「強行突破」
筆の男はそのまま穂先を横に払った。墨が弧を描き、目の前を暗くした。
ケイは後ろへ跳んだ。
頬をかすめた墨が空中で散り、床に落ちる前に、空気が一瞬だけ歪んだ。床に落ちた滴が、じわじわ溶けて小さな穴を開ける。
(触れたら終わる……)
地に足を付け顔を上げた瞬間目の前には筆を振りかぶった男がいた
「……くそっ!」
防御が間に合わない
「【遮断】」
透明なパネル——筆の男が笑ったまま、筆先をちょん、とその盾にガンッと触れた。
ジュゥ。
一瞬で溶けて、消えた。酸で焼けたみたいに跡だけが残り、すぐにノイズにほどける。
だがその一瞬の隙をみて後ろに回避した。
拓磨は間髪入れず、タブレットをもう一度弾いた。今度は空中に小さな“針”みたいなデータ片——投げつけるつもりの刃がいくつも走る。
だが、筆の男は振り向きもしない。
筆が軽く揺れただけで、墨が薄く弧を描いた。
針が触れるより先に、ジュゥ、と嫌な音がして輪郭が崩れた。ノイズが散り、何も残らない。
「……僕のスキルじゃ、遠距離も成立しない…。」
拓真は小さくつぶやいた。
拓磨のスキルは、通らない。ケイの刃も、通らない。
拓磨は振り返らずに言った。声が、さっきまでと違う。冷静なのに、急いでいる。
「ここは任せて。上に上がってください」
琢磨は顎で、部屋の奥を指した。壁際に、階段へ続く扉がある。影に溶けて目立たないが、確かに“道”があった。
「……置いていけるか」
ケイは息を整えようとして咳き込み、言葉が掠れた。脚がまだ痺れている。立ち上がっただけで、さっきの衝撃が内側で疼く。
琢磨が短く息を吐く。
「勝てない」
言い切った。迷いがない。
「二人でも、確実に勝てない。だから——トップを倒して、逃げましょう。そのためにはケイさんに上に上がってもらわないと」
筆の男が、楽しそうに肩を揺らした。
「いいねぇ。そういう“展開”」
筆がまた動く。墨が弧を描く。琢磨はそれに合わせてタブレットを操作し、次の召喚の準備に入る。ケイのための時間を作ろうとしているのが分かった。
ケイは歯を食いしばる。置いていけば、琢磨がどうなるか分からない。分からないのに——ここで二人とも潰れたら、上にいる“退屈な顔”には届かない。
拓磨が、ほんの一瞬だけ横目でケイを見た。
「ケイさんは階段を目指すだけでいいです」
拓磨の声が、背後から刺さった。
「ケイさん。――“目”を借ります」
ケイが振り返る暇もないまま、背後でタブレットを指が弾いた。画面が一瞬だけ白く明滅し、次の瞬間、ケイのゴーグル越しの視界に“道”が乗る。
筆の男の筆先から垂れる墨の粒が、落ちる前に薄い軌道線で示された。床のどこが溶け、どこがまだ踏めるかが、点滅する小さなマーカーで浮かぶ。
筆の振りの最終到達点、重心の移動、次に来る角度――それが、数字じゃなく“矢印”で視界に刺さってくる。
(……見える)
ゴーグルが強いんじゃない。拓磨が“情報”を投げ込んでいる。
「行ける道だけ緑です。赤は踏まないでください」
琢磨の敬語がやけに現実的で、恐怖で固まっていたケイの足首が地面を掴み直す。
筆の男は、視線だけでケイを追った。最初から狙いはこっちだと言わんばかりに。琢磨のほうは見もしない。背後の操縦者なんて、今はどうでもいい――階段へ抜ける“主役”を止めるのが目的だ。
「へぇ。視界共有か」
褒めているようで、観察しているだけの声。
拓磨が続ける。
「ケイさん、三秒だけ作ります。それまでに抜けてください」
筆の男が筆を突きに変えた。槍みたいに直線で、ケイの進路を刺し潰しにくる。穂先の墨が、赤い帯になってゴーグル内で警告する。
「一」
ケイは走る。赤を踏まない。緑だけを踏む。床の硬さが足裏に響き、足音がやけに大きい。心臓の音が邪魔だ。
「二」
筆の男が、わずかに角度を変えた。ケイの動きを追うんじゃない。先に“置く”。
最短ルートを塞ぎ、回り込む先にも赤を引く。逃げ道を線で囲っていく。
「三!」
拓磨の声が強くなるのと同時に、視界に“抜け穴”が開いた。
赤い帯が、ほんの一瞬だけなくなる瞬間。筆の柄が通り切る瞬間だけ生まれる死角。
ケイは空けた通り道に身体を沈めて滑り込む。赤の帯が頭上を通り、床に落ちてジュゥと穴を開ける。
(今だ)
階段の扉は、筆の男のさらに奥。
抜けるには最後に“横を切る”しかない。ケイが踏み込んだ瞬間――筆の男が笑った。
「惜しい」
頭上を通りすぎた筆が男を中心に回り目の前に戻る。速い。
柄が横薙ぎに来る。腹を叩き潰す角度。確実に当たる距離。
ケイは避ける暇がない。視界の矢印も間に合わない。
――鈍い衝撃が来た。
はずだった。
だが、腹に触れた感覚だけが薄い。叩かれたはずの重みが、身体の芯まで届かない。空振りしたみたいに。
筆の男の眉が初めて動いた。
「……すり抜けた? 何をした」
拓磨の声が、背後から淡々と返る。
「ケイさんの動きの“節目”キーフレームだけを先に送りました」
「は?」
「本来は連続した動きを補間して滑らかに繋ぐでしょう。そこを逆にしました。節目だけ先に同期して、間の補間を遅らせたんです」
筆の男の笑みが、少しだけ歪む。
「つまり?」
「見えている位置と、ぶつかる位置の同期を崩しています。ケイさんの“当たり判定”が、描画より半拍だけ後ろに残る。だから今の一撃は――見た目は当たっても、判定がまだそこにいない」
言葉の内容は冷たいのに、琢磨の声は敬語のまま落ち着いている。ケイは理解するより先に走った。今の“半拍”は、二度は貰えない。
階段の扉に手が届く。
同時に、筆の男の墨が床を叩いた。ジュゥ、と嫌な音。扉の縁が溶けて欠ける。
「行ってください!」
拓磨の声が、背中を押す。ケイは階段へ滑り込む。扉を引く。閉める寸前、黒い滴が扉に当たり、煙が上がった。木が焼けた匂いが鼻を刺す。
扉が閉まる。
暗い階段に、ケイの呼吸だけが残った。下では、筆が床を削る音と、墨が溶かす音が続いている。
ケイは一段上がり、唇を噛んだ。
(置いていくんじゃない。上で倒す)
「ケイさん。――上で、必ず。」
拓磨の声に扉をみていた筆の男が振り返る
「これで邪魔ものもいなくなった。って感じ?」
「そうですね。正直もうめんどくさくって。あなた如きじゃ彼を成長させるには役不足ですから」
「どいつもこいつも僕をモブ呼ばわりしやがって。。」
「粋がるなよ。三下が。。。」
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