「ただいま、秘密の準備中」
「おかえりー!」
地下シェルターの通路に足を踏み入れた瞬間、ダンは思わず声を上げた。
「……な、なんだこれ!? スゲー! 超キレイじゃん! え、スーパーの地下って、もっとこう、無機質な感じかと思ってたのに……!」
興奮を抑えきれず、ダンは目をまん丸にして辺りを見渡す。柔らかな間接照明が天井から下がり、木目調の廊下が旅館のような落ち着いた雰囲気を醸し出している。壁には手書きの案内札、奥には暖色の灯りが漏れる食堂の入り口も見える。
「ここ、マジで旅館みたいじゃん! え、すげぇ、畳ある!?たたみ!!」
荷物を背負ったまま、あちこちを指さしてはテンションが爆発していた。
「まぁ、普通はみんなそうなるよねー」
「ね。はしゃぐのも無理ないよ」
ゆいと綾織が、くすくすと笑いながら並んで歩いていた。綾織は相変わらずぽわんとした笑顔、ゆいは少し得意げに鼻を鳴らす。
「私も最初はびっくりしたもん。こんなとこに隠し通路あったなんてさ」
「すごいよね〜、外とはまるで別世界みたい」
そこへ、奥の通路から一人の女性が顔を出した。ふくよかな体型にエプロンをつけた、年配の林田文子。顔を見るなり、手を振って近づいてくる。
「あらまあ、帰ってきたのねぇ。おつかれさま。……って、あら、そんなにいっぱい!」
目を丸くしながら、ゆいの背負ったリュックに目をやる。中には、丁寧に詰め込まれた水風船、お面、輪投げセット、祭りの景品などがぎゅうぎゅうに入っていた。
「これで、子どもたちも喜ぶわぁ……ほんと、ありがとねぇ」
「へへっ、どういたしまして」
ゆいは照れくさそうに笑い、リュックを少し揺らして見せた。
「よーし! 明日は仕分けと設営準備だー!」
「準備係、がんばろーねっ」
綾織もにこやかに頷く。
そのとき——
遠くの廊下の先から、ゆっくりと歩いてくる拓真の姿が見えた。
両手にタブレットとメモ用紙を持ち、何かの点検でもしていたようだったが、視線の先にゆいの姿を見つけて、ぴたりと足を止める。
一瞬、表情が曇る。肩がぎこちなく揺れ、目を伏せそうになる。だが、逃げるようには動かない。ただ、その場で戸惑ったように立ち尽くしていた。
ゆいも気づいた。彼の姿に気まずさがよぎったのか、ふと視線を逸らしそうになったが——
「ねえ、たくまっ!」
ぱっと声を張り上げた。
リュックをごそごそと探り、水風船の袋を一つ取り出して、にっこり笑う。
「見て見て! ほらっ、これ! 夏祭り、やるんだよ!」
拓真は驚いたように目を丸くする。
「え……夏祭り……?」
「うん! みんなにはまだナイショだけど、準備中なの! ほら、こういうの!」
続けて、お面やヨーヨー、綿あめセットも見せる。にこにこと嬉しそうにしゃべるゆいは、さっきまでの気まずさを微塵も感じさせなかった。
「でもね、これは極秘プロジェクトだから……」
声をひそめて、ぐっと顔を近づける。
「特に高宮さんには、ナイショね! 特に! にししっ」
いたずらっぽく笑うゆいを見て、拓真の口元が、ゆっくりと緩んだ。
「……うん」
彼は短くそう言って、少しだけ顔を赤らめながら、はにかんだ笑みを浮かべた。
その笑顔に、ゆいも「よしっ」と頷く。
夏の気配が、ようやくこの地下にも、届き始めていた。
ガチャ、と奥の通路の扉が開く音がした。
その瞬間、ゆいの顔がピクリと強ばる。慌てて大きなリュックの口をぎゅっと締め、背中側へと隠すように回す。
「——何をしている?」
低く張った声が響く。廊下から現れたのは、高宮だった。無表情のまま、鋭い視線がゆいに注がれている。
「べっつにー。ちょっと整理してただけ」
ゆいはわざとそっけなく答え、視線を逸らした。
だが高宮の目は、すぐにその背後に立つ少年に移った。ダンだ。場違いな学ラン姿が目を引く。
「……外に出たとは、聞いていない。そいつは誰だ。許可は下りていないはずだが?」
静かだが圧を感じる口調。高宮の目には、警戒心とわずかな怒気が滲んでいた。
「なんでいちいち許可取らなきゃいけないんですかー?」
ゆいは語尾を跳ね上げ、やや挑発的な態度で返す。だがその眉間には薄く皺が寄っていた。
高宮はゆっくりと歩を進めながら、明確に言葉を重ねる。
「もし、君が戻らなかったらどうする。拉致された、尾行された、発信機を付けられた、ソイツがスパイじゃない確証は?何があるかわからない。そうなれば——ここにいる全員の命が危険に晒される」
「……」
「君に、それだけの責任が取れるのか?」
その問いに、シェルター内の空気が一気に重たくなる。
ゆいは歯を食いしばり、言葉を返さないまま、まっすぐ高宮を睨み返した。その瞳には、怒りと悔しさ、そしてほんの少しの迷いが浮かんでいた。
高宮はゆいから目を逸らすと、室内全体に視線を走らせた。通路の奥や壁際で様子を窺っていた他の住人たちを一瞥し、冷ややかな口調で言い放つ。
「——各々、早く仕事に戻れ。時間の無駄だ」
その一言に、場の空気がさらに凍りつく。だが、重苦しい沈黙を破ったのは、意外にも拓真だった。
「……なんなんですか、その言い方……!」
小さな声だったが、はっきりとした怒気を帯びていた。周囲が驚いて振り返る中、拓真は震える声で言葉を続けた。
「仕事、仕事って……僕たちはロボットじゃない。感情もある、生きた“人間”なんです!」
いつもは控えめな彼が、今だけは目を逸らさず継宮を見据えていた。
「毎日、あんな硬いベッドに縛りつけて……生命力を吸い取られて……そんな生活、苦しいに決まってる!」
高宮は一瞬だけ目を細めたが、静かに息を吐き、口を開く。
「……ならば、問おう。戦闘に出ている者たちが、薬が足りず明日全員死んだらどうする?」
「えっ……」
「彼らは不死身ではない。限界はある。あれだけの戦力を維持し続けるのは、命を削っているのと同じだ」
高宮の声音は静かだったが、ひとつひとつの言葉に重みがあった。
「彼らが倒れたとき、君に——敵を倒す力があるのか? 味方を守る力があるのか?」
拓真は口を開きかけ、だが、何も言えずに言葉を飲み込む。
「感情を否定するつもりはない。だが、“人間”であることを盾にして、安全な場所で正義を叫ぶのは違う」
厳しい言葉だった。しかしそこには感情を切り捨てた冷酷さではなく、現実を背負う者の覚悟が滲んでいた。
拓真は視線を落とし、唇をかみしめた。その背中を、ゆいがそっと見つめていた。
高宮の鋭い視線を前にしながらも、拓真は一歩も引かなかった。拳を握りしめ、声を張る。
「ぼ、僕は……強くなります!」
その言葉には怯えや戸惑いではなく、はっきりとした決意の色がこもっていた。拓真の瞳が、まっすぐ高宮を見返している。
だが——その瞬間だった。
「——だったら強くなってから言え!!」
継宮の声が、怒号となって空気を裂いた。今まで聞いたことのないような、感情をむき出しにした声。張り詰めた空気が一瞬にして凍りつく。
「ここは、“夢”じゃない。ゲームでもない。“ここに住む人間たち”にとっては、これが現実なんだ」
継宮の肩がわずかに震えている。普段は冷静沈着なその人間が、感情を抑えきれずにいる姿に、誰もが言葉を失っていた。
「“タラレバ”で語るな……“そのうち強くなる”なんて、戦場じゃ通用しない。“いつか”のために“今”死んでいい命なんて、どこにもない!」
高宮の声が響いた後、場に残ったのは重苦しい静寂だった。誰一人として口を開けない。息を飲んだ音すら、空気に呑まれて消えていく。
そして、しばらくの沈黙ののち——
高宮はふいに背を向け、静かに歩き出した。
感情を押し殺すような冷静な声で、最後にひと言だけ告げる。
「……仕事に遅れるなよ」
それだけ言うと、高宮は廊下の奥へと姿を消していった。残された空気は重たく、誰もがそれぞれの胸の奥で、彼の言葉の意味をかみしめていた。
「……わかってる。自分が弱いことくらい、僕が一番わかってるんだ」
拓真は俯いたまま、小さな声でそう呟いた。拳を握りしめた指先が、わずかに震えている。
その肩に、ふわりと温かな手が触れる。ゆいだった。
「……うん、そうだね。一緒に強くなろう」
優しく言って、拓真の頭をポンポンと撫でる。鋭く強い印象とは裏腹に、その手つきは母親のようにやさしく、包み込むようだった。
静かな、しみじみとした空気がその場に広がる。
だが、その空気を破ったのは、奥から響いてきた明るく力強い声だった。
「——はいはい、しんみりはここまでっ! 今日の晩御飯は豪勢に行くよ! みんなその汚ったない身体、お風呂でさっぱりしてらっしゃい!」
腕まくりしたエプロン姿の“肝っ玉母さん”こと林田が、手を叩きながら言う。その豪快な笑顔と勢いで、場の空気が一気に緩んだ。
「ほらそこの坊主! あんたも新人だろ? ちゃっちゃと湯に行ってこい!」
突然振られたダンは、思わず姿勢を正し、真顔で答える。
「いえっ、まだ僕は働いておりませんので、食うべからずです! せめてご飯作りを手伝わせてください!」
その律儀さに場のあちこちからふふっと笑いが漏れる。
「じゃあ私も手伝う〜」と、ゆいが軽く手を挙げた。
「おっ、いいねぇ! じゃあ二人とも、手ぇ洗ってから調理室に来なっ!」
肝っ玉母さんはガハハと笑いながら、二人を調理場のほうへと導いていく。
その様子を見送っていた拓真が、ふと気づいたように声を上げた。
「……そういえば、ケイさんって高宮さんと一緒に出て行ったはずですよね? 戻ってきてませんよね」
その言葉に、ゆいも「あ、ほんとだ」と首を傾げる。
「探しに行こっか?」とゆいが言いかけたその時、拓真が一歩前に出て制した。
「いえ、僕が行ってきます。皆さんは美味しいご飯を作って、待っててください」
その言葉には、さっきとは違う、少しだけ頼もしい響きがあった。
ゆいはニコッと笑ってうなずく。
「うん、じゃあ任せたよ。気をつけてね」
拓真はしっかりと頷くと、背筋を伸ばし、シェルターの通路を走り出していった。
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