「黒幕」
扉を開けると、廊下があった。
白い壁のはずなのに、どこか煤けて見える。天井の灯りは均一に点いているのに、光が届かない場所があるみたいに影が濃い。
足を一歩出すたび、靴底の音が過剰に返ってきた。建物が空っぽで、音だけが生きている。
奥には扉がひとつだけ。ほかには何もない。
ケイは唾を飲み、ゆっくり近づく。グローブの中の手汗が、指先を滑らせる。取っ手に触れた瞬間、金属がひやりと冷たかった。息を殺し、扉を押し開ける。
――社長室のようだった。
重い机。棚に並ぶ分厚いファイル。観葉植物が一鉢。床は磨かれていて、ここだけ別世界みたいに整っている。
外で起きている騒ぎが、壁で遮断されている――そんな錯覚にさせるほど、静けさが詰まっていた。
社長椅子には、男が座っていた。
黒縁メガネ。くたびれた顔。肘を突き、頬杖をついている。髪はきっちりとお団子にまとめられ、乱れがない。
篁が言っていた「くたびれたサラリーマン」像と、嫌なほど一致していた。
男はケイを見るなり、大きなため息をついた。
「……どうして君がここに?」
問いが、妙に柔らかい。初対面の相手に向ける声じゃない。
ケイの喉がきゅっと鳴る。背中に汗が浮いた。だが、ここで引き返せるはずがない。ケイは言葉を絞り出した。
「……お前ら盗賊が、シェルターを襲うって聞いた。だから止めに来た」
「シェルター? 襲う? いったい何の話をしているんだ」
とぼけたように言うお団子頭の男に、強い言葉を吐き捨てる。
「とぼけるな。あんたらが非戦闘員を狙ってるって聞いた。物資を奪って、金に換えてるって」
男は一瞬だけ目を伏せ、指を組んだ。
そして、ゆっくりと問い返す。
「……なんのために?」
「は?」
「なんのために?」
ケイは苛立ちを隠さず言う。
「何のためって、金が欲しいからだろ。だから襲うんだ」
「なぜ?」
「なぜって……金が欲しいのに理由がいるのかよ」
男は首を傾げる。
「じゃあ君も、金が欲しければ人を襲うのかい?」
「誰がやるか!」
ケイが声を荒げた瞬間、男は人差し指を立てて制した。
「そこだ」
静かな声だった。
「君は“自分はやらない”と言った。でも同時に、“金が欲しければやるものだ”とも言っている」
ケイは言葉に詰まる。
「矛盾してる、と思わないかい?」
「……何が言いたい」
男は指を組み直し、まっすぐケイを見る。
「君は、ここを何だと思っている?」
「……お前ら盗賊の拠点だ」
即答だ。
男は表情を変えない。椅子に深く座ったまま、淡々と返す。
「俺たちはシェルターなんぞ過去に襲った事はない」
その冷静さが、逆に怖い。嘘なら、もっと取り繕うはずだ。怒鳴るなり、誤魔化すなりするはずだ。なのに、事務連絡みたいに言い切る。
「嘘だ」
ケイは反射で言い返した。胸の奥が熱くなる。
男は小さく首を傾げる。
「証拠は?みたことあるのか?それとも誰かにそうだと思い込まされてしまったか?」
その一言で、ケイの勢いが止まった。
証拠。口に出して初めて、自分が何を持っていないかに気づく。
襲撃が起きる、と聞いた。
篁から聞いた。
誰が、どこから、――ケイは自分の目で確かめていない。
ケイの視線が机の端に落ちる。拳が固くなる。
(……騙された?)
嫌な可能性が頭をよぎって、吐き気がした。反論が作れない。口を開いても、言葉が空振りする気がした。
男は、ケイの沈黙を待つみたいに、ゆっくりと瞬きをした。
「誰にそそのかされた?」
ケイは答えられない。喉の奥が張りつく。視線を逸らした瞬間――背後から、声が落ちた。
「俺だよ」
ゾクリと背中が冷えた。
振り返ると、篁が立っていた。いつからそこにいたのか分からない。
廊下の影から、自然に現れたみたいに。表情は変わらない。目の奥だけが冷たい。
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