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ジャック・オー・ゴースト 3

 ウィスプに連れられた場所は鹿野宮総合病院だった。総合病院、というだけあって鹿野宮市の建物の中では頭一つ飛びぬけて高い。鹿野宮駅周辺のホテルと比べてもまだずっと高い。

 総合病院が市内で一、二を争う規模の建物だという点でも鹿野宮という町がいかに田舎なのか分かってもらえると思う。

 とはいえ、最先端の医療機器が揃うこの病院を甘く見てはいけない。これまでに不祥事を起こした人はいないし、数多くの命を救って話題になった執刀医や、務めて何十年も経つベテラン医師などに支えられてきた歴史ある病院だ。住民からの信頼も厚い。あと受付の人が可愛いし。

 鹿野宮の人間はどうも健康らしく、また十二階建ての大きな病院であるのも相まって、病棟に余裕がある。地元の患者よりも緊急外来で運ばれてくる都会そとからの患者の方が多いのだとか。


「ここだよ」


 八〇三号室の前でウィスプは立ち止まった。ウィスプは小さな拳をつくり、ノックする動作をためらった後、けっきょく何もせず、スライド式のドアを開けた。

 ぽつりと設置された個室のベッドの上で、真っ白い光にもれながら眠っている少女がいる。ウィスプと瓜二つの外見で息が詰まりそうだった。

 備え付けのテーブルに飾ってあるネームプレートには、『紫怨しおん めい』と書いてあった。わざわざ訊かなくても理解させられる。肺にこびりつくような重苦しい空気のせいで言葉が出てこない。

 ウィスプは沈黙したままの僕と七海を交互に見やり、パイプ椅子に座って語り出した。


「ぼくはここで、脳死と植物状態のちがいや生命の維持にかかる費用について、マスターに説明している医者の声をこれ以上ないくらい複雑な気持ちで聞いていたよ。そこで眠っているぼくの隣でね」

 

 眠っている少女――冥の枕元に畳んである制服は、僕が通っている高校の制服とまったく同じだった。この辺りに高校は一つしかないからすぐ分かる。

 僕が高校に入学してから二年間、誰かが入院したという噂は聞いたことがなかった。夏休み直前に行われた学年集会で、生徒指導の先生が昔に起きた事故の話をしていたな。もしそれが彼女のことなら、ウィスプは見た目よりもずいぶん大人なのか。……睨まれてるのは気のせいだよな。


「ふん、まぁいい。きみたちがぼくとぼくを見比べ哀れに思うかもしれないが、ぼくは回復の見込みがないことを憂いてはない。ここへ運び込まれた当時も死ぬことをおそれてはいなかった。ぼくの心は実の父親によって何度も殺されているからね。身体が朽ちるのも精神こころが死に絶えるのもぼくにとって同じだったのさ。だから彼女が生きている――生かされているのはひとえにぼくのせい」


 ウィスプは声を落とした。自虐的な笑みを僕らに向け、感情がすべて剥がれ落ちてしまったような声音で話を続ける。


「偶然にもぼくが生まれてしまったせいだね。ぼくとぼくは違う。ぼくがどれだけ世界を憎んでいようが、どれだけ死にたいと願っていようが、どれだけ人間を傷つけたいと思っていようが、ぼくには関係ない。ぼくの意思で彼女を生かしている。幽希ゆうき、きみも幽霊として()()()()うちに必ず分かるようになる。……ずいぶん話が逸れてしまったけれど、ぼくはぼくが生きている限り、霊体と生体の間を彷徨さまようことしかできない、中途半端な幽霊なんだ」


 そんな風に話されたら疑いなんて向けられるはずがなかった。昨日の僕を殴りたくなってきた。なんで寝てたんだよお前って。

 ウィスプだって女の子には変わりない。人間だった過去と幽霊の現在いまは違うって言ってるけど、記憶も感情もそのままなんだから、何とも思ってないわけないじゃんか。

 はじめは初対面で敵意剥き出しにされて、なんだこいつ、とか思ったけど、ここまで重い事実が背景にあるのなら仕方ないよな。

 そう思っていたら、ウィスプが噴き出した。もの凄く馬鹿にされてることだけは分かった。


「ふっ、きみに対しての態度はほんとに関係ないんだ。強いて言うなら、そうだね、ぼくは未来を視てきた」

「……それで?」

「きみになら何を言っても大丈夫だと確信したから試してみたのさ」

「ふざけんな!」

 

 なんだこいつ。七海も噴き出してるし。いますぐ帰りたい。

 でも、さっきまでの暗い雰囲気はどこかへ行ってしまった。ウィスプなりの僕らへの気遣いだったのだろう。不器用すぎるよ、色々とさ。


「まだ他に訊きたいことがあれば遠慮せずに言うといい」

「もう帰りたいです」

「それはいけない。きみが帰ってしまったらぼくはどうやってストレスを発散させればいいんだい?」

「知るかよ!」

「二人とも仲良いね~」

「仲良くねぇよ」


 どうやったら仲良しに見えるんだよ。あんなサディスティックな笑みを浮かべた友達なんて僕は知らない。

 あ、まず友達いなかったね。リセットする必要のない人間関係だったのに、ダメ押しとばかりに幽霊になっちゃったしな。


「ぼくもそれには同感する。きみと幼馴染になってしまった七海がかわいそうでかわいそうで……ぼくは彼女の為に涙だって流せるよ」

「ひでぇ!」


 泣きたくなってきた。ウィスプがどういう未来を視たのかすごく気になるんだけど。

 会話をしてこんなに声を荒げたのは久しぶりだった。会話か。七海以外の誰かとまともにコミュニケーションを取ったのはいつ以来だろう。 

 白い床が目に入る。考えごとをすると下を向いてしまうのが僕の小さい頃からのへきだ。顔を上げたら七海と目が合った。楽しそうに無防備な笑顔を見せている。楽しい。僕もそう感じているように。

 

「七海、ちょっとぼくに付き合ってほしいのだけど……いいかい?」


 ウィスプが唐突に言った。七海は何かを察したように微笑み、頷いた。


「どこに行くの?」

「もう! なんでユウくんはデリカシーないかな!」

「えぇ……」


 いきなり怒られた。わかんねぇ。

 病室から出ていく二人の背中を見つめ、パイプ椅子に腰を下ろす。とぎれとぎれに落ちている点滴のしずくの垂れる音がやたらと耳に残った。

 眠っている少女にまでくすくす笑われている気がして、疲れと一緒にため息を吐き出すしかなかった。



 ☆ ☆ ☆


 

 売店の横にある自販機で買ったリンゴジュースを飲みながら、八〇三号室前の壁際に並んでいる緑のベンチに座って二人の帰りを待っていた。

 ひとりになって、考える。

 生きてもなく、死んでもいない、そんな少女の姿はテレビの中でしか起こり得ないものだと思ってた。ましてや幽霊なんて、昨日まで信じてもなかった。

 少なからずショックを受けたのかもしれない。斜めに差し込む赤みがかった光が、ちらちら揺れながら僕の顔をおおっている。

 大きく伸びた影の先、廊下の曲がり角で、特徴的な長い髪がなびく。ウィスプと七海だ。

 

「よく考えて決断するといい」「……うん」


 二人の会話の一部が聞こえてくる。七海の元気がない? さっきまであんなに楽しそうにしてたのに。何かあったんだろうか。

 邪魔にならないようベンチの端に移動した。二人とも座らずに立ったままだ。僕の配慮は無意味だったと悟り、空になったリンゴジュースをくしゃりと潰して遊んでいた。


「やぁ、待たせたね。ぼくを置いてここで休んでいるなんていい度胸じゃないか」


 いきなり理不尽すぎる。なんかもう慣れてきたけどさぁ。それより。


「ナツ?」

「ごめん、ユウくん。あの……先に帰るね」


 理由も言わず、七海はこの場を去った。追いつけない速度ではないのに、金縛りにあったみたいに足が動かなかった。ただ足音だけを聞いていた。

 昨日の僕とは逆の立場。底なしの不安に駆られたが必死に自分を抑えた。同じ気持ち。今になって七海が怒った意味がよく分かった。


「七海は体調が悪くなったそうだよ。きみも帰るというなら一向に構わないが……」


 嘘だとすぐに気づいた。ウィスプからは有無を言わせない雰囲気が漂ってくる。僕は首を左右に振った。

 さっき帰ったら困るって言ってなかった? 

 抗議しても、『ぼくがきみの存在にそれほど執着していると思うかい?』とか言われそうだし、やめとこう。

 どうしよう。話題が思いつかない。七海がいないと声を奪われたみたいに言葉が喉に引っ掛かる。このままだと気まずいし、考えていたことでも話してみるか。 


「色々あるんだね。ウィスプにもさ」


 僕の呟きが聞こえたのか、ウィスプは目を丸くしていた。


「どうしたんだい? 頭がおかしいことは知っていたが、何の脈絡もなく奇声を発する症状までは把握していなかった。すぐにでも精神科医を紹介できるけどいるかい?」

「いらないよ!」奇声を発するって、もうちょっとましな表現にしてくれたってよかったのに。

「冗談だよ。ぼくのこと、少しショックを受けたようだね」

「……ちょっとね」


 見透かされている。なんだか妙に恥ずかしさを覚えた。


「でも、ウィスプがここにいるってのは、奇蹟なんだと思う」


 僕は自分が死ぬ瞬間をおぼえている。けれど、七海に触れることができた。まぎれもない奇蹟だ。

 それと同じで、ウィスプにも奇蹟が起きた。神様のおかげかどうか知らないけど、いま、僕と普通に喋っているという奇蹟。

 ウィスプがまた笑ってる。声を押し殺しながら。しかも腹を抱えて。なんかムカついてきた。失礼なやつだな。

 文句の一つでも言ってやろうかと思った時、ウィスプは目尻の涙を拭って口を開いた。


「奇蹟か、ふふっ、ぼくも奇蹟だと思うよ」

「あんま笑わないでくれると嬉しいんだけど」

「きみがおかしなことを言うから……ふふっ」

 

 ウィスプはすぐ隣にちょこんと座った。先輩のはずなのに、同級生と言われても信じられないくらい小柄な少女。

 ほんとうに今更だけど、よく魔女みたいな恰好で外に出られたな。私服がダサいってよく七海に言われる僕ですら、その恰好はないと言い切れるぞ。

 ウィスプは足を投げ出し、うーん、と言って伸びをする。僕はそれを見て、服装なんか何でもいいよなって思いなおしてしまった。それくらい魅力的な絵になっていた。七海がここに居たら、ロリコンとか変態とか犯罪者って罵られるだろうな。ウィスプを抱きしめて烈火の如く怒る姿が想像できた。

 様子が気になったのでウィスプの方を見る。もう笑ってはいない。そして僕の瞳をまっすぐ凝視してくる。何かを探られているように感じ、緊張で背筋が伸びた。


「……ぼくが未来予知の幽霊であることも、ぼくが生きていることも、きみが幽霊になったことも、今日出()ったことも、ぜんぶ意味のない奇蹟だ。そう思わないかい?」

「……わかんないよ」


 まともに答えられなかった。

 だってそうだろう? 急に真剣な顔して、そんなこと言われても、自分の考えを即座に用意できるほど頭が切れる部類ではないし、どっちかっていうと、考えて考え抜いた末に的外れな結論に至ってしまうのが僕だ。

 奇蹟の意味。日常的には使わないのによく見かける。さまざまな用途で使われているけれど……。


「奇蹟に意味を求めたら、奇蹟の価値がなくなってしまうだろう」


 ウィスプが何を伝えたかったのか謎のままだ。不思議と記憶に残る言葉だった。何度か咀嚼そしゃくしてみたけど全く味が分からなかった。当時も。今も。

 面会終了の時間までウィスプと話していた。ずっと話を聞いていた、の方が正しいかもしれない。

 帰りは蒼佑さんが車で送ってくれるそうだ。ウィスプが直接連絡を取ってくれた。受付のソファーで待っている間に、訊いてみたことがある。


「なんで僕らって幽霊になったの?」


 単純な疑問だった。いま思えばなんて嫌な質問をしたんだろう。どうして人間に生まれてきたの? って訊かれるのと何一つ変わらないから。

 それでもウィスプは答えてくれた。


「神様がぼくらを選んだんだ。それもとんでもなく無責任な神様がね」


 ウィスプなりの解答で。


「神様かぁ」

「そう、居場所がなかったぼくらに、素敵な贈り物をくださったのさ」


 居場所。僕に居場所はあったんだろうか。七海のほかに、僕を受け入れてくれた人って、いたんだろうか。思い出せないくらい過去にまでさかのぼらないといけないな。それだけ他人に興味を持っていなかったというのも、居場所を見つけられなかった原因の一端を担っているはずだ。

 

「何をぼうっとしているんだい? 蒼佑はもう来ているらしいよ」

「……はいはい、今行きますよ」

 

 悪くないか。幽霊として生きていくのも。

 ケイさん、蒼佑さん、それからウィスプ。今日、出()えたろくでもない幽霊たち。

 




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