第3話
「おいお前蘭堂だよな、なんだそのカッコ?」
気がつけば、多分地球……というか元の世界。
いや、気がつけばというのは正確じゃないか。ちゃんと意識はあってずっと見ていたから。周りの景色に光とかが混じって滲むようになっていき、足下の方に丸く引き延ばされた世界地図のような物が現れどんどん広がっていき、最終的に自分が飛ばされる前の場所まで送り還されたのを。一瞬だけだけど、超巨大な航空写真みたいな平面に立たされてすごくびっくりしたけど、次の瞬間にはちゃんとピントが合って、世界は立体的になっていた。
元の世界に帰れたのかと思った瞬間に全てが平面だと気付くのは中々衝撃体験だったけど、それはまあいい。一瞬俯瞰しただけだからはっきりとはわからないけど、周囲には誰もいなかったっぽいのもラッキーだろ。ここが多分駐車場かなんかだってこともわかる。
家に帰る道も、わかる。けど。
なんだこれ。
排ガスの匂いで気持ち悪いのはいい。自動車とかみて感動したのもおいとこう。
身動きが取れない。強烈な、違和感。胸の下、お腹の上。鼓動が速くなる訳でも、お腹が痛くなる訳でもなく。
「うぉ、う、ぐえええええぇぇぇ……」
「お、おい、蘭堂? 大丈夫か、おい!」
蘭堂在人それが俺の名前だ。向こうではもっぱらアートとか呼ばれていたからずいぶん久しぶりだけど、確かにそれは俺の名前だ。だけど。
立ち尽くして、地面にしゃがみ込んで、何かを必死に吐き出そうとしてる俺の背中をさすってくれるコイツは、この世界に帰ってきて最初に俺の名前を呼んでくれたコイツは、誰なんだ? 顔も、声も、思い出せない。塾の同期生か、学校のクラスメートか、もしくは近所の子供とかなのか。
名字で呼ばれてるし、多分ここは塾に行く途中の道だから塾の同期生の可能性が高い。でも、だからといってクラスメートでない確証もない。
いや、正直に言おう。なにも思い出せないんだ。
音が反響せず、なにも見えない空間を移動してるときからずっと抱いてた不安感。きっと、見れば思い出せると思っていた。そう思って忘れようとしてたのに。目の前の人間の顔を見ても、なにもわからない。
きっと家には帰れる。道順は何となく覚えてる。お金の数え方も日本語もわかる気がする。受験生としての成績は不安があるけど、一般的な常識はそれほど損なってないと思う。でも、家に帰れて、もし両親の顔を間違えたら。
『アート、お前が無敵なのは召還されてこの世界にいるから。お前が特別な力を持ってるのは俺と契約してるからだ。俺を手放せばお前はもとの世界に帰れるし、契約も解約される』
『つまり普通の人間に戻れるんだ。安心しろ、お前はいつだって逃げられる』
異世界に召還されて、不安で、でもすごい力を手に入れて、調子に乗って、逃げ道があって。
戦って、怖くて、戦って、怖くて、戦って、やっぱり逃げ道があって。
使命感が酔えて、調子に乗って、逃げ道があって。
逃げて逃げて逃げて逃げて。
戦って。
決着を、つけて。
『まあ逃げてもまたすぐ召還されるかもしれないがな』
吐き気が、止まった。
背中をさすってくれていた誰かが、ティッシュの塊をくれるのでありがたく口元を拭うのに使わせてもらう。とりあえず塾まで行けば水道があるし、そこで改めてうがいでもさせてもらおう。
「ありがとう」
「おう、たいしたことじゃないから気にすんな。歩けるか?」
「うん。まあ塾まで対した距離じゃないし」
「そっか、それじゃ改めて質問。そのカッコなに?」
なにと言われても。レザーパンツと金属のプレートを要所にあしらった革のブーツ、麻のシャツに鎖を巻いたレザージャケット、黒い金属のチェストプレートに同じ色の左手のガントレット、金色の金属に緑の宝石のワンポイントをあしらった鉢金。いったいどれのことを言ってるのやら。もし総合的にというのならあれだ、無敵だから鎧いらないけど、最低限それっぽいカッコしないと勇者として見てもらえないから、その辺ギリギリの格好、としか。