「目覚め」
目を覚ました。
――いや、たぶん、ずっと起きていた。
時間は午前2時47分。部屋の照明は落ちたまま。外は雨のはずなのに、空気だけが妙に明るい。光が滲んでいるみたいで、輪郭がすこし甘い。
雨音は小さく、やけに遠い。自分の部屋が、音のない水槽の底に沈められているみたいだった。耳鳴りとまではいかないが、世界の音が一枚膜をかぶっている――そんな違和感が、皮膚の内側を静かに撫でてくる。
なのに、もっと気持ち悪いのは別のところだった。
さっきまで、確かに“何か”を見ていた気がする。
夢。たぶん夢だ。そう片づけたいのに、夢にしては手触りが残りすぎている。映像じゃない。感情でもない。もっと生々しい、体の奥に貼りつくもの――腕の内側に残る重さとか、喉の奥に残る金属っぽい乾きとか、叫び損ねた息の詰まり方とか。
なのに、内容が掴めない。
思い出そうとすると、輪郭だけが逃げる。白い光、冷たい空気、どこかで鳴った音。あと、胸の奥に四角い欠けができたみたいな、説明できない不快感だけが残っている。夢の“中身”は霧なのに、夢の“手応え”だけが本物みたいに居座っていた。
カーテンの隙間から街灯のオレンジが漏れて、流しに落ちたカップ焼きそばの麺が乾いたままへばりついているのが見えた。まるで数日放置したみたいな色と乾き方。実際には、ほんの数時間前――俺はこれを作ろうとして、湯切りに失敗したはずだった。
「……あれ、湯切り……」
つぶやいた声が、異様にクリアに壁へ返ってきた。寝起き特有のだるさもない。背中の汗も首のこりもない。むしろ、目だけが冴えすぎている。
気味の悪さを押し込めるように、ソファの背にもたれて大きく息を吸う。
空気の匂いも、いつもと違う。雨の匂いでも、部屋の匂いでもない。“無臭の違和感”――そんなものがあるなら、今の部屋はそれだった。
そのとき、スマホの通知音が鳴った。
LINEの“ピコン”。いつも聞いている音のはずなのに、なぜか引っかかる。音が耳に入る前に、「来る」と分かっていたような感覚が、背筋を舐めた。
(通知?)
画面を開く。無意識だった。指が勝手に動いたみたいに、光に吸い寄せられてタップする。
差出人は「システム」。アイコンはグレーの歯車。
普通なら即ブロックする。なのに、今夜はそれができない。さっきの“妙にリアルな夢”の残り滓が、スマホの光と同じ種類の気持ち悪さでつながっている。
表示された文字が、思考を止めた。
【接続完了】
【ランク:E】
【所持通貨:52,347円】
数字が、胸の奥を叩く。
見覚えがある――というより、見慣れすぎている。つい最近、アプリで確認した残高と一致している。偶然にしては、ピタリすぎた。
「……迷惑メール?」
そう言ったはずなのに、声が自分の声に聞こえなかった。部屋に“張り付く”感じだけが残る。本来、声は空間に溶けるのに、この部屋では溶けずに壁へぶつかって返ってくる。
立ち上がって、部屋を見回す。冷蔵庫を開ける。麦茶のボトル、前に買った納豆、少しだけ残ったレタス。テレビのリモコンを押す。深夜の通販番組。昨日見たタレントが同じ商品を紹介している。
どう見ても、これは現実の部屋だ。
でも“現実の気配”がない。
この空間そのものが、俺の記憶から再現されたハリボテみたいに感じる。いつもなら聞こえるはずの上の階の足音も、外を走る車も、通り過ぎる人の気配も――何もない。
「……夢、なのか?」
口に出した瞬間、その言葉だけがやけにしっくりきた。
内容は思い出せないのに、さっき見ていた“何か”だけは、現実より現実っぽかった気がする。だから余計に、今のこの部屋が薄っぺらく感じる。
俺はスマホの画面を握りしめたまま、もう一度、息を吸った。
肺に入る空気が、どこか嘘くさかった。
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