「運営の影」
新しく淹れ直したカフェオレを、ゆいの前に置いた。
割れたカウンターの上に立てば、豆の匂いはまだ残っている。
湯を注ぐと、焦げと粉塵に混じって、かすかに甘い香りが立ち上った。
「……ちゃんと熱い」
ゆいはそう言って、カップを両手で包む。
欠けた縁に唇を当て、一口、ゆっくりと飲んだ。
それから、少しだけ目を細める。
「悪くない」
そのままカフェオレを飲みながら、ぽつりと話し始めた。
「ここで生きるなら、“力”が要る」
言葉は淡々としているのに、重かった。
「スキルがあるかもしれないし、ないかもしれない。」
彼女はカップを置き、テーブルを指で軽く叩く。
「でもね。全員が派手な能力を持てるわけじゃない」
視線が、瓦礫の散らばる店内をなぞる。
「ほとんどは、何も起きないまま終わる。」
俺は黙って聞いていた。
反論する言葉も、希望的な考えも浮かばない。
「だから」
ゆいは、もう一度カフェオレを口にする。
「何かしら、“得意なもの”があるなら、それを軸にするしかない」
「得意なもの……」
小さく呟くと、ゆいは頷いた。
「大したことでなくていい。料理、音楽、観察、交渉、逃げ足」
一つひとつ、指を折りながら数える。
「夢の中でも、現実と同じ。できることを積み重ねたやつが、長く残る」
「具体的には?」
と俺が問うと、彼女はゆっくり言葉を選ぶように話し始めた。
「料理人なら包丁。音楽をやってた人は、音そのものだったり。走るのが速かった人は、身体能力が強化される。……ほら、人って無意識の中で“自分はこれが得意だ”って思ってるでしょ? その記憶が、この夢の世界では“形”になるの」
「形……?」と聞き返すと、彼女は頷いた。
「出てくるのは、物とは限らないよ。体の一部が変形する人もいるし、動きが異常に速くなるやつもいるし、周囲の空気を歪める人もいた。ほんと、まちまち。脳内で信じたものが現実になる。ここは、夢だから」
「それって……自分で意識してできるのか?」
「最初は無理。でも訓練すれば、ある程度はコントロールできるようになる。出し入れ自由にできるやつもいるし、常に発動してるやつもいる。……あんたは? まだ何も出てない?」
「うん。何も」
そっか。と残念そうな顔しながらカフェラテをすする彼女。
「君のスキルは?」
彼女の目が途端に曇る。さすがに踏み込見すぎたか。
その不安を払拭するように彼女が口を開いた。
「私のスキルは【刃響制御じんきょうせいぎょ】」主に工具を作り出せる」
「………カッターとか」
目線を彼女の手元に移しながらつぶやいた
「そう、形や大きさは自由だし物によっては付属のスキルがついてる。例えばこのカッターは何でも切れる。鉄でも石でも。ダイヤモンドだって切れる。でも一回しか切れない。一回切ったら刃を変える必要がある。」
何でも切れる。それがとても強力なことはこの世界に来たばかりの俺でも強すぎる能力だと理解できた。
「それっていくらでも使えるの?」
「使えない。刃を作るのに精神力を使うから。そのためにノコギリがある」
彼女は服の袖から刃渡り60cm 全長1メートル弱のノコギリを出した
どこに入っていたのか。おそらく腕付近で生成したのであろう。そのノコギリを床に突きたててテーブルに立てかけた。
「ノコギリは相手の精神力を削る。その精神力を吸収して使う。これが私の基本スタイルかな」
彼女は少し顎に手を添えて考え込むような仕草をしたあと、言った。
「まずは君のスキルが何なのか実戦で確かめなきゃね。」
そう言いながら、彼女はパーカーのポケットから薄型のタブレット端末を取り出した。画面をいくつかタップすると、何かのリストが開かれる。俺に向けてそれを差し出した。
「これは、ミッション。Eランクが受けられる初期案件一覧。掃除、配達、情報収集、あと“観察系”って呼ばれてるのもある。最初は非戦闘系を選んでおきな。死なないことが最優先だから」
「……ありがとう。……ていうか、たかがコーヒーだけでなんでそんなに親切なんだ?」
彼女は少し驚いた顔をみせてから、ふふ、と笑った。
「昔の私に似てるんだよ。人生に期待してない顔してるくせに、どこか諦めきれてない目をしてる。……そういうやつ、長く生きる」
その言葉は、どこか深く刺さった。俺自身、自分の目がどう見えるかなんて意識したことはなかった。でも、彼女の言葉は、そんな俺の奥底を覗き込むようだった。
「好きなやつ、選んで。……ミッションって、案外楽しいよ。こっちの世界じゃ、“生きるために何をするか”を自分で選べるから」
俺は手元のタブレットを指でスクロールした。ミッション掲示板には、無数の依頼が並んでいる。物資回収、調査、探索、時には暗殺や潜入といった危険な任務まで──そのどれもが、現実には存在しない世界の中で、確かに需要と対価を持って成立している。
向かいの席では、俺が淹れたカフェラテを両手で包み込むように持っていた。ふわりと立ち昇る甘い香りが、ほんのりとの鼻腔をくすぐる。
「……このミッションって、その運営が作ってるのか?」
ふと漏れた俺の疑問に、彼女は一瞬だけ視線をタブレットに移し、それから薄く笑った。
「ある意味、そうだね。でも実際には、プログラミング系のスキルを持ってる連中が作ってる。あたしたちと同じ“ここの住人”ってわけ」
「住人がミッション作ってんのか……」
「そう。ミッションの履歴や行動ログは全部“上”に送れるようになってて、内容が評価されれば報酬が出る。特に、優秀なやつのデータは高く売れるって話」
「……“上”ってのは、運営?」
彼女は肩をすくめる。
「そう言われてるけど、確定じゃない。誰も本当の運営を見たことないし、連絡が取れるわけでもない。ただ、送れば何かが返ってくる。だからみんな、そこに“何か”がいるって信じてる」
俺は唇を噛みしめ、画面を見つめたままぼそりと呟く。
「夢の中なのに……運営って、なんなんだよ」
彼女はカップをひと口啜り、柔らかな口調で続けた。
「何でもできる世界だからさ。誰かが“運営がいる”って信じ始めたら、それがいつの間にか当たり前になっていく。世界ってのは、みんなが信じた方向に形を変えるものだよ。……もともとは神様の道楽だったりしてね」
「……でも、みんな信じてるんだろ?運営がいて、選ばれたら現実に戻れるって」
「うん、信じてる。運営に選ばれれば“解放される”って。希望を持ってないと、やってられないからね」
一瞬、彼女の瞳が細くなり、淡い影がその奥に差した。
「でも、そんな運営なんて最初からいなくて……この地獄からは、誰も出られないのかもしれない」
その言葉は静かだったが、胸にずしりと落ちた。
二人の間を、コーヒーの湯気とカフェのBGMが満たしていた。その穏やかな空間が、逆に現実の残酷さを際立たせる。タブレットを伏せ、ゆっくりと息を吐いた。
「もし、運営がいないとしたら……今、ここで俺たちがやってること、全部、意味ないのかもな」
「意味があるかどうかは、自分で決めるしかないよ。ここじゃ、それがすべて」
彼女の言葉は、優しいようでいて、どこか突き放すようでもあった。
そして、ふたりはまた黙り込み、それぞれの思考に沈んでいった。
まるで、運営という見えない神を仰ぐ信者たちのように。
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