第5話 『わたしの温度』
東京。
区役所の窓口。
小春は、静かにペンを置いた。
離婚届。
正式受理。
一ヶ原小春は、もう龍星ルイの妻ではない。
手続きは淡々と終わる。
紙一枚。
でも、五年の結婚が終わった。
◇
その足で、弁護士事務所へ。
慰謝料請求。
金額は決して小さくない。
記者会見で真実は出た。
罠だった部分もある。
でも。
「精神的苦痛は、事実です」
弁護士の言葉に、小春は頷く。
復讐じゃない。
清算。
愛の終わりを、曖昧にしないため。
◇
海辺。
優ちゃんは何も聞かない。
小春が戻ると、ただコーヒーを出す。
「終わったよ」
短い報告。
優ちゃんは一瞬目を閉じて、
「そっか」
それだけ。
祝福もしない。
同情もしない。
隣に座る。
その距離が、今の小春にはちょうどいい。
◇
東京。
ルイのもとに通知が届く。
離婚成立。
慰謝料請求書。
数字を見ても、顔色は変わらない。
「払います」
即答。
側近が言う。
「争えば減額できます」
ルイは首を振る。
「彼女が選んだなら、受け入れる」
お金で済む話じゃない。
でも、逃げない。
それがせめてもの誠意。
◇
数日後。
《Lumière》の記者会見。
壇上に立つのは、ルイ一人。
「共同経営者の一ヶ原小春は、本日付で退任しました」
ざわめき。
「彼女の功績は消えません」
一礼。
潔い。
でも、空っぽ。
◇
海辺。
小春はエプロン姿。
優ちゃんと一緒に、カフェの裏スペースを改装している。
「本気なの?」
優ちゃんが聞く。
「うん」
小春は笑う。
「わたし、自分の名前でやり直す」
世界一でもなく、誰かの妻でもない。
“わたし”の店。
コンセプトは――
“正直な味”。
嘘を混ぜない。
無理をしない。
傷も、弱さも、隠さない。
◇
夜。
二人で試作。
シンプルなショートケーキ。
優ちゃんが一口食べる。
「……優しいな」
小春は首を振る。
「違うよ」
もう、ただ優しいだけじゃない。
「強い甘さ」
自分を守る甘さ。
◇
ふと、優ちゃんが言う。
「俺、待つって言ったよな」
小春が止まる。
「うん」
「今すぐじゃなくていい」
視線はまっすぐ。
「でも一緒に進みたい」
恋人になれと言わない。
支えたい、と言う。
小春は、ゆっくり息を吐く。
龍星との激しい恋。
世界の舞台。
それとは違う温度。
穏やかで、でも確かな熱。
「……一緒にやろう」
答えは恋じゃない。
でも、拒絶でもない。
新しいスタート。
◇
ラスト。
東京の高層ビル。
ルイは一人、厨房で立つ。
慰謝料の振込完了通知。
左手に指輪はない。
作りかけのデセール。
一口。
苦い。
「……当然だ」
自嘲する。
愛を失った味。
◇
海辺。
看板が掲げられる。
《Atelier Haru》
オーナー
一ヶ原小春。
隣に立つ、優ちゃん。
波の音。
甘くて、ほろ苦い。
でも、前を向いた味。
第三章――
愛は終わったのか。
それとも、形を変えたのか。




