第1章サブタイトル 「静かな情熱、はじめての一歩」 第1話 『転校生と苺のムース』
春の朝。
桜の花びらが、校門の前を静かに舞っていた。
日本最高峰の製菓専門校――
《スイーツアカデミー》。
その門の前に、小さく深呼吸をする少女が立っている。
一ヶ原小春。
白い指が、制服の袖をぎゅっとつまむ。
「……がんばろう」
声は小さい。でも、想いは強い。
人前で話すのは苦手。
初対面はもっと苦手。
できれば目立たずに過ごしたい。
でも――
お菓子作りのことになると、逃げたくない。
なぜなら、小春には夢があるから。
世界最高峰の舞台、
World Pâtisserie Grand Prix
で優勝すること。
(わたしのスイーツで、誰かを笑顔にしたい)
その一心で、ここに来た。
◇
「今日から転校してきた一ヶ原小春さんだ」
担任の声で、教室中の視線が集まる。
心臓がうるさい。
「……よろしく、お願いします」
ぺこりと頭を下げる。
ひそひそ声。
「大人しそう」
「本校ってレベル高いのに大丈夫?」
胸が少しだけ痛む。
そのとき。
「へぇ」
後ろから、低い声。
振り向くと、窓際に座る男子生徒と目が合った。
整った横顔。無駄のない姿勢。
氷みたいに静かな空気。
――ルイ。
「世界目指してるって、本当?」
突然の問い。
クラスがざわつく。
小春は一瞬だけ迷う。
でも――逃げない。
「……はい。世界一になります」
教室がしんと静まる。
ルイの目が、わずかに細くなる。
「面白い」
それだけ言って、彼は視線を戻した。
冷たいのか、優しいのか分からない。
でもなぜか、小春の鼓動は少しだけ早くなる。
◇
午後。
実習室に集められる生徒たち。
白衣姿で立つのは、若き天才講師――龍星先生。
「転校生がいるな」
鋭い視線が、小春を射抜く。
「実力を見る。今から実技テストだ」
ざわめき。
「テーマは“自分を表現するスイーツ”。制限時間二時間」
いきなりの試練。
でも小春は、震える手を押さえながら材料を並べる。
選んだのは、苺のムース。
派手じゃない。
でも、優しくて、芯のある味。
(わたしみたいでいい)
丁寧に泡立てる。
空気を含ませる。
焦らない。
ふと横を見ると、ルイが完璧な動きでチョコレートを扱っている。
美しい。無駄がない。
「……」
視線に気づいたのか、ルイが言う。
「混ぜすぎると分離する」
はっとする。
確かに、ムースが少しゆるい。
「ありがとう、ございます」
ルイは何も答えない。
でも、その一言がなければ失敗していた。
(見てくれてたんだ)
胸の奥が、ほんのり温かくなる。
◇
二時間後。
完成した作品が並ぶ。
龍星先生が一つずつ試食していく。
そして、小春の前で止まる。
スプーンを入れる。
苺のジュレが光る。
ひとくち。
沈黙。
「……甘さは控えめだな」
胸が締まる。
「だが」
顔を上げる。
「芯がある。逃げていない味だ」
目が、潤む。
「一ヶ原。お前は伸びる」
その一言が、世界一の賞状よりも嬉しかった。
◇
放課後。
片付けをしながら、小春は小さく呟く。
「もっと、上手になりたい」
その背中に、声が落ちる。
「本気なら、途中で泣くなよ」
振り向くと、ルイ。
「世界は甘くない」
「……はい。でも」
小春は、まっすぐ見つめ返す。
「甘くないから、甘さが必要なんです」
一瞬、ルイの目が揺れる。
「……変わってるな」
「よく言われます」
小さく笑う小春。
その笑顔に、ルイの胸がわずかにざわめいたことを、まだ誰も知らない。
◇
夢への第一歩。
恋の、ほんの入り口。
静かな情熱は、まだ誰にも気づかれていない。
でも確かに――
動き出した。
――つづく




