「鬼の居ぬ間に」
食堂の長テーブルに、私はうなだれていた。
額が木目に触れるほど近い。頬にひんやりした感触が伝わるのに、起き上がる気になれない。
「はぁ……」
ため息が、やけに大きく響いた。シェルターの食堂はいつも静かだ。誰かが笑えば笑った分だけ、誰かの気配が薄くなる。
「何もしないなら掃除手伝え」
背後から飛んできた声に、顔を上げずに返す。
「警備中」
「どこがだよ」
即ツッコミが飛ぶ。ぐぐ、と机に押しつけた頬を少しだけずらし、片目でダンを見た。見ただけで、また力なく伏せる。
「ここ。……いま私、警備してる」
「テーブルの木目を?」
「そう。怪しい木目があったら通報する」
「ねぇよ!」
エプロンの紐を腰の後ろで結び直しながら、手には布巾を握っている。床を拭くわけでもなく、棚を整理するわけでもなく、ただ“働いてる感”だけがやたら真面目だ。
「ここにいるだけで警備でしょ」
「それは“居るだけ”って言うんだよ。警備ってのはな、立つとか、巡回するとか、目を光らせるとか——」
「うるさい。ゴムパッチン」
「だから、ゴミパッチンって呼ぶなー!」
声を張り上げたダンに、ようやく顔を少しだけ上げて、半目で横を見る。怒っているのにどこか嬉しそうな顔。からかわれるのが嫌いなくせに、からかわれたら返したくてたまらない顔。
その瞬間だった。
食堂の入口のほうから、衣擦れの音がした。
ゆっくり、ずるり、と。
振り向くと、花魁風の女が入ってくるところだった。長い浴衣の裾を床に引きずり、歩くたびに布が波打つ。髪はかんざしでまとめ上げられ、赤いリップが妙に映える。場違いなほど綺麗なのに、場に馴染んでいるのが不思議だった。
彼女は当然のようにゆいの隣の椅子を引き、腰を下ろす。
「ぼうや、飲み物をくれはる?」
ダンを見上げながら言った。
声は甘いのに、頼み方に遠慮がない。
「は、はい!」
ダンが裏返った声で返事をして、厨房へ小走りに消えていく。足がもつれそうな勢いで、棚の前に立っては何かを探し始めた。
花魁風の女は、ゆっくりと袖からキセルを取り出す。指先の動きが妙に慣れていて、火をつけるまでがひとつの所作みたいだった。吸い込む。吐く。白い煙が、食堂の薄い光の中にふわりと広がる。
私は身体を起こさないまま、目だけで隣を睨む。
「……なんでわざわざ横に来て吸うんですか。そもそもここ禁煙なんですけど」
女は、煙越しに私を見て、柔らかく笑った。
「あら? お嬢さんはたばこが苦手?」
「嫌いです」
私はきっぱり言った。
けれど、女は「そう」とも「悪かった」とも言わない。ただ楽しそうに目を細めて、もう一度吸った。まるで文句の言葉が、煙と一緒に消えていくのを待っているみたいに。
厨房からガタガタ音がして、ダンがコップを手に戻ってくる。中身は水。氷も何もない、ただの水。
「ど、どうぞ……!」
「ありがと、ぼうや」
女が微笑むと、ダンの顔が一瞬でだらしなく崩れた。
目尻が下がり、頬が赤くなるのが分かるくらい露骨だ。
私が鼻で笑うより先に、別の影がテーブルに近づいてきた。
「ぼ、僕も……いただけますか……?」
汗かきの小太りの中年だ。タンクトップに丸眼鏡。額から首筋まで汗が光り、ハンカチで拭っても追いついていない。水の匂いを嗅ぎつけた犬みたいに、遠慮がちに手を伸ばす。
ダンは即答した。
「自分で入れてください」
「えっ、あ、ああ……はい……」
あまりの温度差に、中年はしょんぼりして厨房へ歩きだす。思わず口元を緩めた。ダン、意外と容赦がない。
花魁風の女が楽しげに言う。
「君ら、最近来はったんやってね」
「はい!」
ダンはまた元気よく返事をするが、ゆいはむすっとしたまま、腕を組んで視線を逸らす。居心地の悪さを誤魔化すときの癖だ。
「自己紹介が遅れてしもたね」
女はキセルを指に挟んだまま、胸の前で軽く手を合わせるようにして名乗った。
「小夜いいます」
名前だけで、妙に場が締まる。
綺麗で、軽くて、でも距離が測れない——そんな響き。
「俺はダンです!えっと、好きな食べ物は焼きそばとたこ焼きとフランクフルトとあとは——」
ダンが自分のことを語り始める。出身がどうとか、得意がどうとか、誰に頼まれたわけでもないのに一気に説明したくなるタイプだ。小夜はそれを聞き流しながら、ゆいのほうへ顔を向けた。
「お嬢ちゃんは?」
私は一瞬だけ黙ってから、小さく言う。
「……ゆい」
「ゆいちゃん。なかようしてや」
小夜は、すっと手を差し出した。爪先まで綺麗な手。指先の動きがやわらかく、握手というより“触れていいよ”という合図みたいだった。
私はその手をじっと見た。
握り返すのが、なんだか負けみたいに思える。けれど拒むのも子どもっぽい。
少し迷ってから、私は小夜の手をつまむように、ほんのわずかだけ握った。握手というより確認。触れて、すぐ離す。
小夜はその短い握手を面白がるように笑った。
「可愛いなぁ」
「……別に」
ぶっきらぼうに返すと、小夜はふっと視線を厨房のほうへやった。
「ちなみに、あの”水も滴るええ男”は“ポテコ”ゆうねん」
視線の先では、さっきの汗かき中年が、いまだにコップを探して棚を開け閉めしている。汗が滴っているのは本当だ。いい男かどうかは、私には判断がつかない。
「恥ずかしがって本名 教えてくれはらへんねん」
小夜はにこやかに、厨房へ向けて手を振った。
ポテコがそれに気づいて「えっ」と顔を上げ、小走りに近づいてくる。
が、小夜はそのまま視線をゆいへ戻す。完全に無視されたポテコが途中で足を止め、行き場のない笑顔のまま立ち尽くす。
「……ひど」
とぼとぼと厨房に引き返すポテコを薄目で見ながらつぶやく。
「ひどいのは、この世界やろぉ」
言い方が軽いのに、妙に刺さる。私は返す言葉を見つけられず、テーブルの木目に視線を落とした。
小夜はそこで、話題を変えるみたいに言う。
「それよりさ。あんまり桧山はん、いじめんといてあげてや?」
「桧山?」
「坊主の人。あの人な、ああ見えて臆病なんやから」
思わず笑いかけた。
「臆病? あれで? 嘘でしょ」
小夜は笑わない。ただ、キセルを指で転がしながら、淡々と続けた。
「彼の周り、みんな殺されてるねん。やからこれ以上、仲間に死んでほしぃのうて——自分が率先して危ないとこいきたがらはるねん」
喉が、きゅっと鳴った。
さっきまでの“ウザい”が、一瞬で居場所を失う。
知らなかった。
強がりでも威張りでもなく、怖いから前に出る——そんな形の“臆病”があるなんて。
ほんの少しだけ、会議室での態度を後悔した。
「感情がよう顔にではるんやなぁ」
小夜が、くすりと笑った。煙草の煙がふわりと揺れて、その向こうで小夜の目が細まる。からかっているようで、でもどこか嬉しそうな声だった。
「まぁ、わかってくれたんやったら……ちょっとは優しくしてあげてや。あの人も不器用やけど、あんたのことも大切な家族やおもてるはずやで」
“家族”という言葉が、ゆいの胸の奥に落ちた。
嬉しいような、でも素直に受け取るのが悔しいような――そんな複雑さが顔に出てしまって、私は口を尖らせたまま視線を逸らす。否定したいのに、言い返す言葉が出てこない。
その空気を破るみたいに、厨房の奥から朗報が飛んだ。
「あったー!」
ポテコが、コップを掲げていた。見つけた瞬間の勢いのまま、まるでトロフィーでも掲げるみたいに頭上に持ち上げている。汗だくの額はさらに光っていて、満面の笑みがやけに無邪気だった。
その姿に、食堂の空気が一瞬だけ和らぐ。
さっきまで刺さっていた緊張がほどけて、ほんの短い間、誰もが“ここはシェルターで、守られている”と錯覚しそうになる。
――ウゥゥゥゥン、ウゥゥゥゥン
「警報。警報。シェルター内に侵入者を検知。非戦闘員は直ちに退避してください」
和らいだ空気は一瞬にして地獄へとかわった。
そしてその時、現場にいなかった俺は、仲間たちが死んだ事実に気づくことは出来なかった。
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