第8話 『新しい隣』
海辺の夜。
優ちゃんの告白から、数日。
波の音だけが、やけに大きい。
「俺、ちゃんと好きだからな」
あの言葉が、頭から離れない。
◇
小春は一人、工房でケーキを仕上げている。
ナッペは安定している。
手は震えない。
でも、心は揺れている。
龍星との激しい日々。
世界一の舞台。
離婚届を出したあの日。
全部、遠くなったはずなのに、
完全には消えていない。
(でも)
今、隣にいるのは優ちゃん。
泣いた日も、迷った日も、
ずっと変わらず隣にいた人。
◇
昼休み。
小さなベンチ。
優ちゃんがコーヒーを渡す。
「返事、急がなくていいから」
無理に迫らない。
その優しさが、逆に沁みる。
小春はカップを握りしめる。
「優ちゃん」
声が少し震える。
「わたし、まだ完璧じゃない」
「知ってる」
即答。
「龍星のこと、全部消えてるわけじゃない」
優ちゃんは、少しだけ目を伏せる。
でも逃げない。
「それでもいい」
静かに言う。
「上書きじゃなくていい。横に並べばいい」
奪うんじゃない。
共に進む。
その言葉が、小春の胸をゆっくり温める。
◇
夕方。
小春は決める。
「……一緒に進みたい」
優ちゃんが目を見開く。
「恋人として」
言い切る。
逃げない。
今の自分で選ぶ。
優ちゃんの顔が、ゆっくりほころぶ。
派手じゃない笑顔。
でも、ずっと待っていた人の笑顔。
「ありがとう」
それだけ。
抱きしめる力は、強すぎない。
壊さない温度。
◇
東京。
ルイはニュース記事を見ていた。
《Atelier Haruオーナー、地元カフェ経営者と交際報道》
写真。
並んで歩く小春と優ちゃん。
自然な距離。
作られていない笑顔。
指先が、わずかに震える。
胸が締め付けられる。
でも。
目を閉じる。
(選んだのは、彼女だ)
奪う資格は、もうない。
◇
夜の厨房。
ルイは新作を仕上げる。
甘さ控えめのショコラ。
最後に、ほんの少しだけ蜂蜜を加える。
躊躇する。
入れる。
一口。
……温かい。
痛みは消えない。
でも、味は前より柔らかい。
失ったからこそ、わかる温度。
◇
海辺。
小春と優ちゃん、並んで歩く。
手を繋ぐ。
ぎこちない。
でも、確か。
「怖くない?」
優ちゃんが聞く。
「少しだけ」
正直に答える。
「でも、今は前を向きたい」
波が静かに寄せては返す。
◇
ラスト。
三人、それぞれの夜。
小春は新しい隣で。
優ちゃんはようやく掴んだ手を離さず。
ルイは一人、静かな厨房で火を見つめる。
愛は終わった。
でも人生は続く。
第三章は、再出発の章へ。




