「取引」
半壊したカフェに、まだ使えそうな席がひとつだけ残っていた。
壁は抉れ、天井の一部が崩れている。
ガラスの割れた窓から、風が入り込み、焦げた匂いとコーヒーの残り香が混じって漂っていた。
俺たちは、その席に向かい合って腰を下ろす。
ソファーは軋んだが、壊れはしなかった。
それだけで、少しだけ現実に近づいた気がした。
「……さっきは、助けられた」
彼女が、ぽつりと言う。
俺は視線を落としたまま、小さく頷いた。
「だから――」
彼女は、一度言葉を切る。
「しばらく、私があんたを守る」
思っていたより、あっさりした口調だった。
恩を返す、というより、決定事項を告げている感じ。
「……守るって」
聞き返すと、彼女は肩をすくめた。
「そのままの意味。一人で動くより、私と一緒のほうが生存率は高い」
生存率。
その言葉に、胸の奥がひやりとする。
「比較的、安全な場所も知ってる。危険度が低くて、夢の中でも生活できるエリア」
「生活……?」
「そう。横になる場所があって、最低限の食い物があって、いきなり撃たれない場所」
彼女は指でテーブルを軽く叩いた。
「そこで暮らしながら、金を貯める。それで、クスリを買えばいい」
銀色の錠剤が、脳裏をよぎる。
「……殺し以外で?」
そう聞くと、彼女は一瞬だけ口角を上げた。
「もちろん。殺しは手っ取り早いけど、長く生きたいならおすすめしない」
「……他にも、稼ぐ方法があるんだな」
「ある」
即答だった。
「運び屋、修理、情報売り。
“できること”を切り売りするだけ」
その言い方が、妙に現実的だった。
「それ、全部教えてやる」
俺は、しばらく黙った。
条件が良すぎる。
守ってくれて、稼ぎ方も教えてくれて、安全な場所まで用意してくれる。
「……条件は?」
そう言うと、彼女は初めて、はっきりとした笑みを見せた。
「話が早いね」
彼女は、壊れかけのカウンターを顎で示す。
「ここで、カフェラテを作ること」
「……は?」
「私の分」
彼女は、当然みたいに続ける。
「この世界、まともなカフェラテ飲める場所、ほとんどない。さっきの味、悪くなかった」
思わず、目を瞬いた。
「……それだけ?」
「それだけ」
「命がかかってる話なのに?」
「だからこそ」
彼女は、椅子に深く腰を預ける。
「“約束”が分かりやすいほうがいい」
崩れた天井の隙間から、光が差し込む。
粉塵が舞い、静かに落ちていく。
「守ってやる。稼ぎ方も教える。代わりに、あんたはここでラテを淹れる」
彼女は、俺を見る。
「悪い取引じゃないでしょ?」
俺は、半壊したカフェを見回した。
壊れているのに、どこか落ち着く場所。
さっきまで、命のやり取りをしていたとは思えないほど静かだ。
「……分かった」
そう答えると、彼女は満足そうに頷いた。
「決まり」
そして、短く付け加える。
「生き延びよう。夢の中でも」
その言葉が、胸の奥に、ゆっくりと沈んだ。
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