めでたし、めでたし
あるところに世継ぎに恵まれない国がありました。
今は娘が二人きり
予言をした妖精が言いました。
「このままでは国が滅びます」
他の妖精が言いました。
「娘の一人を眠らせて、国を延命させましょう」
妖精が言うには、次女を五十年眠らせ、世代をずらし、その間に国を栄えさせるという話です。
王は悩みましたが、長女は婿をとった矢先。
——自分も国の役に立ちたい。
そう考えた次女は喜んで、その役目を受けいれました。
あるところに、旅人がいました。
好奇心旺盛で一つのところにじっとしていられない彼は、様々な国を巡ります。
砂の国、水の国、炎の国に緑の国。
世界は彼を魅了し、彼も興味が尽きません。
そんなある日、彼は風の噂を聞きつけました。
『五十年眠る呪いをかけられた姫がいる』
最高に好奇心を刺激され、彼は喉を鳴らしました。
色々な思考が頭を巡ります。
本当にそんな呪いがあるのだろうか。
どうして眠っているのだろう。
目覚めさせることはできないのか?
そして、それが本当ならば、どんなお姫様なのだろう。
居ても立っても居られなかった旅人は、噂を頼りに呪われた城に向かいます。
***
呪いの城は嘘でした。
城壁を絡む黒い蔦も、張り巡らされた薔薇の棘も。
全ては妖精が、眠る次女を守るための魔法だったのです。
そして、その魔法の数々は人々には余りにも、おどろおどろしく見えました。
予想外のことがあるとするのなら、そんな蔦や棘や恐怖心を煽る見た目は、旅人の好奇心には余りにも容易かったことでしょう。
旅人は、蔦を裂き、棘を跳ね除けていきます。
足に棘が刺さり、腕にかすり傷が増えれば増えるほど、彼の血は滾り、胸の鼓動は高まっていきました。
繭のように守っていた魔法たちを跳ね除けた先。
旅人は煌びやかな寝室にたどり着きます。
部屋の真ん中に、天蓋付きのベッドが一つありました。
旅人は目を瞬かせました。
先ほどまでの苛烈さは、なりを顰め、窓から覗く月の光だけが部屋を照らしています。
旅人の耳には、自分の鼓動の音しか聴こえていません。
静かに深呼吸をして、体の熱を冷まします。
何度目かの呼吸を終えた旅人は、腕から流れる血に気づき、乱暴に服で拭いました。
気を取り直して埃を払うと、旅人はボロボロの革靴でベッドに歩みを進めます。
部屋には、カツ、カツ……という足音だけが響きました。
***
傷だらけの指が、繊細な布地を摘みます。
旅人は油断すれば切れそうなそれを、気をつけながら引き上げました。
一枚隔てたその先、目に映ったのは静かに眠る女性。
ゆっくりと胸を上下する、その姿に旅人は思わず、息を呑みました。
枕に広がった絹糸のような髪は艶やかで、陶器のような肌は今にも目覚めそうな生気を宿しています。
長いまつ毛が揺れ動くたび、旅人は好奇心ではない、味わったことのない熱が胸をよぎりました。
その熱は、彼が知りたかった様々な好奇心の全てを溶かし、飛び交っていた全ての視線を目の前の女性、ただ一人に引き寄せたのです。
旅人は思わず、眠る彼女の、その白魚のようなきめ細やかな指に触れようとしました。
あとほんの僅か、触れるか触れないかというところで旅人は動きを止めます。
呪いの城の噂には、まだ続きがありました。
『眠る姫は、勇敢な王子の口付けで目を覚ます』
旅人は、手を引き戻しました。
自分が『王子』と呼ばれるものではないことを知っているからです。
——いずれ目覚めて幸せになる、彼女に触れるべきではない。
ならばせめて、彼女の迎えが来る日まで、近くにいることを許して欲しいと旅人は願いました。
少し経つと、雲が月を隠していきました。
窓から入る僅かな月光は陰り、青い闇夜に部屋が飲まれていきます。
旅人はどこか寂しさを覚えました。
夜の静けさの前には、煌びやかな部屋も華やかな家具も色を失い、冷え切ったかのようです。
それが一層、一人眠る姫の孤独を感じさせました。
物悲しく思った旅人は言葉を紡ぎます。
今まで訪れた国の話、そこで聴いた御伽話。
靴の汚れの分、旅人はいくらでも語れます。
その日から、呪いの城が彼の居場所になりました。
***
日が昇ると、旅人はいずれ来る迎えのために、城の掃除を始めました。蔦を払い、薔薇を整えます。
夜が深まれば、寝室の椅子に腰を下ろし、ランプの灯の中、ゆっくりと姫に物語りました。
彼は彼女の寝顔を見つめて、思うのです。
——彼女は喜ぶだろうか。
そう想えば、慣れない作業も苦ではありません。
爪に入った土汚れも、僅かな擦り傷も、どこか誇らしい気持ちになりました。
ある日、旅人は妖精の魔法から免れた、美しい赤い薔薇をみつけます。
彼はその一株を植木鉢に移し、ベッド横の脇机に置きました。
***
呪われた城は時間の流れが緩やかなのか、旅人は空腹を忘れます。
気づけば何巡かした季節、呪いの城は旅人の働きの甲斐もあり、幾分か不気味さが減りました。
それに気づいた妖精は、旅人の存在に気がつきます。
姫の身を案じた妖精は、一つ魔法を足しました。
***
旅人はある時から、ハサミが持ちづらくなりました。
指の関節がうまく動かなくなったからです。
旅人はある時から、うまく歩けなくなりました。
踵が上がってしまうからです。
妖精は、綺麗になったこの古城に、人が来ることを恐れました。
そこで脅かすつもりでかけたのが、『城にいる人間を獣の姿に変える魔法』
しかし、そんな魔法では旅人の抱いた熱は、決して冷めませんでした。
彼は姫の迎えが来るまでは、そばにいようと心に決めていたからです。
旅人は以前より、ずっと早く走れるようになりました。
二足で歩く方法を忘れたからです。
旅人は以前より、城に近づく獣をすんなり追い払えるようになりました。
彼自身が獣になったからです。
***
嗜める為の妖精の魔法は、少しずつ旅人の形を変えていきます。
できることが増えるたび、できないことも増えていき、いつしか寝物語の内容は、思いつけなくなりました。
部屋の隅には、履けなくなった汚れた革靴。
再び荒れ始めた古城の中、ただ一つ変わらなかった事は、旅人が姫のそばにいたいという想いだけでした。
***
月日が流れ、世継ぎに恵まれない国は、長女や婿に入った王子の尽力で豊かな国になりました。
子どもにも恵まれて、跡継ぎにも困りません。
王は安心して位を譲り、安らかに旅立ちました。
次女が眠りについて五十年が経とうとする頃、王妃になった長女の元に窓辺の鳥たちは歌います。
「もう少しで、姫が目覚めます」
「あの頃から姿は変わらず、美しく」
「獣すら彼女を守っています」
それを聴いた王妃は、眉を顰めました。
なぜなら彼女は、国のため眠りにつくことを受け入れた妹には幸せになって欲しかったからです。
そこで王妃は、御触れを出しました。
【呪いの古城で眠る姫を、獣から取り返せた者を、姫の結婚相手とする】
その獣は人間ほどの大きさで、ずっと姫のそばを離れないと言う話。そんな獣が、いつ牙を剥くか。王妃は気が気ではありません。
それならば、獣を倒す強さと勇気を兼ね備えた若者を妹に娶らせたいと願ったのです。
***
程なくして、その御触れを見た一人の若者が、姫を救い出すために名乗りを上げました。
彼は、ある小国の王子で、武術に優れた勇気のある者だと評判でした。
まさに、誰が見ても立派な『王子』と言えるでしょう。
彼はすぐに、彼を慕う数人の従者を連れて呪いの城へ向かいます。
数十年間、手入れを忘れられた古城は、すっかり旅人が訪れた時の姿に戻っていました。
王子たちは、薔薇の棘が張り巡らされた道を突き進み、ようやく城の中に足を踏み入れた途端、恐ろしい獣の唸り声が城中に響き渡りました。
彼らは剣を抜き、弓を構えます。
扉の隙間から差し込まれた僅かな光で、映し出されたその姿は黒い毛並みに、鋭い牙を持った獣でした。
妖しく輝く双眸は、王子たちを睨みつけて離しません。
——その獣は人間の見分けがつかなくなっていました。
それが『王子』か、そうでないかではなく。
自分の縄張りにいて、姫に危害を加えるか、加えないかという判断になっていたのです。
武器を持つ彼らは、まさに獣が危惧した相手。
歯を剥き出し、地を這うような重低音を喉に響かせ、王子たちを警戒します。
恐れをなした従者の一人が、思わず弓を引きました。
王子は「やめろ!」と叫びましたが、キリリ……と小さく弓が鳴った、その瞬間。
獣は耳をピクリと動かし、勢いよく、その従者に飛びかかりました。
弾みで放たれた矢は、獣の肩に突き刺さります。
矢尻の先が肉に深く食い込み、血が滲み出ようとも獣はそれを物ともせず、従者の首に強く噛みつきました。
呆気に取られた王子たちは、その素早さに動くことができません。
抵抗していた従者も、次第に動きが鈍くなり、いつしか重りのように動かなくなりました。
古城の絨毯に赤い染みが広がります。
王子たちは息を呑み、静寂が辺りを包みました。
獣は、従者だったそれを振り放します。
その様子を見ていた王子は、拳を強く握り締め、生き残っている従者全員に告げました。
「——この獣を、倒すぞ」
***
王子が剣を振り上げ、後ろの従者が弓を引く。
彼らの連帯は素晴らしく、最初は分の悪い状況も次第に逆転していきました。
獣は切り裂かれ、矢を射られ、黒い毛皮がじっとりと血で濡れていきます。
息遣いは次第に荒くなり、床に血が滴り落ちれば落ちるほど、滾っていた熱が急激に温度を失っていきました。
王子が弱った獣に最後の一撃を加えようと、足を踏み込み、剣を振り下ろす寸前。
獣は渾身の力を込めて咆哮をあげました。
空気を揺るがす轟音に、王子たちがたじろいだ一瞬の隙を突いた獣は、城の奥へと続く階段を駆け上ります。
獣が向かった暗がりの先には、姫の寝室がありました。
扉を押し開き、天蓋ベッドの薄布の先。
安らかに眠る姫の姿と、すぐ側に咲く赤い薔薇を確かめた獣は、安心したように息を吐きました。
その背後から、ヒュッと一本の矢が空気を裂きます。
終幕は獣が姫と共にいた時間からすれば、瞬きのような刻でした。
***
目を覚ました姫は、王子と結ばれました。
「お姫様万歳!」
「王子様万歳!」
国のために役割を果たした姫と、姫を獣から救い出した王子は、国中の人々から祝われました。
***
むかし、むかし、とある国のお姫様が、自分の国のために自ら眠りにつきました。
お姫様が眠る間に、悪い獣が連れさって、古いお城に閉じ込めます。
それを知った強くて勇気のある王子様が、悪い獣を倒しました。
王子様とお姫様の二人は結ばれ、末永く幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。
***
国民の間に広まったこの物語では、王子と姫は幸せな結末を迎えていました。
しかし、幸せになったはずの姫は何故か夜になると、涙が一筋流れます。
誰かわからない、けれど優しい声が毎夜語りかけていた気がしたのです。
——今日もお話は聴けないのね。
彼女は涙を流しながら、いつものように夜空を見上げました。




