第7話 『前夜の温度』
本選前夜。
校舎の灯りはほとんど消えている。
実習室に残っているのは、二人だけ。
小春と、ルイ。
仕上げの確認。
味の最終調整。
テーマは――“再生”。
ビターなガナッシュ。
軽やかなメレンゲ。
そして最後にかける、温かいオレンジソース。
「ソース、もう少し酸味を立たせる」
ルイが言う。
「はい」
小春は素直に頷く。
もう、言い合いにはならない。
互いの“譲らない部分”が分かってきたから。
◇
静かな空気。
ふと、ルイが手を止める。
「……怖くないのか」
突然の問い。
「本選」
小春は少し考える。
「怖いです」
正直な答え。
「でも、楽しみでもあります」
「失敗するかもしれない」
「はい」
「全部崩れるかもしれない」
小春は、ゆっくり頷く。
「でも、それでも」
彼女はルイを見る。
「崩れたら、また作れます」
ルイの視線が揺れる。
「簡単に言うな」
声は低い。でも、怒ってはいない。
「簡単じゃないです」
小春は小さく笑う。
「泣くかもしれないし、落ち込むかもしれません。でも」
一呼吸。
「それでも、作りたいんです」
その言葉は、まっすぐだった。
◇
ルイはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと零す。
「昔、大会で失敗した」
小春は黙って聞く。
「砂糖の温度を一度、誤った。それだけで全部崩れた」
静かな声。
「期待されてた。完璧だって言われてた」
拳が、わずかに強く握られる。
「だから今は、壊れないものしか作らない」
その横顔は、少しだけ寂しい。
小春はそっと言う。
「でも今回、壊れてもいい構成にしましたよね」
ルイが目を向ける。
「“再生”だから」
小春は続ける。
「壊れる前提で作るの、勇気がいりますよね」
沈黙。
やがて、ルイが小さく笑う。
「……お前のせいだ」
「え?」
「そんな構成にしたの」
責める口調じゃない。
どこか、柔らかい。
◇
試作の皿を二人で見つめる。
ビターと白のコントラスト。
温かいソースをかけると、層がゆっくり溶け合う。
「きれいですね」
小春が呟く。
「まだ未完成だ」
「でも、好きです」
ルイが一瞬、息を止める。
何気ない言葉。
でも胸に残る。
◇
帰り道。
校門の前で、二人並んで立ち止まる。
夜風が、少し冷たい。
「明日」
ルイが言う。
「泣くなよ」
小春は、くすっと笑う。
「はい」
一歩、踏み出す。
そして、振り返る。
「ルイくん」
「なんだ」
「隣に立てて、嬉しいです」
真っ直ぐな言葉。
ルイは、返事が少し遅れる。
「……そうか」
それだけ。
でも、心臓は少しだけ早い。
◇
離れた場所。
ルナが夜空を見上げている。
「再生、か……」
小さく息を吐く。
「上等やん」
彼女もまた、本気。
◇
本選は、明日。
壊れるかもしれない。
でも、二人はもう知っている。
壊れても、また作れる。
そして——
この気持ちも。
甘くて、少しだけ苦い。
静かに、形になり始めている。
――つづく




