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ロスト 1

 賑やかになった店内のカウンターを、幸か不幸か知り合ってしまった数人の幽霊たちで独占し、特にすることもなく涼んでいると、何の前触れもなく不気味な音楽が鳴り出した。発音が日本語ではないのでほとんど聞き取れなかったが、どこかの国の民謡だろう。やや落ち着いた旋律に乗って哀しさが伝わってくる。

 僕を含めた全員の表情が引き締まった。穏やかだった雰囲気は緊迫したものに塗り替えられた。それぞれの顔色を窺ってみたところ、獲物を追い詰める猛獣みたいな目つきで、ウィスプの膝の上に置いてある手提げバッグを睨んでいた。ウィスプは鬱陶しそうにスマホの着信音を切ると、電話に出た。

 しきりに相槌あいづちを打ちながら一つ二つ質問を投げかける。会話は数分で終わった。ごく普通の電話のようだったのに、みんなの豹変ぶりが気がかりだった。それを聞こうとしたら、ウィスプは魔女の帽子をかぶって立ち上がった。


「鹿野宮市のとある市民から〝ロスト〟と思われる依頼を受理した。……住所を聞きそびれてしまったが、かけ直すのはぼくのプライドが許さないのでメアリーに特定してもらう、いいね?」

  

 ウィスプに気圧けおされながらもメアリーは頷いた。この時点でさらに疑問は深まったし、突っ込みたいところも多々あるが、それどころではない空気を感じて閉口していた。

 ウィスプはメアリーに自分のスマホを渡すと、ポケットからメモ帳を取り出す。パラパラっと適当にページを開き、右手に持ったペンを回しながらニヤリと口の端を吊り上げた。

 

「ぼくの仕事や、ぼくを支える有能な助手たちについてきみに知ってもらういい機会だ」

「それ僕に言ってる?」

「きみの耳が正常に機能しているならくまでもないだろう」


 知ってたよ、という言葉をみ込んで目を逸らした。考えなしに言おうものなら、何万倍もの暴言の矢が雨のように降り注ぐに違いない。

 まだ出会ってから僅かな時間しか経っていないのに、何となく分かっていた。

 

「分かったよー」


 メアリーが挨拶するみたいに軽く言った。もう住所がわかったのか? ウィスプがスマホを渡してから十秒も経ってないぞ?

 よほど訝しそうな視線を送っていたのか、メアリーが気づいてこちらを見返してくる。僕がうろたえていると、軽いウィンクを飛ばしてきた。今のじゃ何も分かんねぇよ。


「鹿野宮市北区四丁目の――」


 個人情報が次々とメアリーの口から漏洩していく。ウィスプは目にも留まらない速さでメモ帳に情報を書きなぐる。これを見たら最先端の工学技術も卒倒する勢いだろう。スマホを触っただけで住所を突き止めるメアリーに、流れるようにペンを動かすウィスプの鮮やかな芸当の組み合わせは、ある意味で芸術かもしれない。


「助かったよ。ぼくらが帰るまでメアリーにはマスターと一緒にいてもらう。万が一、()()()()が来店した場合に備えてね」

「任せて、ウィスプさん」

「ウィスプ! もうすぐ蒼佑が車を持ってきてくれる。俺も乗ってった方がいいか?」


 ケイさんがドアを開けて叫んだ。そういえば二人の姿が消えていた。ウィスプのために車を用意してたのか。幽霊たちのチームワークの良さに圧倒される。


「念のために付いてきてくれると嬉しい。……幽希!」

「へぁっ……?」


 いきなり名前を呼ばれたので変な声が出てしまった。


「口をぽかんと開けている暇はないよ。準備はとっくに出来ている。メアリー、立て続けにすまないが、そこで時が止まっている男を外まで運んでやってくれないか」


 フリーズしている僕が再起動するより先に、ウィスプはすたすたと歩き、重たい手動ドアを開けて出て行ってしまった。

 追いかければいいのか迷っていると、メアリーに肩を叩かれた。


「いってらっしゃい、お兄さん」

「うわっ!」


 視界が激しく揺さぶられた。この瞬間に見えていた物が光の束みたいに集まって何本もの線になっていく。ずっと見ていると眩暈めまいがした。気づけば何も見えない。暗闇。それも一瞬だった。いつの間にか閉じていた瞼を持ち上げると、周りの景色が変わっていた。

 そこはジャック・オー・ゴーストの店内ではなく、寂れた商店街にあるライトの消えた看板の前だった。何が起きたのかわからない。呆然と立ち尽くしていた。

 後ろからクラクションの音がした。僕はぎこちない動きで振り返る。


「幽希くん、早く乗って」


 蒼佑さんが窓から顔を出して言う。彼らの勢いに流されるまま、わけも分からず、黒塗りの車に乗り込んだ。



 ☆ ☆ ☆


 

 夕立のように過ぎ去ってしまったあれは何だったのか、と思っているうちに目的地に到着していた。この時、僕は半ば放心状態だったようで、車内に誰もいないことにすら気づいてなかった。


「もう着いてんぞ、ほら降りろ」


 小麦色に焼けた太い腕に肩を掴まれる。意識が現実に引き戻される前に僕の体はあっさりと持ち上がり、ほとんど引き抜かれるように車から出される。

 着いた場所は高校への通学路として利用している場所の、いつも通り過ぎる家の前だった。四丁目は七海の家もあるので近所の人だろうか。小学生の頃、七海と遊んだ帰りなどに洗濯物を取り込んでいる姿を見かけた記憶がある。あくまでたまに目撃する人であり、名前も知らないし、挨拶すら交わしたことがないのだけど。

 熱気を帯びた空気に舐めまわされる。やはり外は好きじゃない。家の中で暇に時間をい潰されている方がよかったかも。

 自分が下してしまった判断について悔やんでいると、ウィスプがため息を吐きながら僕を睨む。次の瞬間から襲い掛かってくるであろう、苛烈な口撃こうげきに備えて身構えたけれど、ウィスプは無視してインターフォンを鳴らした。

 二、三秒ほどの静寂の後、「どちら様でしょうか?」という定型句が返ってきた。


「ぼくはウィスプ、未来予知の幽霊だ。きみはかしわ智恵ともえで間違いないね? さきほどの依頼内容には不明瞭な点が多い。詳しい話を伺いたくここに来た」


 一般人にもそうやって自己紹介するのかよ。思いっきり不審者じゃねぇか、それ。


「あぁっ! すぐ行きます」


 言葉通り、玄関のドアはすぐに開いた。出迎えてくれたのは五十代くらいの女性。僕と同じ高校に通っている一人娘がいるのは知っていたが、十年という時間がどれくらい残酷なのかを実感した。化粧をする暇もなかったのか目の下のくまが目立つ。こうしてウィスプに頼みごとをするくらいなので、衰えた外見は歳のせいばかりではなく、精神的な面も強く影響しているように感じた。……この人がウィスプにどんな依頼をしたのか分からないですが。

 

「どうぞ、上がってください。外は暑いですから」


 智恵さんはウィスプと蒼佑さんだけを見て言った。僕とケイさんの姿は視えていないのだろう。蒼佑さんはドッペルゲンガーの能力を使うときだけ、誰にでも視えるようになると言っていた。運転するときは他人に視えるようにしないと、無人運転になってしまうのだそう。一度だけ運悪く通報され、テレビに取り上げられた経験があるって笑いながら語っていた。幽霊も気楽じゃないな。


「うむ、きみの言葉に甘えよう」

「助かります、奥さん」

「あの、そちらの方は……?」

「ぼくの助手だよ」

「おれは朱雀野すざくの蒼佑そうすけで、彼女の言う通り助手やらせてもらってます」


 はぁ、と気のない相槌を打ちながら、智恵さんは二人を居間まで案内する。僕らもその後に続いて歩いた。


「家の中ってけっこう綺麗なんですねぇ。いきなりお邪魔したんでもうちょっと散らかってると思ってたけど」

「えぇ、娘が綺麗好きなもんで、わたしの代わりに掃除機をかけてくれたりするんです」

「いい娘さんですね。おいくつなんですか?」

「もう一七歳なんです。あっという間に高校二年生になってしまって……」

「なるほどぉ。これから大変な思いをする時期に入りますね。田舎の学校って楽しそうですか? おれは都会の方から越してきたんで、憧れなんですよ、馬鹿やってそうなイメージで」

「凄く楽しそうにしてますよ。最近はよく彼氏の話なんかをしてくれます。でも時々寂しそうにしているのが不安だったりしますが、そういう時期なのかな……と」

「皆そんなもんですよ。っても、おれなんかまだ全然そういうの語れるほど生きてないですね。一回目の人生なんかもう終わってたりします」

「若いのに何をおっしゃるんですか!」

 

 蒼佑さんは初対面の相手と気まずくなるどころか、魔法を使ったみたいに会話を弾ませていた。どんなコミュ力だよ。僕なんか目を合わせる決心をするだけで一日終わりそうなのに。時折、見せつけるように爽やかイケメンスマイルを披露するのだが、これが半端なくかっこいい。同性で至ってノーマルな僕ですら顔を赤らめてしまうほどなので、女性相手なら一撃必殺かもしれない。

 しかしながら服装が壊滅的なので、首より下を視界に入れてしまったら、一秒で生まれた恋心が凍結してしまうだろう。本当にもったいないと思うんだけど。

 ちなみにここは鹿野宮ではごくありふれた木造二階建ての住宅だ。さすがに築何年までは分からないけれど、廊下を渡ったときに小さく軋んだので、まぁそれなりの年齢と推測できた。

 僕の家と間取りは大して変わらない。玄関に飾ってあった観葉植物が珍しく思えるくらいだ。きょろきょろしていたのが気にくわなかったのか、ウィスプに背中を殴られた。いてっ。


「ここが居間です。こちらに座ってください」


 手で促された先にあるのは椅子が二つと一つに分けて並べてある白いテーブル。今も三人で暮らしているのだと一目でわかった。

 智恵さんは冷蔵庫から取り出したお茶をコップ二つに注ぎ、ウィスプと蒼佑さんの近くに置いた。そして空いている椅子に座り、何を言おうか悩んでいるようだった。僕とケイさんは隅の方でじっとしている。たとえ僕の姿が智恵さんに視えていたとしても、僕はこの場所にいるだろうな。完全に部外者ですから。

 ウィスプは出されたお茶を一口だけ飲み込むと、メモ帳を取り出し、折り目をつけたページに目を落とした。

 

「……誰かに呼ばれている、そうだね」


 警戒心を容易くほどいてしまうような柔らかい笑みが智恵さんに向けられた。彼女は、はい、とためらいがちに頷いて、


「声が聞こえはじめたのはふた月ほど前でした。えぇ、ちょうどその頃でしたか、心にぽっかりと穴が開いたような……喪失感というのでしょうか。ただ言葉にできない虚しさを抱えておりました。理由は分からないんですよ。病んでいると思われるのを承知で話しますが、はじめは夢だったんです。もしかしたら、ぼうっとしていた時かもしれませんが、誰かが私の名前を呼ぶんです。実際に声が聴こえたわけではありませんし、その方の姿も視えませんでした。そんな気がしたというだけ」


 もどかしそうに指を絡める。


「それからほぼ毎日、わたしは誰かに呼ばれているような気がするんです。さっきも言ったようにほんとうに声が聴こえてくるわけではありませんから、雰囲気でそう感じるんですよ。心霊現象と言ってしまうと不気味ですが、恐怖とか嫌な感じは全くありません……けれど、あんまりにも頻繁に起こるので、今月の半ばあたりに神ノ宮(かのみや)神社にお祓いをしてもらおうと尋ねたことがあるんです」

「ほう、あそこの神社に行ったのかい。その結果わからなかったと?」

「はい。いてるとまでは言われませんでしたが、よく分からない何かがいると言っていました。現時点では、果たして良いものなのか悪いものなのか判断しかねるので、純粋な実利害のみを考慮して、わたしが困っているのならば払い除けることができる、と」

「神ノ宮のやつならそう言うだろうね」

「迷ったのですが断わりました。いくら神社の方とはいえ、『よく分からない何か』なんていう表現をされては怪しいですし、それより、嫌いになれないんです。わたしを呼ぶ誰かは、ひょっとしたら、伝えたいことがあるんじゃないかって思うと、途端にためらってしまって。その旨を伝えたところ、神社の方が『口は悪いが腕はたしかな霊媒師がいる』と教えてくださったので藁にもすがる思いで依頼をしました」


 ウィスプはメモを取りながら、なるほど、と唸った。


「ずいぶん迂遠うえんなものだが、ようやく話が見えてきた。きみはつまり、薄暗いもやに隠れてしまっている何者だれかの正体を暴きたいのだね?」


 智恵さんは目を見開いたまま、頬はこわばったようにぴくりと動かして、首を縦に振った。


「分かった引き受けよう――というわけにはいかない。ぼくは、安らかに眠っている死者の棺を強引にこじ開け、欲にまみれた十字架へはりつけにしたうえ、洗いざらい想いを吐かせるなんて卑劣なことはしない。誤解のないように言っておくが、ぼくの仕事は二つだけだ。一つは未来予知の幽霊として。もう一つは魂の案内人として、消滅ロストした魂をこの世に蘇らせること」


 ウィスプが早口でまくし立てる。僕はとっくに言葉の意味を理解することを投げ出した。聞き流しているという表現が最もふさわしい。


「きみを呼んでいる誰かは、この世に()()()()()人間かもしれないんだ。もし、ぼくがその人間を蘇らせてしまえば、きみを深く傷つけてしまう恐れがある。一生かけても治らないような凄惨な傷痕を残してしまうかもしれない。どうするかは、かしわ智恵ともえ、きみ次第だ」


 智恵さんは人差し指で眉間を揉んだ。俯いて考え込んでいるようにも見えた。おもむろに顔を上げる。虚ろだった瞳には光が差し込んでいる。

 

「知りたい。たとえ傷ついても、忘れてはいけない、大切な人かもしれないですから」 

「それがきみの答えだね?」

「はい」

 

 強く頷いた。ウィスプは微笑みで返した。


「では正式に依頼を受理しよう。もちろん依頼料が発生するのはおぼえておいてほしい。大方の予想はついているが解決までの期間は未定だ。早ければ今日中にも見つけ出すことができるがね」


 すでに険しい表情に戻っている。立ったまま寝ているケイさんを支えるのに必死な僕にはあまり関係なさそうだが、遊びじゃないというのは分かった。


「いくつか質問をいいかい?」

「答えられる範囲ですが、どうぞ」

「このテーブルには椅子が三つあるが、三人で暮らしているのかい?」

「いえ、娘と二人暮らしです」

「今までずっと?」 

「えぇ」


 僕はこの答えに違和感を覚えた。三人で暮らしているんじゃないのか? 十年前は三人そろって家の庭でバーべーキューをしているところを見ていた記憶があるぞ。七海と二人で、いいなぁ、とか言いながら。家庭の事情はあるにせよ、今までずっと、なんてのはありえないだろう。


「これが最後の質問だ」


 僕の思考を遮るようにウィスプが語調を強めた。


「この家にはきみが今まで一度も入ったことがない部屋があるよね?」 



 

 

 


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