第2話 『居残りの約束』
放課後。
教室のざわめきが消え、校舎に静けさが戻る。
小春は鞄を持ったまま、実習室の前で立ち止まっていた。
(……やっぱり、もう一回作りたい)
今日の苺のムース。
褒めてもらえた。
でも、納得はしていない。
もっと、なめらかにできたはず。
もっと、想いを込められたはず。
小さく息を吸う。
そして、白衣姿の背中に声をかけた。
「龍星先生……」
振り向く、鋭い視線。
若き天才講師――龍星先生は、静かに小春を見る。
「なんだ」
「放課後……少しだけ、厨房をお借りできませんか」
一瞬、沈黙。
「理由は」
「今日のムース、作り直したいんです。自分で、納得したくて」
声は小さい。
でも、逃げていない。
龍星先生の目が、わずかに細まる。
「……一時間だ」
ぱっと顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
「勘違いするな。努力する生徒は嫌いじゃないだけだ」
そう言いながら、ほんの少しだけ口元が緩んだ。
◇
実習室。
夕陽が差し込み、ステンレス台をオレンジ色に染める。
小春は静かに材料を並べる。
泡立て器を持つ手は、今度は震えていない。
(さっきより、丁寧に)
そのとき。
「本当にやるんだ」
後ろから声。
振り向くと、ルイが立っていた。
「帰ったんじゃ……」
「忘れ物」
短い返事。
でも、そのまま帰らない。
壁にもたれ、じっと見ている。
「緊張、してないのか」
「……してます」
正直に答える。
「でも、好きなんです。お菓子作るの」
小春は苺を潰しながら続ける。
「失敗しても、また作れるから」
ルイの視線が、少しだけ柔らぐ。
「普通は、才能があるやつが残る世界だ」
「そうかもしれません。でも」
小春はまっすぐ前を向く。
「わたしは、諦めない人が残る世界だって思いたいです」
空気が、静かに変わる。
ルイはゆっくり近づき、ボウルの中を覗き込む。
「……温度、下げすぎ」
「え?」
「冷やしすぎると固さが均一にならない」
まただ。
今日、二回目。
助けられている。
「どうして……教えてくれるんですか」
ぽつりと聞く。
ルイは少し黙ってから言った。
「負けるなら、強いやつがいい」
小春は一瞬きょとんとする。
それから、ふわっと笑った。
「じゃあ、わたし強くなりますね」
「……簡単に言うな」
でも、その声はどこか楽しそうだった。
◇
完成したムース。
さっきよりも、なめらかで、優しい口当たり。
小春は小さく息を吐く。
「どうだ」
ルイがスプーンを手に取る。
ひとくち。
沈黙。
心臓が跳ねる。
「……さっきよりいい」
それだけ。
でも十分だった。
「ありがとうございます」
小春はぺこりと頭を下げる。
夕陽が二人を包む。
静かで、甘い時間。
◇
その様子を、少し離れた場所から見ている影があった。
腕を組んだ少女――ルナ。
「へぇ……転校生、やるやん」
唇を少しだけ歪める。
「でも、ルイの隣は簡単やないで」
静かなライバル心が、芽を出す。
◇
夢も、恋も、まだ始まったばかり。
でも確かに。
距離は、少しだけ縮まった。
甘さは、ゆっくり溶ける。
――つづく




