第9話 『世界からの招待状』
東京。
深夜の厨房。
ルイは一人、新作のムースを仕上げていた。
そこへ届く一本のメール。
差出人――
World Culinary Association
件名:
《International Pâtisserie Masters 招待》
ルイの手が止まる。
それは、世界中のトップパティシエだけが立てる舞台。
優勝すれば、事実上の“世界一”。
五年前、彼が目指し、そして失った場所。
静かな厨房に、自分の鼓動だけが響く。
◇
翌朝。
スタッフがざわつく。
「オーナー、これ本当ですか?」
「海外移籍って…?」
記事が出たのだ。
《龍星ルイ、パリの三ツ星店から正式オファー》
店を空けるのか。
移籍するのか。
それとも日本に残るのか。
決断を迫られる。
◇
一方、海辺。
小春は優ちゃんと新メニューの試作中。
季節限定“塩キャラメルタルト”。
オーブンから甘い香り。
そこへスマホ通知。
ニュース記事。
ルイの顔写真。
世界大会、海外移籍の文字。
小春の動きが止まる。
優ちゃんは気づく。
「行くんだな、あいつ」
小春は何も言えない。
胸が、ざわつく。
もう夫ではない。
でも、かつて一緒に夢を見た人。
世界一を目指した人。
◇
夜。
ルイは一人、都内の高台に立つ。
パリに行けば、評価は戻る。
名誉も、称号も。
でも。
“逃げる”形になるのか。
日本で崩れた信用を置き去りにして。
スマホが鳴る。
非通知。
出る。
無言。
そして、聞き慣れた声。
「おめでとう」
小春。
一瞬、息が止まる。
「……見たのか」
「うん」
少し沈黙。
波の音が向こうから聞こえる。
「行くの?」
真っ直ぐな問い。
ルイは夜景を見つめる。
「まだ決めてない」
本音だった。
小春は静かに言う。
「あなたは、逃げる人じゃないよ」
優しくも、突き放すような声。
「どこにいても、あなたはあなたの味を作る」
励ましでも、未練でもない。
ただ事実。
それが一番刺さる。
◇
通話が切れる。
ルイは目を閉じる。
(俺は、どこで戦う?)
◇
数日後。
会見。
フラッシュ。
記者たち。
「海外移籍は?」
「世界大会出場は?」
ルイはマイクを握る。
静まり返る会場。
「――日本で戦います」
ざわめき。
「海外には行かない」
逃げない。
ここで評価を取り戻す。
ここで世界に挑む。
◇
海辺の店。
ニュース速報。
優ちゃんがテレビを見る。
小春は静かに立ち尽くす。
「日本で戦う、か」
優ちゃんは苦笑する。
「あいつらしいな」
小春は胸の奥が熱くなるのを感じる。
誇らしさ。
そして、少しの不安。
これからまた、同じ舞台に立つ。
完全に切れたはずの糸が、
もう一度張りつめる。
◇
ラスト。
ルイ、厨房で火を入れる。
小春、オーブンの前で目を閉じる。
優ちゃん、静かに二人を見守る覚悟を決める。
世界大会、日本予選まであと三ヶ月。
恋も、夢も、もう逃げ場はない。




