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運命への問いかけ 1


 七海の家に行くのは、今年に入ってから二回目になる。

 幼馴染といっても、頻繁に家へ招かれるなんていう、羨ましい機会には恵まれなかった。学校で話したり、一緒に帰ったりするのも、たまにあるだけ。

 それを性格のせいにしてしまうのは、逃げたことを認めているようなものだけど、自分から進んで夏海を誘うことができなかったせいでもあった。

 誘われてばかり。

 今思えば、僕は偶然に頼ってばかりいたし、しかも夏海が誘ってくれる前提だった。夏祭りの日に、しっぺ返しを食らうのも仕方なかったのかもしれない。

 ネガティブな思考という、一種の挨拶もほどほどに、僕はある問題を解決しなければならならなかった。

 どうやって七海の家に入るのか、だ。

 せっかくここまで来たのだから、「急に押しかけちゃって……」を演出するべく、メールは最終手段としたかった。

 事前に知らせると断られてしまう可能性もある。だから、なるべく勢いで押し切る形でいこう。

 インターフォンを使うのも手だけれど、七海の両親が出てしまえば、その時点でゲームオーバー……。僕は幽霊だから普通の人には姿が視えないし、声も聞こえない。単なる悪戯だと思われてしまうから。


「どうしよっかなぁ……」


 鹿野子公園からここまで走ってきたことで蓄積された疲労もあり、玄関前にある段差の角を借りて座った。

 今のところ有効な手段が見つからない。

 すっかり暗くなった夜空を見上げ、暇つぶしに夏の大三角形あたりを探してみる。

 デネブ、アルタイル……知るか! どれも同じなんだよバーカ。よく見たら飛行機だし。星ですらなかった。

 いけない。疲れると精神年齢に伴って語彙力まで低下してしまう。

 がちゃり。玄関のドアが開く音がした。

 仰け反るようにして後ろを向くと、七海の母親の優子さんが玄関から出てきてしまった。


「あッ! すいませ……」


 慌てて飛び退いたが、僕に気づいた素振りはなく、靴の底で地面を数回叩いていた。

 そこで、僕はひらめいた。幽霊には幽霊のやり方がある。

 七海の母親が家から出てくるのに合わせ、真正面から普通に歩いて入る、というもの。

 当然、衝突した。

 しかし、お互いの体が見事にすり抜ける。これは以前、七海と一緒に観測した現象である。ウィスプ風に言うなら、透過現象あたりが妥当だろう。

 不意に『ぼくの真似事をするんじゃない!』と怒っている姿を思い浮かべてしまい、たまらず笑い声を漏らしてしまった。

 聞こえてないよな?

 七海の気配がないことを確認して、安堵する。

 何はともあれ、彼女の家に入ることに成功した。

 二日ぶりとなる、藍田家のどこか懐かしい香りを肺にたっぷり吸い込ませ、七海の部屋に向かう。

 階段を上がり、電気のついていない暗い廊下の突き当りから一つ手前にある部屋の、ドアノブに手をかけて立ち止まる。

 ここまで来てしまったけど、何て言って入ればいい? 「僕だよ」って入るのはありえないだろ。常識的に考えてさ。

 いきなり押しかけて好意的な反応を貰えるなんて、ラノベかゲームなどの設定された世界だけだ。

 冷静になって考えたら、この状況は最悪と形容するのに値するのではないか。下手したら二度と口をきいて……いやいやいや。

 ナツはそんなことしないよね。……しないよね。

 一度でも考えてしまうと、不安の種が一斉に芽を出して、僕を激しく責め立てた。

 それでも、二の足を踏んでいた僕の背中を押してくれたのは「七海に会いたい」という純粋な欲望だった。

 極度の緊張で渇いたくちびるを唾液で潤わせ、心の中で「入るよ」と断ってから、部屋のドアを開けた。

 ……。

 …………。

 光りのおびただしい部屋を想像していた僕は、勉強机の上にある蛍光灯のわずかな光しかない、暗く静かな雰囲気に拍子抜けしてしまった。

 なんだ、寝ていたのか。

 今朝、七海が体調不良を訴えていたことを思い出した。夜の七時に就寝するのは、いくら何でも早すぎると思っていたが、風邪なら仕方なかった。


「ナツ、遅れてごめん」


 すぅすぅ寝息を立てている、七海のところに忍び寄り、気持ちばかり薄い布を一枚かけておいた。

 夏とはいえ、クーラーが効いている部屋で何も掛けずに寝ていると、病状が悪化してしまうかもしれないという配慮が八分の三。残りは単純に近づくための理由だった。自分の中での免罪符のようなもの。

 くそっ、なんて可愛い寝顔してんだ。  

 暗くて正確な色までは分からなかったけれど、身に着けているのはノースリーブのワンピースらしく、太ももの半分くらいまでしか丈がなかった。

 さらけ出された健康的な肉づきの肩、「く」の字に重ねられた脚、はだけた隙間からわずかに見えるブラジャーの肩紐、その全てがまぶしかった。 

 ストライクゾーンをぶち抜かれるってのは、こういう状態を指すのかもしれないな。……正直やばい。幽希史上最悪レベルで理性がやばい。

 薄着のパジャマはエロすぎるだろ。冗談抜きで抑えられないかもしれないぞ。

 ぐっすり寝てるみたいだし、いいよね? ちょっと、下着を見たりするくらい、神様は赦して下さるよね?

 欲しいものを神様に願って待つより、願いを先に叶えて後から懺悔した方がよっぽど効率的だと、色欲あたりの悪魔が熱心に語りかけてくる。

 僕だって男だ、やるときはやるぞ。

 なるべく気配を殺すように心がけ、未だかつてないほど神経を研ぎ澄まし、七海が着ているパジャマの胸元に手をかける。


「……なんてな」

 

 すぐに手を引っ込めた。意気地なしが健在でよかったと思う。

 正々堂々。

 告白すら満足にできないのに何言ってんだお前ってなるだろうけど、今回ばかりは張りぼてのプライドに助けられてしまった。

 七海の近くにいると今度こそ暴走してしまいそうだったので、なるべく距離を取って座る。

 部屋の真ん中に置いてある丸いテーブルの下から見つけた、やたらもふもふしているクッションを抱いていると、急に眠気が襲ってきた。

 ささやかな勝利を祝いにやってきた睡魔に、僕の意識を引き渡してしまうか悩み、うたた寝を繰り返した。



「きゃああああああっ!」


 甲高い叫び声が、まどろみの中にいる僕の意識を覚醒させた。


「なに、どうしたの?」


 垂れ下がってくる瞼を押しのけて訊ねる。

 ただ事ではない雰囲気だ。


「どうしたの、じゃないっ! ユウくんなんでそんなに冷静になれるのっ!」

「え……僕が何かしたっていうの?」

「ここにいることが問題なんでしょうが!」


 七海の鋭いツッコミが炸裂し、僕も今の状況を把握した。

 まともに考えられる程度には脳のプログラムが立ち上がる。が、たちまちフリーズしてしまった。いっそのこと現実からシャットダウンしてしまいたい。

 

「いやっ、そのっ、おはよう……」

 

 返事の代わりに枕が飛んできた。


「心配してたんだ。体調悪いって言ってたし……返事もなかったから」


 取って付けたような言い訳をする。実際のところ、ウィスプに言われてひたすら走ってきただけなので、その通りだった。

 だからといって、「何でいるんだお前は」という質問に対して、「言われたから来ました」などと答えられるわけもなく、情けない男を演じるしか社会的に助かる道はないと言えた。

 決まり文句だけれど、幽霊なんで社会とか関係ないんですけどね。七海にそれを言いふらされたところで、「マジかよキモいな死ね」「あいつは死んでよかった」「過激派ストーカー空気」といった激励の言葉が贈られる程度だ。何も……なにもつらくない。

 目頭が熱くなって、溶けそうなくらいしょっぱい汗が流れてきた。クーラーが効いた部屋なのに、おかしい。


「ちょ、ちょっとユウくん、何も泣くことないと思うよ? 私だっていきなりでびっくりしただけだし、泣かせるつもりなかったから……」


 これはあれだ。

 小学校や中学校で経験する、こちらに非がなくても女子を泣かせたら男子が悪くなるやつ。周りが敵になる四面楚歌タイプが主だが、そうなってしまう間接的な原因に、相手が泣いてしまったのはもしかしたら自分の方が悪かったからではないか……と自らが掲げた正義を砕かれるところにある。

 大事なのは、男子が泣かせた側であることだ。七海は女の子で、泣いている僕は男という関係図が、よりいっそう僕を惨めな気持ちにさせた。 


「ていうか! なんか私が悪いみたいじゃん!」

「……ごめん」

「もう気にしてないからいいよ。怒る気もなくなっちゃった」


 七海は眉間に寄っていた皺をぐりぐりほぐし、「ユウくんだし……」と諦めたような笑いを見せた。

 しかし、すぐにハッとなって胸の部分を両手で隠す。


「みっ、見てない? 私が寝てるときにこっそりとか、一回だけなら神様は赦してくれるとか……」 

「ないよ! どんだけ疑われてるんだ僕は!」未遂なんだよ! と心の叫びを付け加えておく。


 僕の思考に対しての鋭すぎる読みに仰天しそうになった。


「じゃあ、ユウくんはそんなに私に会いたかったの?」


 どこが、じゃあ、で繋がっているのか分からなかったけれど、会いたいという気持ちは嘘偽りない本心だった。

 会いたくなければ、吐き気も疲労も何もかも我慢して汗だくになれなかったと思う。


「会いたかったに決まってるだろ。何でそんなことも言わなきゃ分かんないの……えっ?」


 ほとんど投げやりに答えてから、自分の言った内容に気づき、滴り落ちる汗が顎の先までカスケードを形成していた。


「ふぅん、そうなんだ……ね」


 七海の口調から勢いが失われ、一気にしおらしくなった。なじられると思っていたけれど。


「あっ、ユウくん……あのっ」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて、七海が言う。その完璧に作られた表情に、僕は一撃でやられてしまった。

 戦死した心の墓標を立てながら、言葉の続きを待つ。


「……………………パンツ、どうかな?」


 なんだって? パンツ? 僕の耳はついに狂いだしたのか?


「だから! 私が穿いてるパンツどう思うかって聞いてるの!」

「いやっ、ナツにしてはなかなかセクシーで可愛らしいやつだと思うよ。それにブラも……ねぇ、何持ってるの?」


 その手に持っていたのは、警棒のような見た目のいかついヘアアイロンだった。


「やっぱり、しっかり見たんじゃない。絶対に許さないから」


 部屋の隅で震えあがる僕にできることは、もはや命乞いしかなかった。


「これはっ、ちがっ、まがっ、魔が差しただけっ、ぎゃあっ! 痛いからっ、ごめん! ごめんって!」

「もっかい死ねっ!」



 気が済むまでボコボコに殴られた後、僕の亡骸は無残に放置されていた。


「ひどい顔だね。ここら辺が腫れちゃってるよ」


 腫れあがってじくじく痛むところを、わざとらしく触り、にこやかな笑みを披露する彼女が悪魔にしか見えなかった。


「ナツがアイロンで殴るからだよ」

「へぇ~、ユウくん。左もいっとく?」

「あはは……遠慮しときます」

「ちょっと、あんまり動かないでよ」


 なんだかんだ言って、小さく切った湿布を患部に貼ってくれる七海。そして、反省の印として正座で施しを受けている僕。

 もし第三者が居合わせたとすれば、コメントに困窮してしまうだろうな。


「うん、いいね」と言いながら、七海は優しく頬を撫でた。


 それから小さい子を宥めるように、


「言っとくけどっ、次は……ないからね」


 僕の髪の毛を指先でいていた。

 言いながら、哀しそうに伏せた目の奥に、七海が隠してしまった感情があるのだろう。すぐに目を開けて、何でもないように笑っていたけれど、僕にはそれがたまらなく苦しい。

 

「ナツは」「ユウくんはさ、今日は楽しかった?」


 また、七海に掛ける言葉を失くした。

 肺の中で濁った空気を全部吐き出して、今日のことを話した。ウィスプの用事はパシリだったこと。メアリーという悪霊と知り合ったこと。ロストのこと。幽化現象に、ハンドマン。最後に。懐かしい夢を見ていたこと。

 七海は、楽しそうにしていた。

 身を乗り出して興味を示したり、大きな相槌を入れて納得したり、顔をしかめて考えたり、腹を抱えて笑ったり……魅力的な表情をいくつも見せてくれた。

 好きだよ。ナツのこと大好きだよ。何度も言いたくなった。

 そっと、手を握られた。僕も握り返した。

 二人だけの空間で、じゃれ合うようにして遊んでいると、七海が甘えながら寄りかかってきた。もちろん飛び上がるくらい嬉しかった。

 いつまでも笑っていて欲しい。

 心から、願った。

 でも――。

    

「ねぇ」


 知っていた。


「私って……本当に私なんだよね?」


 運命がどれほど残忍なやつなのか。

 

「……なん、で」


 何かが、音を立てて壊れた。

 ……そうじゃない、もう壊れていたんだ。 

 今まで見ないふりをしていたものが、網膜を突き抜ける。

 七海の勉強机に飾っている写真がめちゃくちゃに動き出した。アルバムで見た、未来も過去も現在も入り混じった、ありえない事象。

 ウィスプの声がよみがえる。√I(ルートイグニス)改変はすでに始まっていた。

 とても冷たいものを隠していたのは、僕の方だった。自我崩壊の地平面(ロスト・ホライズン)を越えて、人の心が空間となった意識の次元に触れてから、彼女の違和感には感づいていた。

 それを分厚い氷に埋めて逃げていた僕は、運命と同じくらい最低なやつだ。 

 まもなく、七海はロストする。

 やっとの思いで吐き出した息は、冷え切った体にくらべて異様に熱かった。

 

「あ……あっ……」


 赤く爛れた腕と、七海の姿が重なって見えた。胃の中をかき混ぜられような気分になり、吐いた。


「ユウくん!」「ユウくん!」「ユウくん!」


 何人もの歪んだ七海が叫んでいる。そこからはよくおぼえていない。

 


   




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