものかと問われたらそうでもない。七海から目が離せなくなり、七海以外の全ての情報がどうでもよくなってしまう。さらに一挙手一投足に至るまで意味があるのではないかと誤解してしまう、極めて幸福的な呪いだ。


「幽霊ってどこに居るんだろうね」

「さぁ……案外近くにいるかもしれない」


 僕としては、幽霊がどこに居るのかよりも、七海が僕が着ている制服の裾をつまんでいることについて言及したかった。

   

「だったらいいなぁ」

「どうして?」

「自分たちの住んでる世界が、本当は幽霊だらけの世界だったら、なんか素敵じゃない?」

「やだよ、そんな世界なんて滅びてしまえばいい」

 

 過激な発言ではなく本気だったりする。幽霊が苦手だからね。

 もしも幽霊たちが跋扈ばっこする世界に住んでいたとしたら、僕の魂に安寧が訪れることは永遠にないだろう。


「でもユウくんは幽霊じゃん」

「まぁね」僕は幽霊だった。


 七海の言う通り、幽霊だらけの世界だったからこそ、僕の魂は未だに安らぐことができずにいるのかもれないな。うへぇ。


「幽霊で思い出したけど、公共の場で僕と喋るのはやめた方がいいと思う。他の人には僕の姿は視えないし、声も聴こえないから、ナツが変人に思われるよ」

「別にいいよ」


 七海は顔色一つ変えずに言ってのけた。それどころか、いたずらを思いついた子どものように、両目を輝かせていた。


「他の人に視えないってことはさぁ、こうやっても大丈夫ってことだよね?」恋人同士がやるように腕を絡めて密着してくる。


 僕を困らせようとしているのだけは分かった。


「ちょっ、ちょっ、大丈夫じゃないから!」


 引き剥がそうとしたけれど、ふわりと舞い上がるオレンジのような香りを嗅いでしまい、たちまち動けなくなってしまう。

 伸ばした手を引っ込めるか迷っているうちに、体の末端が熱を帯びていき、胸のあたりが苦しくなった。

 心臓が張り裂けてしまうんじゃないかと心配するほどの嬉しさを伴うこの痛みを、何と言えばいいのだろうか。〝恋の病の発作が起きた〟とでも表現しよう。

 七海のしっとり汗ばんだ白い肌は、僕の体温で溶けていくように馴染んでいった。羞恥心を隠すため、周囲に注意を向ける。

 窓際でスマホを弄っている黒いスーツのサラリーマンも、はす向かいに座って楽しそうに会話している老夫婦も、七海の言動を気にしていないようだった。

 どうも鹿野宮の人間は変人に寛容らしい。或いは、居合わせた全員が幽霊で、僕の存在を認識していたのか。


「着いたみたい」七海が僕の肩を叩いて席を立った。「ここで降りるの?」


 僕らが買った切符なら、あと二駅先まで行ける。てっきり、こぢんまりとしたテーマパークに行くのかと思っていた。

 減速しつつある景色に『小野宮おのみや駅』という文字を発見する。鹿野宮市の南区にあたる地域だ。鹿野宮で生まれ育った僕でさえ北区との見分けがつかないくらいなので、語るべきところは特になかったりする。


「気が変わったの、悪い?」


 攻撃的な態度を向けられる。こうなると僕が反論できなくなることを、七海は熟知していた。


「ううん、ナツの好きなところでいいよ」

 

 譲るのは僕に与えられた役目だ。

 自分の意見を伝えることができなくなったのはいつからだろう。最初は揉めごとを極力避けたいという思いからだった。その根幹をなすのは、感情をぶつけ合うことに対する恐怖であり、『相手を傷つけること』への極端な怯えでもあった。加害恐怖ってやつ。

 ぼっち体質だった僕にとっては、加害もクソもなかったけど。むしろ被害しかない。このように強迫観念と向き合わずに日常生活を送ることができたのは、ぼっちが幸いした稀有けうな例だと言える。もしかしたら、加害恐怖を忌避するあまり人との関わりを避けていたのかもしれないが。

 もう、遅いか。僕は死んでしまったのだし。


「決まりだね」


 うっすらと目を細めて笑う七海が、この時、僕に望んでいたことは何だろう。思い出せば思い出すほど、落胆していたのではないかと思ってしまう。

 デートにしろ、ロストにしろ、精神的に未熟だった僕は、七海の影に潜んでいる死ばかりに気を取られていた。そして、それは間違いだった。



 僕らは駅を出てすぐに狭い路地に入った。

 南区とは奇妙な縁がある。

 初めて七海を傷つけてしまった時のことだ。中学生になったばかりの僕は、半分くらいの見たことないクラスメイトたちに、七海と登下校していることをよくからかわれていた。

 一カ月後には部活が本格的に始まり、お互いに時間が合わなくなるのだけど、当時の僕はそうなるとは知らなかったし、恋が何なのか分かっていない僕にとって、クラスメイトに〝からかわれること〟は苦痛で仕方なかった。


 「お前、七海と付き合ってんの?」「別に付き合ってないし」「好きなんだろ?」「好きじゃない」「じゃあ、何で毎日一緒にいんの?」「それは……」「ほら、好きなんだろ」「好きじゃないって!」


 早々に部活を決めた生徒の一部が、放課後に教室で着替えながら僕らの会話を聞いていたこともあり、廊下にまで響くほどの大声で否定した。今日に限って七海が教室の前で待っていたとは知らずに。

 賢いやつだった。アイツはトイレから帰ってきたのか、隣のクラスから戻ってきたのか忘れたけれど、七海が教室の前で僕を待っていることを知っていて、わざとしつこく訊いてきたのだ。

 後から噂で知ったのだけど、アイツは七海に好意を寄せており、僕と七海の関係を少しでも悪化させたかったらしい。まんまと引っ掛かり、概ねアイツの計画通り、七海は傷ついて一人で帰ってしまった。誤算があるとすれば、〝偶然〟を考慮していなかったことだ。まぁ、予想外のことを偶然と呼ぶのだから考慮できるはずがない。

 待ち合わせにしている校門の前で、どしゃぶりの雨の中、七海が来ないことを不審に思いながらも一時間くらいは待っていた。

 話したことのないクラスメイトの女子が通りかかり、七海が走って帰ってしまったことを教えてくれた。泣いているみたいだった、とも。

 これが一つ目の偶然だった。詳しく話してくれたおかげで原因に思い至り、必死になって七海を探したけれど、見つからなかった。

 公衆電話から七海の家にかけても、家には帰っていないということしか情報を得られなかった。途方に暮れていた僕に、二つ目の偶然が手を振ってくれた。

 非常に奇妙で神懸かり的なかたちでもたらされた偶然だった。

 十七時を過ぎた頃、僕らが住んでいた北区とは真逆の道を辿って南区に行き、この狭い路地を入ってしばらく歩いたところにある喫茶店に入った。そこはテーブルが四つしかない小さな店だった。

 理由は特になかった。

 偶然にしては出来すぎていると思うけれど、七海が座っていたのは奇蹟としか言いようがなかった。

 最終的に平謝りに平謝りを重ねてようやく許してもらったという、苦い思い出だ。ちなみに、あの日飲んだ抹茶も相当苦かった。

 僕が人を傷つけることに恐怖を覚えたのは、ちょうどこのくらいの時期だった。直接的な原因は不明だが、単に素質があったのだろう。全ては遅いか早いかの違いでしかない。

 その日から、僕らはこの店を『仲直りのカフェ』と呼んで喧嘩するたびに訪れた。もっとも、一方的に不満をぶちまけられるだけなのだが。


「今日は閉まってるみたいだね」


 定休日は金曜日となっていた。……金曜日?


「木曜日じゃないのか?」

「きっと間違えたんだよ。そういう日もあるって」


 スマホを出して確認しようとしたら、七海が止めてきた。


「デート中はスマホ禁止。私を見てよ」

「あっ、ごめん」

「いいよ、ここは仲直りのカフェだし」


 上機嫌な七海に安心する。


「もしかしたら縁結びの神様がいたのかもね」

 

 ウフフッ、と無邪気に笑う七海を見ていると、本当に神様がいるのかもしれないと思ってしまう。七海が言うからこそ説得力があった。

 幾度もほどけてしまいそうになった僕らの縁を結んでくれたのは、この店に宿っている〝何か〟であることは間違いない。

 幽霊になった今の僕なら〝何か〟の正体を確かめられるかもしれないと期待していたのだけど、店は閉まっているのでどうしようもなかった。

 

「仲直りのカフェが目的だったってことは、僕に謝りたいことでもあるの?」

「うん……ちょっとだけ」

「今なら大抵のことは許すかも」


 七海とデートをしているというだけで有頂天になっている僕は、大抵どころか何でも許せてしまう勢いだった。

 唯一無二の幼馴染であり、僕の心理を見抜くことにかけては超一流の七海のことだから、雰囲気でバレていたとは思う。にも関わらず、言うか言わないか逡巡していた。

 不意に顔を上げ、無造作にかざした()()()()裏返(・・)()()


「私は死にたいって思ってた。大嫌いな、この世界からもうすぐ居なくなれて嬉しいって思ってたこと……謝りたくて」

「えっ?」

「やっぱり何でもないよ。今のは独り言」

 

 儚げに笑って、僕の手を握った。不思議と心拍数は上がらなかった。七海の発言がそれほどまでに衝撃を与えていたからだ。

 自殺願望があったなんて、知らなかった。そんな素振り一回も見せたことがないのに。

 

「せっかくだから探検しようよ。行きたい店があるの」

「どこ?」

「まだ入ったことないお店。前から気になってた場所なんだけどね」


 路地にある階段を降りるとアスファルトから石畳に変わる。この先にあるのは確か。


「空き地じゃなかったっけ?」

「えぇーっ! 違うよ、お店だって」


 目的の場所に着くと、驚くほど真っ白に塗装された店があった。見方によっては、古くも新しくも感じられる。

 記憶を辿ってみても、この場所に白い建物があると裏付けられる検索結果はゼロだった。『ユウレイラン』なんて聞いたことがない。


「ユウレイラン……ほんとに店があるんだな」

「あるよ、()()()()()()

「入ってみるか」


 七海の好きなところにでいいって言ってしまったし、ランチまでの時間潰しにはなるだろう。と、少しでも考えてしまった自分を恥じた。

 七海には時間がない。昼までのたった二時間でさえも貴重なんだ。時間の重みは人それぞれ違うということを、たとえ一瞬だとしても忘れていた自分に怒りを覚えた。


「気にしなくていいよ。ユウくんには普通でいて欲しいから。私はユウくんと普通のデートするのが夢だったんだ」


 空気の抜けた風船みたいに、怒りはしぼんでいった。


「普通のデートね」


 僕も七海も困ったように顔を見合わせた。

 限られた時間で普通のデートをする。これはこれで僕らにとっては難題だった。 




 

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