「接触」
「……っ!」
一歩、足を引いた。
誰もいないはずのカフェの入口に、“誰か”が立っていた。
白いタンクトップに、くたっとした黒のパーカー。袖は長すぎて、手がほとんど見えない。まっすぐ切りそろえられて前髪に腰まで伸びた黒髪。濡れたように艶がある。その顔は、まるで人形のように整っていた。
ただ――
その少女の顔には、返り血が飛び散っていた。血の色は乾きかけていて、少しだけこびりついたまま残っている。
目が合った。黒目がちな瞳。視線が深すぎて、「見られた」というより、「中を覗かれた」気がした。
(……やばい。人じゃない。いや、“ただの人間”じゃない)
背筋が粟立つような寒気。足の感覚が、すとんと消えた。
俺は声も出せず、ただカウンター越しに彼女を見つめていた。
異様な沈黙が続いた。厨房の冷蔵庫のモーター音だけが、やけにリアルに耳に響いていた。
やがて、彼女がふと口を開いた。
「……あんた、初めてだろ?」
声は低く、だが少女らしい透明感があった。
俺は唖然として言葉が出なかった。
彼女は制服姿の僕を上から下へなめまわすように見ると再び口を開いた。
「……コーヒー淹れれる?」
唐突に聞かれた問いに、頭がついていけなかった。
「え? あ、はい……」
恐怖で自分でも情けないと思う声で返事した。
「じゃあ、ラテとかできる?」
「え、まぁ……」
「私、どうしてもあの味にできないの。自分で淹れても、なんか違うんだよね」
彼女はそう言うと、カフェの奥のソファ席にゆっくりと腰を下ろした。まるで常連のような動作だった。
「飲ませて。そしたら、あんたの知りたいこと、教えてやる」
言いながら、こちらに背を預けるようにして体を預けた。まるで信頼されているわけでもないのに、自然体すぎて不思議だった。
「……わかりました」
俺は手を洗い、いつも通りの準備を始めた。
ただのコーヒーじゃない。
甘くて、ミルクが濃厚で、バニラの香りを加えた特製のカフェラテ。カフェの中でも手間がかかるメニューだった。
注文されることは少ないが、作るたびに心を落ち着かせる不思議な工程が好きだった。
スチームで丁寧にフォームを作り、ラテアートを描く。彼女の視線を背中に感じながら、それでも集中する。
「……できた」
ラテを奥のテーブル席へ運び、そっと彼女の前にカップを置いた。
彼女は目を見開き、カップを覗き込む。
「……いい匂い。」
一口、含んだその瞬間、表情がふっと緩んだ。
「うま……」
その一言で、少しだけ緊張が溶けた。
「よかった」
「座りなよ。何が聞きたいの」俺は彼女の前に座った。しかし喉が詰まったように、言葉が出なかった。
彼女は無造作に姿勢を崩し、ソファの背にもたれると、手元の袖の隙間からちらりとカッターナイフの刃先が覗いた。
「安心しな。私は襲わない。無駄なこと、嫌いだから」
その言葉に、ほんの少し、緊張が緩んだ。だが、心臓はまだバクバク鳴っている。
「……なにが、起きてる?」
ようやく出た声は、まだ情けないほど震えていた。
彼女は肩をすくめて言った。
「夢だよ。正確には、“作られた夢”」
そして一息置いて、続けた。
「あんたも入ったんだろ? この夢に」
この日、俺は初めて“この世界の住人”と出会った。
「いや、気が付いたらここにいて。」
彼女は少し眉を上げながら
「無理やり眠らされた口か。」
彼女はそう言いながら、指の間でカッターナイフをくるくると回した。血の乾きかけたその刃は、妙に鈍く光って見えた。
「ここから出るにはどうすればいい」
この不気味な空間から出る。それができれば俺は十分だ。
「寝て、起きる。それだけ。でも夢から現実に戻るには“クスリ”が必要なの」
「……クスリ?」
「睡魔が来ないの。ここじゃ、眠くならない。それを無理やり呼ぶ薬が売られてる」
彼女はラテを一口飲み、ため息混じりに言った。
「現実に戻りたいなら、クスリを買うしかない。でも高い。あんたの今の金額じゃ……せいぜい一回分」
LINEに届いたあの数字が頭に浮かぶ。
【所持通貨:52,347円】
「そのお金、現実の金と連動してる。現実での貯金や価値、全部こっちと紐づけされてる」
「……じゃあ、どうやって稼ぐんだよ」
彼女は袖からカッターナイフを見せた。
「――人を殺す」
心臓が跳ねる音が、耳の内側で響いた。
「ここじゃ、人を殺せば最低でも10万入る。強いやつならもっと。あたしクラス、Aランクなら一億は下らない」
ふっと、彼女は笑う。
「……Aランク?」
彼女続けた。
「ここには“等級”があるの。Eから始まって、D、C、B、A……で、最上位はS。でもあたし、まだAもSは見たこともない」
彼女の声に嘘はなかった。
「で、あんたはE。新規。素人。狙われる立場」
ぞくっと寒気がした。さっきのLINE。確かに俺のランクは、Eだった。
「私みたいなのは逆に狙われる。賞金首だから。BとかCがパーティ組んで襲ってくるの。無駄だけどね」
「無駄……?」
「BとAの差はね、絶望的よ。束になっても勝てない」
彼女は、ラテを飲み干した。
「でも、私は無駄な殺しはしない。自衛だけ。……それでも、もう何十人もやってる」
声に感情はなかった。まるで、既に慣れ切った作業を語るかのように。
「そういう場所なの、ここは」
それが、最初の“ルール”だった。
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