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圧倒的な闇が村を包み込む夜。
僕は家でひとり、キヌサヤの帰りを待っていた。
今日はいつもより遅いな……。
静かだった。
もともと街灯などもない小さな村。夜の深い闇が辺りを飲み込めば、静まり返るのも当たり前だ。
最初にここに来たときもそうだったっけ。
僕は、この数日間のキヌサヤや村の人たちとの生活を、そして地下室の男性たちのことを、孤独な静寂の中でぼんやりと考えていた。
そんな静けさが、この村には不釣合いな轟音によって突然切り裂かれる。
「な……なんだ、今の音は……!?」
爆発とも思えるようなその音に驚き、僕は家を飛び出していた。
異変はすぐにわかった。
ある一方向が、明るく浮かび上がっていたからだ。
赤い光。
でも、火事や爆発という感じでもなさそうだ。
見たこともないほどの、圧倒的な赤――。
「アスパラさん!」
呆然と立ちすくんでいる僕を呼ぶ声があった。
レタスだ。
「どうやら動き出したみたいです。こちらも、急がなければなりません。とりあえず、地下室へ行きましょう!」
音と光に気づいて家から飛び出して来る村人たちがいる中ではあったけど、視線は全員、光のほうへと向けている。
こちらに注目をする人は、誰ひとりとしていなかった。
僕たちはいつもの物置小屋に駆け込み、共有倉庫の地下室へと急いだ。
「連れてきたよ!」
「ご苦労」
地下室に入ると、シシトウを筆頭に、地下室の男性全員が準備万端で集結していた。
「よく来てくれた。なにかが始まったのは確かだ。しかし、どうなるかはわからない。覚悟はいいか?」
僕の目をじっと見つめて問うシシトウ。
「ああ!」
僕は即答した。
「アスパラよ。俺たちはいろいろと仕掛けを準備してきたが、一番強いのはキヌサヤの家に仕掛けてもらったものだ。そこまで使う必要がないことを願いたいが、いざというときにはどうにかして、そこに追い込んでくれ」
すでにざわつき始めていた周りの声にかき消されないよう、シシトウは僕に顔を近づけて耳打ちする。
そして仲間たちに向き直り、大きく叫んだ。
「奴らは動き出した! 決戦のときが来たのだ! これから突撃を開始する! みんな、覚悟はいいか!?」
おーーーーーっ!!
一同の声が、力強く響いた。
「通路はすでに開通させてある。行くぞ!!」
シシトウを先頭に一気に走り出す一行。
僕とレタスも、それに続く。
立ったまま走っても大丈夫なほどの通路。
崩されていたという抜け道だろう。
決戦の日に向けて掘り進めていた作業は、無事に終了していたようだ。
もとがどんな状態だったのかはわからないけど、よく短時間でここまで復旧させたものだ。
「短期間ではないさ。あんたが来るずっと前から、計画は進められていたんだからな」
こちらを見ることもなく、ぶっきらぼうにそう言い放ったのは、レタスの兄、キャベツだった。
相変わらず僕を敵視しているみたいだ。
抜け道から物置小屋へ登り外に出ると、赤い光はすぐ目の前だった。
「あら、みなさんお揃いで、よくいらっしゃいました。……アスパラも一緒なのね。そんな気はしていたけど」
集まった村人たちの人垣の向こうに、彼女はいた。
キヌサヤだ!
その横にはワサビ姫の姿もある。
赤い凄まじい光は、姫の腕に抱きかかえられた物体から発せられていた。
なにか、赤い丸っぽいもの。
柔らかい物体なのか、姫の腕の中でうねうねとうごめいているようにも見える。
「地下室ではやっぱり不自由だったかしら? 長々とごめんなさいね。でも、もういいわ。血は充分だから」
シシトウたちに向けて言い放つキヌサヤ。
いつもと変わらぬ優しげな口調。
驚くほど落ち着いている。
一方ワサビ姫のほうは、赤く丸い物体を抱えながら立ち尽くしている。
目がやけに虚ろだ。
「あれは……ヒル!?」
シシトウが目を見開く。
姫が抱えている赤い光を放つ物体。
ヒルだというには大きすぎる気もしたけど、言われてみれば、あのヌメヌメとした外見……確かにそのようだ。
「私キヌサヤが、ワサビ姫の名のもとに宣言します。このヒルを、村の神として迎えます! トマト村のみな様、この赤き神を、末永く崇め奉りましょう!」
キヌサヤは突然、凛とした透き通った声でそんなことを宣言した。
いったい、なんなんだそれは? なぜそんなことを!?
「……あら、アスパラ。相変わらず顔にすぐ出るわね。いいわ、教えてあげる」
僕のほうに顔を向け、キヌサヤは語り始める。
姫の抱えている神とまで言われたヒルは、相変わらず赤い光を放ち続けている。
その威圧感は想像を絶するほどで、勢い込んでここまで来たシシトウを初めとする村の男性陣も、なにもできずに成り行きをただ見守ることしかできない。
「この村のことは、もう聞いているわよね? 吸血鬼の村だというのは本当よ。血を吸わなくても死ぬわけじゃないし、牙も退化してもうないのだけどね。でも、やっぱりたまには血を吸わないと、ストレスが溜まるのよ。それで地下室に男性を閉じ込めた。その辺りの事情は、彼らとともにいるのだから、わかっていると思っていいわね?」
僕は無言で頷く。
「彼らの血は、村人全員に分け与えた。キュウリ夫人が地下室にいる人たちの食事を作っていたのだけど、その中にもまぜてあったのよ。だから彼らも血を吸えないストレスからは逃れられていたはずなのだけどね」
「ああ。だいたい予想はしていたさ」
シシトウだけは、赤い神の威圧感にどうにか耐えているようだった。
それでも、汗が大量ににじんでいるのがわかった。
どういうわけか、僕はヒルの光の中にいても、とくに威圧感を受けたりといったこともなかったのだけど。
吸血鬼じゃないから影響を受けないだけなのかな。
僕やシシトウを含む、全員の視線を一身に受けながら、キヌサヤは語り続ける。
「でもね、それだけでは限界があった。自分たちの血を循環させているだけ、ってことになるわけだものね。そのせいで血を吸うことによる精神的な安定感も薄れてきていたの。精神的な部分だから、晴れない霧によるストレスなんかもあったのかもしれないわね。とにかく、これ以上ひどくならないうちに手を打たなければならなかった。そこで考えたのよ。なにかすべてを振り払う、心のよりどころみたいなものがあればいいかな、って」
キヌサヤは視線を姫に送る。
その目は優しげで、いつもとなんら変わらない穏やかさをたたえているように思えた。
「信仰……」
つぶやくように言葉を漏らすと、キヌサヤは顔を村人や僕たちのいるほうに向け直し、迷いのない落ち着いた声で告げる。
「なにか崇拝する圧倒的な存在が必要だって、そう思ったのよ。それが、この赤い神。採取した血の一部をこの神に与え続けてきたの。だからこんなにすごい力を持つまでになった。丸まった姿はまるでトマトのように鮮やかな赤い色でしょう? だから、とまとま様って名づけたのよ」
「とまとま……」
相変わらず、キヌサヤのネーミングセンスは微妙だ。
僕は思わず場違いな感想を持ってしまった。
「さぁ、みなさん。とまとま様を受け入れて、よりよい未来を築いていきましょう!」
高らかに声を上げるキヌサヤ。
すでに洗脳されているのか、キュウリ夫人も、モロヘイヤじーじも、ブロッコリーも、オクラさんも、微かに笑顔をこぼしたまま頷いていた。




