第5話 『震える手、揺れない心』
校内選抜予選当日。
実習室の空気は、ぴんと張りつめていた。
ステンレス台が整然と並び、材料はすでに用意されている。
テーマは――
「感情を表現する皿盛りデザート」
制限時間、二時間。
審査員は龍星先生を含む三名。
「始め」
その一言で、すべてが動き出す。
◇
小春の手は、ほんの少し震えていた。
(大丈夫……大丈夫)
選んだ感情は――“希望”。
何度失敗しても、また立ち上がる気持ち。
ベースはホワイトチョコのムース。
そこに柑橘の爽やかな酸味。
中心には、黄金色のパッションフルーツジュレ。
光を閉じ込めるイメージ。
隣ではルナが大胆にフランベをしている。
炎が上がる。
「攻めるな……」
誰かが小さく呟く。
さらにその奥。
ルイは静かにキャラメルを煮詰めていた。
焦がす寸前。
“後悔”。
甘さと苦味の境界線。
彼の動きに迷いはない。
◇
順調だった。
……はずだった。
「っ……!」
小春の手が、わずかに滑る。
ジュレの型が崩れた。
(うそ……)
中心が歪む。
時間は、残り三十分。
心臓が早くなる。
(落ち着いて……)
でも、視界が少し滲む。
そのとき。
「止まるな」
低い声。
ルイ。
「直せる」
短い一言。
責めない。焦らせない。
ただ、事実だけ。
小春は深呼吸する。
(まだ終わってない)
崩れた部分を削り、再構成する。
完全じゃない。
でも——
“立て直した跡”が、逆に意味を持つ。
(これが、希望)
◇
完成。
皿の中央に白いムース。
その中に、光るジュレ。
割った断面から、黄金が覗く。
——壊れても、光は消えない。
◇
審査。
まずはルナ。
刺激的なスパイスと炎の香り。
「情熱と怒りが明確だ」
高評価。
次にルイ。
キャラメルの苦味が、最後に優しく溶ける。
「完成度が高い。“後悔”が伝わる」
静かな拍手。
そして、小春。
スプーンが入る。
断面が現れる。
ひとくち。
沈黙。
小春の手は、もう震えていなかった。
龍星先生が口を開く。
「……未完成だな」
胸が締まる。
「だが」
顔を上げる。
「立て直したな」
見抜かれている。
「崩れた跡が、逆にテーマを強くしている」
小春の目が潤む。
「技術はまだ荒い。だが、心は折れていない」
一拍。
「評価する」
◇
結果発表。
静まり返る教室。
「本選進出者は三名」
名前が読み上げられる。
「ルナ」
ルナが小さく拳を握る。
「ルイ」
彼は表情を変えない。
そして。
「一ヶ原小春」
一瞬、時間が止まる。
「……はい」
声は小さい。でも、はっきり。
教室がざわつく。
ルナがちらりと見る。
「ちゃんと来たな」
ルイは小さく言う。
「泣かなかったな」
小春は、少しだけ笑う。
「はい。強くなりますから」
◇
予選は終わった。
でも、これは通過点。
本選は、もっと厳しい。
それでも——
小春の中の光は、消えていない。
そしてルイは、気づき始めていた。
この少女は、自分とは違う。
苦味を否定しない。
でも、必ず甘さを探す。
その強さが、少しだけ羨ましかった。
◇
夢は、まだ遠い。
でも、隣に立つ距離は。
ほんの少しだけ、近づいた。
――つづく




