「取引」
突然現れた篁の登場に身体が固まる。
篁は部屋を見回し、机の上を見て、簡潔に言った。
「宝玉を買うと言ってる人間がいる。それを渡してもらおう」
空気が一段、乾く。ここが戦場であることを思い出させる言い方だった。
男――お団子頭は、ケイを指差す。
「君はその子の同情を買って利用したのか。商売の為に」
篁は、間髪入れずに答えた。
「そうだ」
ケイの胸がぎゅっと潰れる。言葉にされると、逃げ場がない。自分が利用された事実が、部屋の真ん中に置かれたみたいに重い。
だが篁は続けた。
「……だが、市民を苦しめてるのは事実だろ?」
正義ぶった声音ではない。怒りの熱でもない。淡々としているのに、刺さる言葉だった。
ケイは目の前の男を見た。否定するのか、言い訳するのか。
お団子頭は、ふっと笑った。
「まぁ、そうか」
軽い。あまりにも軽い。雑談の合いの手のように受け流す。
男は椅子に背を預け、手を軽く上げた。
「改めまして。運営支部局――局長の前田 傑です」
“運営”
その単語が耳に入った瞬間、ケイの身体が硬直した。喉が乾く。
視界の端が、じわりと狭くなる。ゆいこら聞いた言葉。誰かが恐れ、誰かが怒り、誰かが求めていた存在。
篁が一歩前に出る。声が低い。
「貴様らを潰す」
脅しのはずなのに、感情が少ない。事務的な宣告。だからこそ本気に聞こえる。
前田は頭を掻き、困ったように笑った。
「確かに、ケイくんを連れてこられると、こちらも分が悪いなぁ」
心臓が跳ねた。“ケイくん”。名前を知っている。最初から、ここまでの流れも含めて把握しているみたいな口ぶり。
前田は篁に視線を向ける。
「目的は宝玉だけかい?」
篁は短く返す。
「あぁ」
前田は一度だけ頷くと、机の引き出しを開けた。中から小さな箱を取り出し、躊躇なく篁に投げる。箱が宙を切る音が、やけに大きく響いた。
篁は片手で受け取り、すぐに中身を確認した。ケイの目には中身は見えないが、篁の指が一瞬止まったのが分かった。
「案外潔いんだな」
篁が言う。
前田は肩をすくめる。
「僕はまず勝ち目のない戦いはしないし」
そう言って、ため息混じりに笑った。
「第一、僕は今日のノルマはもう終わってる」
ノルマ。
その言葉が、ケイの胸を嫌に撫でた。人を動かし、殺し合いを起こし、それを“仕事”の枠に落とす言い方。
ここにいるのは盗賊ではなく運営だ。運営の支部の局長。しかも、疲れた顔で淡々と話すこの男が、その役職だという現実。
ケイは、篁の背中と前田の笑みを交互に見た。
証拠がない。自分の正しさが揺らぐ。篁は平然と認めた。利用したと。前田は平然と渡した。宝玉を。勝ち目がないから。ノルマが終わったから。
この場で一番、感情を持っているのは――自分だけなのかもしれない。
前田が、机に肘を突いたまま、ケイを見た。
その視線は、怯えた獲物を見る目じゃない。敵を見る目でもない。 ただ、観察する目だった。
前田は、篁に投げた箱からもう視線を外し、椅子の背もたれにぐっと体重を預けた。
「……用が済んだなら、早く帰ってくれるかい。退勤の時間なんだ」
その言い方が、あまりにも“普通”だった。
戦場でも、悪の拠点でもない。残業を嫌がる会社員みたいな口ぶり。
それが逆に、ケイの胸の奥をざらつかせた。
(……退勤?)
雇われている。
ノルマがある。
勝ち目のない戦いはしない。
さっきから出てくる言葉が、全部「会社」側の論理だった。
怒りより先に、疑問が込み上げる。
――じゃあ、誰に雇われてる?
――誰がノルマを決めてる?
――何のための“仕事”なんだ?
――宝玉は? ケイ自身は?
――なぜ俺はここにいる?
頭の中で質問が渋滞する。
ケイは無言のまま、ポーチに手を突っ込んだ。
冷たいガラクタを掴む。
形を押し出すイメージを作る。
金属音が小さく鳴り、ケイの右手に拳銃が収まった。
銃口を、前田へ向ける。
前田は眉ひとつ動かさない。
「……物騒だなぁ」
前田は両手を上げた。焦りはない。降参というより、規定の所作をなぞっているだけの動きだった。
「はいはい。危ないから、銃口は人に向けない。……って、ママに言われたことない?」
「生憎、母親はとうに死んでる!」
叫んだ声が社長室の壁に乾いて跳ねた。自分で言って、自分の喉がひりつく。言うつもりなんてなかったのに、口が先に動いた。
前田は一拍だけ止まる。ほんの一拍。次の瞬間には、いつもの眠そうな目に戻っていた。
「……そうでした。こりゃ失敬」
銃口を下げない。むしろ、ほんの数センチだけ前へ押し込む。社長机の艶のある天板に、拳銃の影が伸びる。部屋は静かで、空調の低い唸りと、どこか遠くで鳴っている機械音だけが薄く混じっていた。
「……“そうでした”って何だよ。知ってたのか」
前田は眉ひとつ動かさない。両手を上げたまま、肩だけを小さくすくめる。その動きも「怖いから」ではなく、形式に従っているだけに見える。
「知ってるよ。君の“現実”の断片くらい、書類に並ぶ」
“書類”。その単語が、ケイの喉をざらつかせた。誰かの人生が、紙の束として積まれて、チェック欄で裁かれている。そんな絵が、勝手に頭に浮かぶ。
「……俺を、調べて」
「“調べる”って言い方は良くない。業務上の確認だよ」
前田は淡々と返す。言い回しだけ整っていて、そこに人の温度がない。ケイは奥歯を噛んだ。銃口の先にある額が、あまりにも無防備なのに、前田のほうが主導権を握っているみたいだった。
ケイは息を吐き捨てる。
「そんな話はいい。お前らは何なんだ。ここで何をしてる。人を——俺たちを、どうするつもりだ」
前田は目を細めもしない。視線が逸れない。銃を見ずに、ケイの顔を見る。
「君も彼女から聞いているはずだよ。新人類の選別さ。おおむね、彼女の言った通りだ」
“選別”。言葉が軽くて、内容が重い。ケイは銃を握る指に力を込めた。グローブで作った拳銃の金属が、掌に食い込む。
「……じゃあ俺は誰に何のためにこの世界に呼ばれた」
前田は一拍だけ黙った。
机の端に置かれたペン立て、整然と揃えられたファイル、壁の時計——どれも「仕事場」の顔をしている。ここだけが、戦場じゃないみたいだ。
前田はようやく口を開く。
「それは、“自分”に聞いたらどうだい?」
「……何言って——」
ケイの声が掠れる。心当たりがない、というより、考えたくない。思い当たる節がないのに“自分”と言われた瞬間、罪悪感だけが先に湧く。
前田はため息をついた。深くもない、短い、退勤前のそれだ。
「もういいかい。いい加減、帰らせてもらうよ。退勤の時間なんだ」
椅子の肘掛けに手をかけ、立ち上がろうとする。腰が浮く、その刹那。
前田までの距離を詰めた。靴底が床を鳴らし、静けさが割れる。。銃を両手で支え直し、まっすぐ額へ向ける。
「逃げるな」
顔は動かさず、目だけが強くなる。
前田の声の温度が、そこで少しだけ上がった。
「君はもう答えに触れてるのに、まだ僕に銃を向けてる。君が欲しいのは情報じゃない。納得だ」
「……黙れ」
「情報を並べても、君は飲み込めない。欲しいのは、自分の心を落ち着かせるための納得だ」
その言葉が、ケイの神経に針を刺した。図星かどうかを考える暇もなく、腹の底が熱くなる。
「じゃあ——俺が納得できる答えを話せよ」
ケイは銃口を前田の額へ押し付けた。
皮膚がわずかに凹み、金属の冷たさがこちらにも返ってくる。
引き金に指がかかる。撃つ気はない——そう言い聞かせても、指先は震える。
前田はそれでも眉ひとつ動かさない。恐怖を演じることすらしない。
そのとき。
場違いな電子音が鳴った。短く、軽く、現実的すぎる音。篁のスマホの着信だ。
篁が画面を見た瞬間、表情が固まった。
空気が変わるのが分かる。前田はそれを見て、口角だけをほんの少し上げる。
「言っただろ。もう今日のノルマは達成したって」
「黙れ!まだお前には聞きたい——」
「……吉田、そこまでだ」
篁が言葉を遮るように低く言う。声が、さっきまでの“余裕”を捨てている。
「シェルターが襲われ——が死んだ」
その言葉が、ケイの胸を殴った。
一気に血の気が引く。耳の奥がキンと鳴る。喉が乾き、呼吸が一拍遅れる。銃を握っていた手の汗が冷たくなっていく。
(——死んだ。)
名前が、声にならずに頭の中で跳ねた。ケイは銃口を前田から逸らせないのに、意識だけが社長室の外へ飛んだ。いまこの瞬間も、あの場所が壊れているかもしれない、という想像が、現実より先に身体を動かそうとする。
前田は笑いながら言った
「僕の今日のノルマは君の足止めだ……」
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