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「待たれよ」
大きな声ではなかったけど、凛とした透き通るような声が、すべての音をシャットアウトさせた。
「パセリ!」
ブロッコリーが叫ぶ。
パセリは、ワサビ姫の家から見て斜め右前方に建っている家の陰から、ひょっこり顔を出していた。
「悪いが、力を封印させてもらうぞ」
言うが早いか、すぐ側にあったお札に触れる。
「こっちも準備万端だよ!」
別の方向からも声が響いた。
ワサビ姫の家から見て斜め左前に建つ家の角に、レタスがいた。
レタスもお札に触れる。
激しい光が、それら二枚のお札と、姫の家の玄関側にある壁の左右端に貼ってあった二枚のお札を結ぶ。
その対角線上には、キヌサヤとワサビ姫、そして抱えられている赤い神がいた。
「う……」
顔を歪めるキヌサヤ。
「今のうちに、ヒルを……!」
そう言ったパセリはもちろんいつもの占い師風の姿だったけど、キヌサヤと同様に苦悶の表情を浮かべている。
お札に向けて力を放出し続けている、といった状態なのだろう。
一方のレタスはさほど苦しんでいる表情ではないし、パセリの手伝いをしているだけなのだろうと推測できた。
パセリの声は……僕に向けられていた。
なぜ、僕なんだ?
シシトウや他の村人でもよさそうなものなのに。
でも確かに、あの赤い光の中で普通に立っていられるのは僕だけのようだけど……。
そんな一瞬の戸惑いが、事態を悪化させた。
キヌサヤが、赤い神もろともワサビ姫を抱えて駆け出したのだ!
普段のおっとりとした雰囲気からは想像も出来ないほどの力強さで、キヌサヤはお札の光の呪縛から逃れ、そのまま走り去っていく。
僕を初め、シシトウや他の村人たちも、あまりの状況に素早く反応できなかった。
「くっ、やはり今のこの体では、力が足りぬか……」
つぶやくパセリの声が耳に届いてきたけど、今はキヌサヤを追うことが先決だ。
力なく崩れ落ちそうになりながらも、どうにか腕で体を支えてこちらを見ているパセリの鋭い視線も、早く行け! と語っていた。
キヌサヤを追いかけて夜の道を走る。
姫を抱えているにもかかわらず、キヌサヤは異常なほど速かった。差は一向に縮まらない。
それどころか、みるみるうちに離されていく。
仮に見失ったとしても、あのヒルの放つ光があればすぐ見つかりそうではあった。
だからといって、速度を緩めるわけにはいかない。
僕は必死に走った。
もうそろそろ夜が明ける時間になってしまったようで、霧に包まれた空は徐々に明るくなってきている。
全速力で走ったものの、結局彼女の姿は視界から消えてしまった。
僕は光を頼りに追いかける作戦に切り替える。
こっちの方向に行ったとなると、やはり、目的地はあそこしか……。
案の定、キヌサヤが向かったのは自分の家だった。
キヌサヤは玄関の前に立っていた。
ワサビ姫と赤い神の姿は見えない。家の中に入れたのだろう。
閉じられたままとはいえ、窓板の隙間から赤い光が漏れ出している。
僕は黙ってキヌサヤと向き合う。
息が上がり激しく肩が上下する。
あれだけ走ったのに、息も乱れていないキヌサヤを目の当たりにして、やはり彼女は普通ではないのだと実感した。
そんな僕に向かってキヌサヤが口を開いた。
「ふふふ。アスパラ、やっぱりあなたはすごいわね。思った通りだわ」
あとから走り出したシシトウたちも、ようやく追いついてきた。
それでも、キヌサヤにはまったく慌てた様子がない。
シシトウたちは、僕の少し後ろで止まり、様子を見守っている。
どうやら扉を隔てた向こう側でも、赤い神の威圧感はシシトウたちを踏み留まらせるほどの強さがあるようだった。
すっ……と、キヌサヤが僕に一歩一歩、ゆっくりと近づいてくる。
迷うことなく、まっすぐに。
僕は、動くことが出来なかった。
キヌサヤは歩みを緩めることなく向かってくる。
そしてそのまま、顔と顔が近づく。
「だめーーーーっ!!」
やっとのことで放たれたレタスの叫び声は、僕の耳にしっかりと届いていた。
それでも、僕は動けなかった。
甘い香りが鼻をくすぐる。
そして――、
唇に温かなぬくもりが重なった。
柔らかな香りが僕を包み込み、時が止まったかのように感じられた。
誰も、動くことも声を発することもできなかった。
ゆっくりと唇が離れる。
「これで、あなたは私のもの」
すぐ目の前で、キヌサヤが微笑んだ。
「操身の儀は、今完了したわ。あなたが来てから、毎朝だ液を流し込んできた。今朝で七日目。これであなたは私の思い通りに操れる。私は、エルダーヴァンパイアの末裔だから」
どよめきが走る。
かなり血は薄まっているのだけどね。
そう言って微笑み続けているキヌサヤの瞳は、妖しく輝いているように見えた。
「……だから、あいつを帰してはダメだと言ったんだ!」
キャベツが叫ぶ。
シシトウも額に汗をにじませながら、苦悩の表情を浮かべていた。
「さあ、アスパラ。本意ではないけど、仕方がないわ。あの人たちを縄で縛って、地下室に戻すのよ。とまとま様の圧力の中では、抵抗なんてできないはずだしね」
僕に命じるキヌサヤの声が聞こえる。
だけど……。
「……どうしたの、アスパラ? ……早く、彼らを……」
そこまで言って、キヌサヤははっと顔をこわばらせる。
どうやらキヌサヤも気づいたらしい。
「な……、どうして? どうして、効いてないの!?」
そう、僕は操られたりなどしなかった。
ちょっとぼーっとしたけど、だからといって意識がなくなったり、意思に反して体が動き出したりなんて事態には陥らなかったのだ。
「ちゃんと確認したんだから、日数に間違いはないはずよ!? それなのに、なんで……?」
明らかな焦りを浮かべるキヌサヤ。
「くっ……」
素早く反転すると、キヌサヤは扉を開けて家の中に逃げ込んだ。
予定どおりではなかったけど、家の中に追い込むことには成功したようだ。
僕自身の頭の中も、疑問でいっぱいだった。
とはいえ、今はキヌサヤたちをどうにかするのが先決だ!




