第8話 『溶ける一瞬』
校内選抜・本選当日。
大講堂に設置された特設キッチン。
観客席には在校生、講師陣、そして外部審査員。
緊張で、空気が少し重い。
司会の声が響く。
「テーマは――“二人で作る、ひとつの感情”!」
制限時間、二時間。
「スタート!」
◇
一斉に動き出す。
ルイの手は迷いがない。
温度計を一瞬見ただけで、砂糖を火から外す。
小春はメレンゲを立てながら、呼吸を整える。
(大丈夫。大丈夫)
でも手が少し震える。
「集中しろ」
隣から低い声。
ルイの視線は鍋のまま。
「今は味だけ見ろ」
その一言で、震えが止まる。
「はい」
◇
順調に進んでいた。
ビターガナッシュ、完璧な艶。
焼き上がった土台も理想的。
問題は――最後の温かいオレンジソース。
“再生”を象徴する、溶ける瞬間。
小春が鍋を持ち上げた、その時。
コンロの火が、わずかに強くなる。
「あっ……」
一瞬。
ほんの一瞬で、香りが変わる。
焦げの匂い。
ルイが即座に振り向く。
「火を止めろ!」
小春の指が震える。
ソースの色が、ほんの少しだけ濃い。
「やり直す時間は……」
残り二十五分。
ギリギリ。
「どうする」
ルイの目が問う。
逃げるか。
攻めるか。
小春は、ソースを舐める。
苦味が、わずかに強い。
でも——
「使います」
ルイの眉が動く。
「予定より、少しビター。でも」
深呼吸。
「“再生”には、ちょうどいいかもしれません」
甘さだけじゃない。
失敗も、物語の一部。
ルイは一瞬だけ考え、
「……量を減らす」
と判断する。
「中心だけに落とせ。全体に広げるな」
「はい!」
二人の動きが、ぴたりと噛み合う。
◇
盛り付け。
白と黒のコントラスト。
中央に、温かいソース。
「いくぞ」
ルイが合図する。
小春が、ゆっくりとかける。
とろり。
ビターな層が、溶ける。
白が揺れる。
香りが立ち上る。
観客席から、小さなどよめき。
その瞬間——
小春は、確信する。
(大丈夫)
◇
試食。
審査員が一口。
最初は苦味。
次に、軽やかな甘さ。
そして最後に、温かさ。
「……面白い構成ですね」
「苦味が先に来るのに、不思議と重くない」
「後味が、優しい」
小春の胸が熱くなる。
ルイは無言で聞いている。
◇
結果発表。
三組が並ぶ。
ルナの作品は華やかで完成度が高い。
観客の評価も高い。
沈黙。
「本選突破ペアは――」
鼓動がうるさい。
「ルイ・一ヶ原ペア!」
一瞬、音が消える。
「……え?」
小春が呟く。
拍手。
歓声。
ルナが、悔しそうに唇を噛む。
でもすぐに、顔を上げる。
「次は負けへん」
強い目。
◇
小春はまだ信じられない。
「ルイくん……」
隣を見る。
ルイは、静かに言う。
「お前が使うって言ったんだ」
焦げたソース。
失敗しかけた瞬間。
「逃げなかったな」
その言葉に、小春の目が潤む。
「泣くな」
でも今回は、声が少し優しい。
◇
舞台袖。
二人だけの空間。
小春が小さく言う。
「ありがとうございました」
「礼は早い」
「え?」
「これは通過点だ」
視線は前へ。
「世界、目指すんだろ」
小春は、力強く頷く。
「はい!」
その横顔を見て、ルイはほんの少しだけ笑う。
壊れてもいい。
溶けてもいい。
そこから、また作ればいい。
二人の距離は、もう“ペア”以上に近づき始めていた。
でも——
全国大会は、もっと過酷。
そして、ルイの過去が
本格的に二人の前に立ちはだかる。
甘さの裏に潜む、苦い記憶。
物語は、次のステージへ。
――つづく




