第3章 「崩れる温度」 第1話 『溶けない嘘』
《Lumière》は順調だった。
世界一となった小春とルイ。
夫婦として、パティシエとして、理想の二人。
――表向きは。
◇
それに気づいたのは、ほんの些細な違和感だった。
深夜の帰宅。
増えた出張。
スマホを伏せる癖。
「忙しいだけ」
そう思おうとした。
信じたかった。
でも。
ある日、週刊誌の見出しが目に飛び込む。
《氷の天才パティシエ、謎の美女と深夜密会》
写真。
そこに写っていたのは――
龍星ルイ。
知らない女性。
寄り添う距離。
言い訳できない角度。
◇
店の厨房。
オーブンの熱がやけに遠い。
スタッフの声が、霞む。
「……オーナー?」
小春は笑った。
「大丈夫」
でも、ナッペしていたクリームが崩れる。
手が震える。
(温度が、わからない)
愛は逃げない。
そう言ったのは、彼だ。
◇
その夜。
「本当?」
小春は、写真をテーブルに置いた。
ルイは沈黙。
数秒。
その沈黙が、答えだった。
「仕事の関係だ」
「嘘」
即答。
五年遠距離でも揺れなかった勘が、告げる。
これは、裏切り。
「一度だけだ」
その一言が、胸を裂いた。
一度。
回数の問題じゃない。
温度の問題。
◇
翌日。
小春は店に立たなかった。
スタッフに一言だけ告げる。
「少し休みます」
そして荷物をまとめる。
指輪を外す。
静かに、机に置く。
◇
向かったのは、地元の海辺。
幼なじみの優ちゃんが営む小さなカフェ。
ドアベルが鳴る。
「……小春?」
優ちゃんはすぐに異変に気づく。
「泣いた?」
小春は首を振る。
でも涙が落ちる。
全部、話した。
写真も、会話も、沈黙も。
優ちゃんは怒らなかった。
ただ静かに言った。
「小春は、どうしたい?」
責めない。
決めさせる。
◇
夜の海。
波の音。
小春は考える。
五年間の遠距離。
約束。
プロポーズ。
一緒に作った店。
全部、本物だった。
でも。
裏切りも、本物。
(わたしは……)
愛は温度。
その温度が、冷えた。
一度冷えたチョコレートは、溶かせば戻る。
でも、前と同じ味にはならない。
◇
翌朝。
小春は優ちゃんに言う。
「離婚、する」
声は震えていない。
泣き腫らした目でも、芯は強い。
「店も、辞める」
「全部、手放すの?」
優ちゃんが問う。
小春は頷く。
「今のままじゃ、嘘の味しか作れない」
救いたいと言っていた自分が、
自分を救えないなんて、嫌だ。
◇
東京。
ルイは空の自宅に立ち尽くす。
テーブルの上。
指輪。
そして、一枚の紙。
離婚届。
署名済み。
メッセージはない。
言葉もない。
ただ――
温度が、消えている。
◇
ラストカット。
海辺のカフェ。
エプロン姿の小春。
小さなオーブンで焼く、素朴なマドレーヌ。
世界一でもない。
華やかでもない。
でも。
まっすぐな味。
第三章。
愛は再生できるのか。
それとも、完全に終わるのか。
――次回。
龍星、初めて崩れる。




