ジャック・オー・ゴースト 4
次の日も『Jack-o'-GHOST』の手動ドアの前で立っていた。一人で。
店の中に入る前にMAKEを開け、既読がついたまま返信が来ていない七海のトークを確認する。
『冥ちゃんがお店に来てって』
何度見ても同じ。文字化けではないようだ。
僕としては別に行きたかったわけではないし、七海の体調の方が心配だった。七海が言うには風邪っぽいだけらしい。うつすといけないから今日は一緒には行けない、か。
あの二人は連絡先を交換してたんだな。いやそんなことはどうでもいい。なんでこういう時に呼び出しがかかるんだよ。せっかくお見舞いという建前で七海の家まで押しかける又とない機会だったのに。
熱のせいで弱っている女の子を優しく介抱することにより、好感度を飛躍的に向上させるイベントだろうが。いくら未来が視えるからって嫌がらせはやめてくれよ。
……。
やっぱり嫌がらせであってほしい。お前の恋は成就しないから少しでも無駄な時間を減らしてあげるという、ウィスプからの遠回しな優しさだったら泣けてくる。
どちらにせよ、引き返すには遅すぎた。もう来てしまったのは仕方ないし、いまさら帰るのはめんどくさい。それに、家の中で暇な一日を過ごすよりは楽しい、と思っている自分がいるのを否定できなかった。
僕が幽霊になって三日が経つ。まだ家族は帰ってきてはいない。帰ってきたところでもう二度と関わることができないのだけど。
今まで家族と積極的に会話をすることはなかった。鬱陶しいとさえ思っていた。今もまだ変わらない。だから、家に居続ける必要なんかないよなって思い始めていた。
ウィスプは幽霊についての専門家みたいなもんだし、幽霊が集まるカフェがあるくらいだから、探せば仕事先は見つかりそうだ。そしたら安いアパートでも借りてそこに住めばいい。
なんか、幽霊になっても社会の仕組みに囚われているようで笑いが込み上げてきた。死んでも働けって皮肉なもんだよなぁ。
「そんなところで気味の悪い声を出さないでくれたまえ。いくらガラスに映ったきみの顔が面白いとしてもね」
「うわっ、びっくりした!」
僕は驚いて飛び上がった。いきなり現れたから幽霊かと思った。……こいつは幽霊か。どっちでもないっけ。ややこしいな。
「いきなり声をかけないでよ」
「ぼくはきみの都合を考慮するほどの良心を持ち合わせてはいない。それよりもはやく中に入ろう、ここは暑くてたまらないからね」
言いながらドアを開けるウィスプ。昨日とは色違いの魔女の恰好をしている。といっても微妙に黒の濃さが違うだけ。この服を何種類持っているのか気になった。
鈴の音に合わせてウィスプの長い髪が舞う。僕の顔にまで伸びた毛先からシャンプーの香りがした。僕に対する発言も含めて色々と言いたかったが、この甘ったるい匂いにあっさり負けてしまった。
「うん……」
店内は冷房が効いていて天国のようだった。灼熱とも呼べる真夏のアスファルトの上で、じっくり焼かれていた靴底がまだ熱を伝えてくる。
「そこに座るといい」
ウィスプはカウンターの端から二番目を指差した。どうやらウィスプの場所は昨日と同じカウンターの端らしい。隣に座れって意味か。ウィスプは奇妙な恰好と悪魔のような口調に反し、見た目だけは天使みたいに可愛い。いや天使が可愛いのかどうか知らないけどさ。悪魔との対比的な意味で。
挙動不審になりながらも椅子に座る。
ウィスプは、僕に目もくれず、大きめの手提げバッグから山積みの資料を取り出して、サッと目を通していく。
紙一面に難しい単語が散りばめられた上に、細かい文章で余白が見えないくらい敷き詰められているのに、漫画を読むみたいにペラペラと捲っていた。ほんとに読んでるのだろうか。
さっそく暇になってしまった。邪魔するのも悪いので、奥の方に飾ってある高価そうな食器がずらりと並んだ棚のチェックをしているマスターを見る。なるほど。ここは客がほとんど来ないので皿洗いや仕込みの手間がない。つまり暇なんだろう。
家にいた方がよかったんじゃないか、と思い始めたところでウィスプが顔を上げた。
「ところで、きみは何故ここに来たんだい?」
「おまえが呼んだんだろうが!」
僕が怒鳴ると、ウィスプは「えっ?」というような顔をした。そのせいで僕まで毒気を抜かれてしまい、お互いに「えっ? えっ?」と固まっていた。
そこで僕は、七海とのトーク画面をウィスプに見せつけた。ウィスプは一連の会話をまじまじと眺め、納得したように手を叩いた。
「……あぁ、そうだった、すっかり忘れていた。きみにやってもらいたいことがあったんだ」
「忘れないでよ」
「すまない、これは全面的にぼくが悪いね、きみが望むのなら頭を下げよう」
「いや……別にそこまで気にしてないよ。とりあえず頼みを言って」
「そうか、では遠慮なく頼もう、最寄りのコンビニエンスストアでアイスクリームを四つほど買ってきてくれ。種類は問わない」
「パシリじゃねぇか!」
素直に謝ると思ったらこれだ。というかアイスを買わせる為だけに僕を呼んだのかよ!
「念を押しておくが種類は問わない。喩え、ぼくがヴァニラアイスに全ての愛を捧げているとしてもね!」
「遅かったじゃないか」
汗まみれになって帰ってきた僕は、アイスクリームが四つ入った袋をカウンターに投げ出し、そのままカウンターに突っ伏した。
横目でちらりとウィスプを見ると、袋の中身を確認して両目を輝かせていた。悪態ばかりついてくるくせにこういう時に見せる笑顔は眩しいから困る。
「ちゃんと買ってきてやったんだから感謝しろよな」
「もちろん感謝している。お礼にきみの好きなコーラを注文しておいてあげたよ」
「それ一歩も動いてねぇじゃん!」
いけない。また声を荒げてしまった。こいつのせいで僕の精神ががりがり削られているように感じる。
もういいよ、という意味を込めて手をひらひらさせ、カウンターの上で組んだ両腕の中に頭を埋めた。
疲れ切っていた僕は、幽霊なのにコンビニでアイスを買えたことについて疑問を持っていなかった。後に大事件が起こることになるのだけど、それはまた別の機会に話そうと思う。
すぐに鈴の音が響いた。もしかして来客? 顔を上げてみるとケイさんと蒼佑さんがいた。二人とも軽く手を挙げて挨拶すると僕の右隣に座った。
「やっぱりおまえ、今日も来たか」
ケイさんが嬉しそうに言った。やっぱりってどういう意味ですか。
「おれも幽希くんならそうだと思ってた」
蒼佑さんも同じことを言う。そのピエロみたいな恰好は普段着なんですね。ウィスプにしても、蒼佑さんにしても仮装パーティに参加するようなファッションが幽霊の流行りなのか? ケイさんはタンクトップなのでまともに思えてくる。実際はギャンブルに溺れた典型的なダメ人間ってやつ。
「圭吾、蒼佑、その袋から好きなアイスを取るといい。幽希がわざわざぼくらのために買ってきてくれたのだよ」
と、言っているウィスプの視線は、ヴァニラアイスをすくい取った紙製のスプーンに注がれていた。
「買いに行かせたのはウィスプだけどね」
僕が付け加えると蒼佑さんが笑った。
「幽希くん、ありがとう、それに二人の会話は聞いてて面白いよ。ウィスプがここまで遠慮なく我がままを言うってことは、よほど信頼できる未来だったんだろうね」
「俺はこっち貰うぞ。ほんと仲良いよなおまえら」
「仲良くないですって」
昨日も同じようなやり取りをした気がする。まずウィスプに信頼されても嬉しくないぞ。
僕は残り一つになったアイスを見てやっと気づいた。この二人が来ることを知っていたから四つにしたのか。
未来が視える力をここまで平凡な日常に使うやつはなかなかいないだろう。呆れと感心が半分ずつ混じったため息が出てきた。
「最後の一つはきみにあげたかったのだが、もう一人来てしまったようだ。すまないが渡してきてくれないか」
「えっと、どこに?」まだ鈴の音は聞こえていない。
ケイさんと蒼佑さんが入ってきたときには他に誰もいなかった。何を言ってるんだろう。
「そっちじゃない。いちばん奥の席にいるよ」
僕は言われるがままに奥の席を見る。
片目がない継ぎ接ぎだらけのくまのぬいぐるみ(辛うじてそう判断できる程度)を、大事そうに抱えた金髪碧眼の女の子と目が合った。
ぬいぐるみの各部位に点々と付いている赤黒いシミはなんでしょう。どう見ても血にしか見えないんだけど。
その女の子の周りから出ている異様な〝ナニカ〟が僕の体に触れた。凍えるくらいの冷気が肌に突き刺さった。怨念という言葉はこういうものを指すのかもしれない。
「お兄さん。それわたしにくれるの?」
「ひぃっ!」
背後から聞こえる女の子の声。ギギギッと音が鳴りそうなくらい不自然に首を動かした。
やっぱりいるよ女の子が。怖い。怖すぎる。僕は恐怖のあまり気絶しそうになった。前のめりになった体をなけなしの腹筋で支える。足は凍りついて動きそうになかった。
まだ死にたくない。……あっ、僕は死んでましたね。情けないけど勇気が湧いてきた。まずはアイスを渡せばいいんだな。
あれ? アイスは? 手に持っていたはずのアイスがなかった。
「美味しいね、お兄さん」
女の子が美味しそうにアイスを食べていた。もうね、なんか今日は疲れた。
「僕の分はないけどね」
どうにでもなれって心境だったと思う。恐怖を通り越して冷静になっていた。
「仲間はずれなの?」
「……僕のクラスメイトだったりする?」
こんな金髪の子は知らないなぁ。まずクラスメイトの顔も名前も憶えてないけどね。当然、僕のことも憶えられてないだろう。
何とも言えない空気が流れた。質問した彼女は申し訳なさそうに目を伏せている。やめてくれよ。ストレートに蔑まれた方がまだよかった。
「きみらは見つめ合うのが趣味なのかい? 海王星の公転周期よりも思考の伝達が遅い幽希はさておき、メアリー、きみは用事でもあるんだろう」
僕らを見兼ねたウィスプが口を出した。僕への罵倒が流暢すぎて感嘆の声を漏らしそうになった。あの子の名前はメアリーというらしい。
「ううん、今日はマスターを見に来ただけ」
メアリーは儚げに笑って返した。すぐさま宣言通りマスターの傍へと一瞬で移動する。テレポート。瞬間移動。ふつうなら唖然とする状況だろうが、マスターにべったりとくっつくいている、砂糖をぶちまけたような甘い空間を見ているうちに沸々と怒りが込み上げてきた。それ見に来たんじゃなくてイチャイチャしにきたって言うんだよ。家でやれ。家で。
「そうかい。ゆっくりしていくといい」
ウィスプは特に気にしてはいないようだ。ケイさんも蒼佑さんも二人で喋ってる。あれっ、おかしいのは僕だけ?
「ウィスプ……あれってなに?」
目の前で繰り広げられている、というよりメアリーが一方的に創り出している桃色の世界について訊ねたところ、ウィスプはあくびを噛み殺して答えた。
「見ての通りだ。いわゆる歳の差カップルじゃないか」
「いやそうじゃなくて……はっ?」
僕の思考回路は焼き切れたようだ。トシノサカップル? 何かの呪文か? マスターとメアリーが? 犯罪じゃねぇの。
「まさか。幽霊と人間が付き合って罪に問われることはないだろう。そんな法律自体が存在しないことに加え、法律は生ける者にしか効力を発揮できない。メアリーには無効さ。そもそも彼女を認識することすら不可能だろうけどね」
「それだとマスターも視えないんじゃないの?」
僕が言うと、ウィスプはスプーンを動かす手を止めた。ほんの僅かに迷った後、ヴァニラアイスの最後の一口をかき集めて口に含むと満足そうに頬を緩ませた。そっちが優先だったのかよ!
「……きみにはまだ説明をしていなかったね。きみは『幽明境を異にする』という慣用句を知っているかい?」
「初めて聞いた……と思う」
「『幽明』という言葉はあの世とこの世を指している。その境を異にするのだから死に別れるという意味だ。ぼくら幽霊は例外なく死の間際に生まれた者。つまり、幽明のちょうど境目にいるんだ。生者と関わりたければ生者と手を繋げばいい。年に一度だけ訪れ、幽霊が生者に触れることを許される三十二日にね。もっとも、三十二日が何時なのか知っているのは、未来予知ができるぼくだけだが」
そこでウィスプは僕の目を見た。どうやら反応を待っているようだ。なので、僕は正直に首を横に振った。
「ごめんちょっとよく分かんない」
すると、ウィスプは優しく微笑んだ。
「ふふっ、きみはそれでいい。その無神経さがきみの取り柄だ。先ほどの話をかみ砕いて言えば、メアリーがマスターに触れられるのはぼくのおかげってこと」
ウィスプは長い髪をひるがえし、僕のために注文してくれたらしいコーラをマスターから受け取ると、渡してくれた。
喉が渇ききっていたのですごく嬉しかった。ゴクゴクと喉を鳴らして飲んでいるとあっという間に氷だけになった。鼻にまで突き抜ける炭酸の刺激と濃厚な甘さがたまらない。これでこそコーラだ。
「メアリーはね、きみも感じたと思うが、よくないものだ。蒼佑がドッペルゲンガーの能力を使う時、人間にその姿が視えてしまうように、メアリーが能力を使えば人間なんて容易に傷つけてしまう。出会った当時はぼくらもずいぶん手を焼いたよ。本来なら、生者と関わりを持たせてはいけなかった。だけど、メアリーは捨てられた子であったが故に愛情飢餓に陥っていた。深淵のような心を埋められるのは、彼女に対して何の偏見を持たず、ただひたすらに愛せる人間だけだったんだ。だからね、彼女の行動を咎めないでほしい。彼女の中で新しく生まれた感情を上手くコントロールできないだけだから」
ウィスプは話を締めくくった。その話を聞いたあとに二人を見ると、なんだか微笑ましくなってきた。幽霊を愛せる人か。子どもを捨てる親がいる中で、愛情を知らずに育った子どもに手を差し伸べる大人だっている。世の中ってのは捨てたもんじゃない。
「ウィスプのこともそうだけど、マスターって凄いな」
幽霊を相手にしたカフェで務めていたり、冥に生命維持の名義を貸していたり、悪霊の女の子と付き合っていたり、普通の人にはどう考えても出来ないことをやっている。
「まぁ普通ではないだろうね。マスターはロリータ・コンプレックスであり、そこに純愛を求めている重症な人間だからこそ――」
「ふざけんな!」
前言撤回。世の中なんてクソ喰らえだ。
タイトルが変わりました




