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「しっかし、歩きにくいな」
部下のひとりがぼやく。
こんな薄暗い森の中をずっと歩いているのだ、文句も出るというのもわかるのだが。
「森の中なんだから、当たり前だろう。口を動かす前に足を動かせ」
隊長としての役目として、すかさず注意を与える。
不満には思われるだろう。しかし人をまとめていく上では必要なことだ。
俺は歩きながらも、周りに気を集中していた。
森がざわついている。そんな感じがした。
漠然とした違和感のようなものを覚えるだけだったが、自分の勘というか、感覚は人より鋭いようなのだ。
昔からなにか異変があるとには、周囲の空気に同じような違和感が漂っていた。
今回も、なにかが起こる。そう予感させていた。
しかし、奴らの仲間を見つけて退治する任務か……。
上からの命令とはいえ、嫌な役を任されたものだ。
まさか、この悪魔の森と呼ばれる場所に足を踏み入れることになろうとは。
小さな頃から皆恐れて生きてきているのだ。そんな場所にいるというだけでも、部下たちの士気は下がっているだろう。
奴らに遭遇した場合に使い物になるのか、不安でしかない。
とはいえ、隊長である自分自身が気力を保っていないような状況では、どうにもならないか……。
「隊長、もうかなり歩いたと思いますが、時間的には大丈夫なのでしょうか? 霧でまったく時間がわかりませんが、夜になると危険だと思われます」
「うむ、そうだな。だが、これから戻っても外に出るまでには至らないだろう。どこかいい場所を見つけて野営の準備をすべきだろうな」
この森の中で一夜を明かすのか!?
明らかな不満と不安の入りまじった雰囲気が部下たちを包み込む。
ともあれ、夜になってから下手に動き回るよりは、そのほうがまだ安全なはずだ。
もちろん火は絶やさないようにしなければならないが。
やがて、うっそうと茂る木々の中に、若干ではあるが木の生えていない場所を見つけた。
周囲の木々の陰に隠れた場所からは丸見えとなってしまうが、逆にこちらに近づく影も見つけやすい。
俺たちはここで野営の準備を始めた。
大掛かりなものではないが小さなテントを張り、火を焚き、二交代で見張りを立てることにした。
前半は俺と一番若い部下のふたりで見張りに立った。
静かな時が流れる。ただ焚き火のパチパチと鳴る音だけが、森の中にこだましていた。
その静寂を切り裂いたのは、部下の声だった。
「隊長はどう思いますか? 今回任務についた僕らは、素行が悪いという理由で正規の部隊を外された者です。捨て駒扱いでこの森に送られたんじゃないかって、そう考えてしまうのですが……」
ずっと不安だったのだろう、少々震えながら思いのたけを吐き出す部下。
この男は確か、部隊に入ってすぐ、警備中の不法侵入と窃盗の罪で牢に入れられたと聞いている。
少々気弱な印象を受けるこいつが本当にそんなことをしたとは、俺にはとても信じられないのだが。
「そんなことはないさ。それなら隊長をやっている俺はどうなるんだ? まぁ、それほど隊長に向いているとも思ってはいないが」
「いえ、隊長は素晴らしい人だと思います! だからここまでついてきているのですから!」
「ありがとう。上もいろいろと考えがあってのことだろう。今回の件も、我々には知らされていないが、奴らの仲間がここにいるという確信があって派遣したはずだ。隊としては信じることが重要だ。気持ちが揺らいでいては、いざというときに力が出せなくなってしまうからな」
言いながらも、俺は心の中で苦笑を浮かべていた。
俺自身が上を信じていないのだから、説得力なんてないだろうな。そう思いながら。
ガサッ……。
不意に、奥の茂みの辺りで音がした。
「隊長、なんでしょうか? 今の音……」
「わからん。……見てくるか」
すっと立ち上がる俺。
僕も行きます、そう言って部下もともに歩き出す。
木の陰から森の奥のほうへと、慎重に視線を巡らせてみる。
「……なにも、ないな」
「そうですね」
安堵した、その瞬間。
コン。コン。コン。
森の奥から、音が響き始めた。
どうやら木と木を打ち合わせている音のようだ。
問題はなぜそんな音がするのかだが……。
「隊長……」
「変だな。一ヶ所からだけならわからなくもないが、いろいろな方向から鳴っている」
そう、最初に鳴った音は俺たちが近づいた方向からだったが、すぐに別の方向からも聞こえ始め、徐々に音は増え、すでにもう三百六十度すべての方向からから鳴り響いてくるようになっていた。
さらには、なにやら甘い香りが辺りに漂い始める。
今までに感じたことのない匂いに包まれ、頭の中に直接響いているかのような錯覚さえ起こす無数の音の洪水の中、俺たちは立ち尽くしていた。
「な……なだこれは!?」
テントの中で休んでいたふたりも、さすがに音に気づいて起きてきたようだ。
「落ち着け!」
そう叫ぶ俺自身が落ち着きを失いつつあるのは、自分でもよくわかっていた。
「フフフフフ……」
突如、声が響き出した。
俺たちの中の誰からの声でもない。
それは女性の声のように聞こえた。
「フフ……フフフフ……」
声は響き続けた。
コンコンという音と同じように、森の様々な方向から聞こえてくる。
「ウフフフフフフ……」
それら声は、すべて同じ声のように聞こえるのだが、いろいろな場所から響き、重なり、俺たちの精神に襲いかかってくるかのようだった。
いったいなにが起こっているのか、まったく理解できない。
音と声が鳴り響く中、恐怖の念だけがただ膨れ上がっていった。
横に立つ部下は震えが止まらないようだ。俺の腕につかまり、どうにか正気を保っている状態だった。
テントから飛び出してきたふたりも、すでに錯乱状態といった様子で、剣を引き抜き身構えながらも、顔は恐怖の表情と汗で溢れていた。
俺も額の汗を拭い、腰の剣に手をかける。
気配を、感じていたからだ。
……来る!




