第9話 『完璧だったあの日』
全国大会出場が決まり、学園は祝福ムードに包まれていた。
廊下ですれ違う生徒たちの声。
「やっぱルイすごいよな」 「一ヶ原も意外だった」
小春はその言葉に、少しだけ胸がざわつく。
(“ルイくんがすごい”……か)
もちろん誇らしい。
でも同時に、自分はまだ足りないと感じる。
◇
放課後。
全国大会に向けた強化練習が始まる。
龍星先生が資料を机に置く。
「今回の大会は、国内最大規模だ」
スクリーンに映し出されたロゴ。
全国製菓学生大会——
優勝者には、世界大会推薦枠。
会場がざわつく。
「ここで勝てば、世界が見える」
龍星先生の視線が、ルイに向く。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、ルイの表情が硬くなる。
小春はそれを見逃さなかった。
◇
夜。
実習室で一人、ルイが作業をしている。
誰もいないはずの空間。
小春は忘れ物を取りに戻り、その姿を見る。
ルイの動きは、いつも以上に鋭い。
無駄がない。
冷たいほどに正確。
(怖い……)
そう思ってしまうほど。
完成したケーキを、ルイは無言で見つめる。
次の瞬間。
包丁が入る。
断面。
わずかなズレ。
ほんの一ミリ。
それだけで——
ルイは、ケーキをゴミ箱に落とした。
小春が息を呑む。
「……完璧じゃない」
低い声。
自分に向けた言葉。
◇
小春は思い切って声をかける。
「ルイくん」
一瞬の沈黙。
「見てたのか」
怒ってはいない。
でも、どこか冷たい。
「すごく綺麗でした」
「ズレてた」
「一ミリです」
「一ミリで負けたことがある」
空気が止まる。
◇
ルイは、静かに語り始める。
「あの日も、全国だった」
期待の天才。
史上最年少優勝候補。
観客も、講師も、家族も——
“勝つ”前提だった。
「でも、最後のナパージュが均一じゃなかった」
写真を見せられた。
拡大された断面。
一ミリの差。
「それで二位」
その瞬間から。
“完璧でなければ価値がない”と思うようになった。
◇
「だから、壊れないものしか作らないんですね」
小春の言葉。
ルイは何も答えない。
でも否定もしない。
「怖いんですね」
静かな声。
「また一ミリで負けるのが」
ルイの視線が鋭くなる。
「同情か」
「違います」
小春は首を振る。
「悔しかったですよね」
その一言が、深く刺さる。
同情ではない。
理解。
◇
小春は、試作台に立つ。
「わたし、まだ完璧じゃないです」
メレンゲを立てながら続ける。
「失敗もいっぱいします」
くしゃっと笑う。
「でも、楽しいんです」
ルイは黙って見ている。
「完璧じゃなくても、誰かが“おいしい”って笑ってくれたら」
「それで、救われることもあると思うんです」
甘い考えかもしれない。
でも、それが小春。
◇
沈黙のあと。
ルイがぽつりと言う。
「……お前はずるい」
「え?」
「怖がらない」
「怖いですよ?」
小春は即答する。
「でも、逃げたくないだけです」
ルイの胸の奥で、何かが軋む。
完璧でいなければ。
失敗してはいけない。
その鎖が、少しだけ緩む。
◇
帰り際。
ルイが言う。
「全国、勝つぞ」
いつもと同じ言葉。
でも今日は違う。
「完璧じゃなくても、勝つ」
小春の目が大きくなる。
そして、ゆっくり笑う。
「はい!」
その笑顔が、眩しい。
◇
廊下の影。
その会話を、誰かが見ていた。
ルナ。
静かに拳を握る。
「本気で変わろうとしてるんやな……ルイ」
その目は、決意で燃えている。
全国大会は、ただの通過点じゃない。
それぞれの過去と、
それぞれの“完璧”がぶつかる舞台。
甘くない戦いが、始まる。
――つづく




