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「アスパラくん」
突然、クレソン先生(医師モード)が現れた。
「キヌサヤちゃん自身は気づいていないようだが、あのヒルの力にもうかなり侵されている。前から気づいてはいたいのだ……しかし、私にはどうすることもできなかった。それが間違っているかどうかは、村人全員が決めることだと思ったからね」
「クレソン先生は……平気なんですか?」
急がなければいけないことはわかっていたけど、それだけ尋ねる。
「少々、免疫があってね。それより早く行くんだ。キヌサヤちゃんを、助けてやってくれ」
僕は頷き、玄関の扉を開けた。
家の中は、異常なほどの赤さに満たされていた。
家の壁自体までもが赤く光っている。
これもヒルの力なのか。
僕は、奥へと進んで行く。
キヌサヤは自分の部屋に居る、そう思ったからだ。
「いらっしゃい、アスパラ」
微笑むキヌサヤが、そこにいた。
腕には赤い神が抱えられている。
「ワサビ姫はどうした?」
「さすがに疲れてしまったようだから、アスパラのベッドに寝かせたわ」
キヌサヤは、この期に及んでも、落ち着き払っていた。
でも、なぜか少し、さっきまでとは違った雰囲気を感じる。
「とまとま様の力はすごいわ。怖いくらいにね」
「キヌサヤ! どうしてこんなことをしたんだ? 信仰の対象を作るのなら、姫でよかったんじゃないのか? 姫では幼くて役不足だというなら、キヌサヤだってよかっただろう? それなのに、なぜ!?」
キヌサヤの瞳は穏やかだった。
見つめ合う僕が吸い込まれてしまいそうなほど、深い澄んだ青い瞳だった。
とまとま様と呼ばれたヒルの放つ赤い光にも負けることのない、澄みきった淀みのない青……。
「それが、私の望みだからだ」
声は思いも寄らないところから響いた。
その声は赤い光の塊――とまとま様から発せられた。
壁が、
窓が、
床が、
すべてが振動で壊れてしまうのではないかと思えるくらいの、圧倒的な空気の振動だった。
「驚いているようだな。しかし、不思議なことではなかろう。言葉や高い知能を持つのが自分たちと同じような容姿をしたものだけと考えるのは、おかしいとは思わないか? 私はお前たちなどよりも、ずっと高い力と頭脳を持っている。神として崇めるのも当然というものだろう。その代わりに、私はすべての災厄から村を守ってやろうというのだ。感謝して受け入れるべきではないかな?」
ひとたび話し出すと勢いに乗ったのか、流れ出るように喋り続ける、とまとま。
あまりにも自分勝手で傲慢な物言い。もう「様」なんてつけて呼ぶ気にはなれなかった。
「そんなの、勝手に決めることじゃないだろう!? 守ってやる、なんて言われてありがたく受け入れるわけがない! いくら力や高い頭脳があっても、自分自身をわかっていないお前なんかを、誰が崇めるものか!」
僕は、キヌサヤに抱えられたままのとまとまに飛びかかった。
「黙れ!!」
とまとまは、圧倒的な圧力を解き放つ。
僕はその力の前に成すすべもなく吹き飛ばされ、台所の壁に思いっきり叩きつけられた。
ぶつかった後頭部を手でさすりながら、ふと横に視線を向けると、眠ったままのワサビ姫を抱えたクレソン医師が玄関から出ていこうとしているのが見えた。
僕がキヌサヤの気を引いている隙に、忍び込んでいたのだろう。
こっちを見て、ニカッと笑ってVサインを出す。
この先生には、医師モードの他にお茶目モードもあるようだ。
「とまとま様」
ふと、沈黙を続けていたキヌサヤが動いた。
とまとまを、ぎゅっと抱きしめたのだ。
「おいおい。べつに嫌ではないが、これは少々苦しいぞ、キヌサヤよ」
無言で、さらにきつくそれを抱きしめるキヌサヤ。
「アスパラ。出ていって」
「え?」
「出ていって!」
僕に向けたキヌサヤの青い瞳は、今まで見たこともないほどに鋭かった。
キヌサヤの勢いに負けた僕は、急いで玄関の外に飛び出した。
☆☆☆☆☆
振り返って家の中を見ると、キヌサヤがとまとまを抱きかかえたまま、玄関の外からでも見える位置までゆっくりと歩いてきた。
家の外に出てくる気はないのか、その場でピタリと足を止める。
「お……おい、力が上手く解放できんぞ? 早く離せ!」
とまとまの叫びが聞こえる。
「私が……力を抑えているうちに、この家ごと……破壊して!」
キヌサヤはきっぱりと言い放った。
『なっ!?』
不覚にも、僕ととまとまの声が重なった。
「なにを言っているんだ!? 早く離せ、このボケ娘が!」
「誰がボケ娘よ! あんたなんかに、村を支配なんてさせるもんですか! あんたの力が強いのはわかっていたから、油断させるしかなかったのよ! ……アスパラ、なにしてるの、早く!」
キヌサヤは毅然とした態度で、腕に力を込め続けていた。
額に浮かぶ汗の量が尋常ではない。かなり無理をしているのは確かだろう。
「いくらこうやって私を締めつけて力を封じたところで、この家自体に私の光の力が充満しているのだぞ? 火を放って燃やしたとしても、燃え尽きはしない。無駄なことをするでない!」
「無駄じゃないわ。この家には仕掛けがされているのよ! アスパラたちによってね!」
キヌサヤ、気づいていたのか……。
「アスパラくん。キミが、決めるんだ。仕掛けを発動させれば、家ごと爆破する力をあの空間にぶち込むことができる。力の解放は、パセリが行う」
そう言ったクレソン医師の横で、いつもの衣装に身を包んだパセリが無言で頷いていた。
「でも、そんなことをしたら、キヌサヤは……」
僕には、決断できなかった。
キヌサヤを犠牲にするなんて……そんなことできない!
シシトウたちから話を聞いて、疑ったりもしてはいたけど、
僕を助けてくれて自分の家に住ませわてくれて、この村で一緒に過ごしたキヌサヤを、
血を吸うこととか変な儀式とかの目的もあったかもしれないけど、ずっと優しく接してくれたキヌサヤを――。
僕が好きなキヌサヤを……。
こんなときになって、自分の本心に気づくなんて……!
「早く……」
そんなキヌサヤの声は、明らかに弱まっていた。
「くそっ、いろいろ使えるかと思っていたが、とんだ災難だ。このままお前を取り込んでくれるわ!」
「アスパラ、早く……私が私のままでいられるうちに……」
キヌサヤの顔が苦痛に歪み始めた。
その顔を、必死にそむけようとするキヌサヤ。
こんな私を見ないで、そう言っているかのようだった。
「……わかった……。パセリ! 任せた!」
「了解した」
場違いなほどの冷静な声とともに、いつも持っていた水晶玉を、パセリは勢いよく地面叩きつける。
刹那、
キヌサヤの家は、爆発した。
轟音が耳を突き抜ける。
閃光が目を眩ませる。
爆風が心を吹き抜ける。
砕け散った水晶のカケラが、真っ赤な光を乱反射しながら四方八方に散らばり、まるで星のような輝きを放っていた。
でもそんな輝きなんて、僕の目にはまったく入っていなかった。
僕の視線の先、まばゆい光の中で、最後に一瞬だけ見えたキヌサヤの顔は、いつもどおりの優しげな笑顔を浮かべていた。




