第4話 『甘くない記憶』
校内選抜予選まで、あと三日。
実習室はいつも以上に張りつめていた。
泡立て器の音。
オーブンの開閉音。
誰もが、黙々と自分の“感情”と向き合っている。
小春はノートを広げていた。
(喜び……悲しみ……怒り……)
テーマは「感情を表現する皿盛りデザート」。
でも、小春の中にあるのは——
“迷い”。
(わたしのスイーツ、ちゃんと届くのかな……)
そのとき。
「止まってる」
低い声。
顔を上げると、ルイが立っていた。
「考えすぎると、味も鈍る」
「……はい」
図星だった。
◇
「ルイくんは、もう決まってるんですか?」
思い切って聞いてみる。
彼は少しだけ間を置いて言った。
「決まってる」
「どんな感情ですか?」
沈黙。
それから。
「後悔」
短い言葉。
小春は瞬きをする。
「……後悔?」
「甘さは、取り戻せない時間だ」
視線は作業台のまま。
その横顔は、どこか遠い。
◇
ルイの手元には、焦がし砂糖。
キャラメリゼ。
わざと少しだけ焦がす。
「苦味は、消えない」
その声は、冷たくも聞こえた。
小春は、そっと言う。
「でも……」
ルイが視線を向ける。
「苦いあとに甘いものを食べると、もっと甘く感じますよね」
「……」
「だから、後悔があるなら……きっと、その先に甘さもあります」
自分でも大胆だと思った。
でも、言わずにいられなかった。
ルイはしばらく何も言わない。
やがて、小さく笑う。
「甘いな」
「すみません……」
「悪くない」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなる。
◇
その日の夜。
寮の屋上。
ルイは一人、空を見ていた。
思い出すのは、昔の厨房。
「もっと甘くしろ」
厳しい声。
完璧を求められた日々。
そして、失敗したあの日。
大会で、砂糖の温度を一度だけ誤った。
たった一度。
それで全てが崩れた。
「期待してたのに」
その言葉が、今も残っている。
(甘さは、簡単に壊れる)
◇
翌日。
実習室で小春が試作をしていると、ルイが隣に立った。
「何作る」
「……“希望”にしようかなって」
「希望?」
「失敗しても、また立ち上がれる気持ち」
ルイは静かに見る。
小春の手は、少し震えている。
でも、止まらない。
「わたし、怖いです」
ぽつり。
「負けるのも、否定されるのも」
でも顔を上げる。
「でも、それでも作りたい」
その目は、まっすぐ。
ルイはふと気づく。
この子は——逃げない。
「……お前」
珍しく、少し柔らかい声。
「泣くなよ」
「え?」
「予選で」
一瞬の沈黙。
「隣に立つなら、強いほうがいい」
小春の心臓が跳ねる。
隣。
その言葉の意味を、考えてしまう。
「……はい。強くなります」
小さく、でも確かな返事。
◇
遠くからそれを見ていたルナが、腕を組む。
「ほんま、ややこしい空気やな……」
でも、その目は真剣。
「負けへんけどな」
◇
予選まで、あと二日。
甘くない過去。
まだ癒えていない傷。
それでも——
甘さを信じる少女がいる。
その存在が、少しずつ。
凍っていた何かを溶かし始めていた。
――つづく




