「交差する道」
設計者の部屋をあとにした三人は、重たい沈黙のなか、崩れかけた廊下をゆっくりと歩いていた。
空調は止まり、酸味の混じった湿った空気が肌にまとわりつく。さきほどまでの死線をくぐり抜けた緊張が、まだ身体の奥にこびりついたまま、簡単には抜けてくれなかった。
ケイは、わずかに足を引きずりながら前を行く。その額には、あの男から手渡されたゴーグル。新しいそれは、無骨なデザインにも関わらず、ケイにしっくりと馴染んでいた。
誰も口を開かないまま、無言で出口を目指す。
──そして、施設の重たい鉄扉を押し開けると、外の光が滲み込んできた。
地上へ出た三人を迎えたのは、うす曇りの空だった。陽の光は白く拡散し、まるで現実と夢の狭間にいるような錯覚を覚えさせる。
風は湿っていて、生ぬるい。頬をなでるその空気は、戦いを終えた者たちに対して、何かを労うような、それとも試すような、不気味な静けさを運んでいた。
数時間の徒歩と沈黙ののち、ようやく三人は目的地にたどり着いた。
「……帰ってきたな」
ケイが呟く。
その視線の先、見慣れたカフェの看板が見えた。
ゆいがふっと安堵の息をもらした。
「なんか……もう、ここが“安全圏”に見えるとか……感覚おかしくなってきたかもね」
拓真も小さく笑いながら頷いた。
「それでも……ほっとします。カフェに戻れるだけで」
わずかな緊張が解けたその瞬間、ケイの視線がふと上を向いた。
建物の隙間から覗いた空は、どこか日が沈み始め空をオレンジに変えようとしていた。
ゆいと拓真はその背後で黙って足を止める。
そしてケイは、そっとゴーグルを目元に当てた。
カチ、と装着音が鳴る。薄いレンズの向こうに、情報の流れが広がっていく。温度、電力の流れ、構造体の素材、距離、光量、気配……そのすべてが微細なデータとして、ケイの視界に流れ込んできた。
──だが、そのときだった。
視界の右端。ビルの中層階。そこに、ごく一瞬、こちらを見つめる“人影”が映った。
直感が、全神経を刺した。
ケイは無意識にズームを合わせ、ゴーグルの読み取り機能を最大化させる。
「……」
だが、浮かび上がったのは不鮮明な文字列だった。
【ランク:?】【スキル:――――】【識別失敗】【対象情報:――】
まるで“誰か”が、そこに情報を与えまいとしているかのように。
これはなんだ?確かに見えている。顔や服装、肌や目の色、細かいところまで確実に見えている。でも、
見えない。
確実にそこに人がいる。こっちをみている。目には見えているのに情報が脳に上がってこない
ゴーグルでも読み取れない、理解できない。
そして、その人影はわずかに動いた──そして、煙のように、消えた。
ノイズの残滓がレンズの奥で揺らぎ、画面が微かにチカチカと点滅を繰り返す。
「……誰か、いた……」
ケイが小さく呟いた。
ゴーグルをゆっくりと外し、その目で改めて建物の中層階を見つめる。
しかし、そこにはもう、何もいなかった。風に揺れる破れたカーテンだけが、わずかに波打っていた。
後ろから、拓真が不安そうな声を出す。
「……何か、見えたんですか?」
ケイは答えなかった。ただ、わずかにゴーグルを見つめながら、ふと眉をひそめる。
「……カフェ、戻ろっか」
ゆいがぽつりと呟く。
その瞬間、さらに不穏な気配が、路地の先から近づいてきた――。
「……あの、失礼します」
通りの角から、そっと声がかかった。
三人が振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。
黒髪をやわらかくまとめ、淡い色のカーディガンの上に実用的なベストを羽織っている。年齢は20代後半ほどだろうか。物腰は柔らかく、両手を胸の前にそろえて控えめに立っていた。
「……ごめんなさい。あの施設から出てきたのを見かけてついてきてしまいました。」
敵意は感じない――けれど、
彼は無意識にゴーグルを目元に当てた。
画面には
“ランク:D スキル:幻糸展開”
「あなたは……誰?」
ゆいが一歩前に出て、服の裾からカッターを覗かせる。目には露骨な警戒が浮かんでいた。
女は少しだけ驚いたように瞬き、一礼した。
「すみません、驚かせるつもりはなかったんです。本当に、敵意はないんです」
そう言って、彼女は自己紹介するように、胸の前で指を組んだ。
「私、綾織 紬といいます。“シェルター”っていう小さな避難グループにいて……そのシェルターは困ってる人たちを、集めて守っているんです」
拓真がわずかに身を乗り出した。
「……シェルター?」
「はい。高ランクではない人、スキルを持たない人、子供や年配の方もいます。だから戦闘ができる人がどうしても足りなくて……。ごめんなさい、突然で申し訳ないのですが、もしよかったら、力を貸していただけませんか」
言葉に強制はなく、どこまでも丁寧だった。
「もちろん、無理には言いません。チームに加わってほしいというわけではなくて……取引としてでも十分です」
ケイがゆっくり前へ出た。
「……それで、俺たちに何をしてほしいんだ?」
「物資の調達を少しだけ。低ランク狩りから守っていただきたいんです。対価として、うちには“回復スキル”を持った方もいるので、治療や休養のお手伝いができると思います。今、とてもお疲れでしょう……無理をして倒れてしまう前に、少しでもお役に立てれば」
その言葉には、利害以上に“心配”の色が込められていた。
だが、ゆいは表情を崩さない。むしろ、その優しさにこそ警戒を強める。
「……見た目が“いい人”ほど、信用ならないって思ってるから」
「……ゆいさん?」
拓真が戸惑いの声をあげた。
「昔、似たような言葉で安心させて……裏切られたことがある。それだけ」
それでも、綾織は微笑を崩さなかった。むしろ、傷ついたように瞳を伏せ、申し訳なさそうに言った。
「そうだったんですね……信じてなんて、言えません。でも、こうして言葉を交わしてくださっただけで、私は感謝しています」
「……」
拓真がそっと呟いた。
「……本当に、優しそうな人ですね」
「うん、なんか……こういう人が“守る側”にいてくれるなら、少しは安心かもって」
その一言に、ゆいは顔をしかめるが、何も言わなかった。
綾織はポーチから小さな紙を取り出すと、ケイに差し出した。そこには、地下B3の“白の広場”という施設への簡単な案内が書かれていた。
「本当に、無理には言いません。もし少しでも、誰かの助けになりたいと思ってくださるなら……」
そして彼女は静かに頭を下げた。
少し考えてケイが口を開いた。
「まだすぐに返答はできません。少し話合わせてください」
少し悲しそうな顔をして彼女はつぶやいた
「……“選べる”って、強いですね」
その一言に、ケイは思わず顔を上げた。
……俺のスキルを知ってる?
「私たちみたいな弱い人間は群れることでしか生きられませんから。仲間を選べるっていいですね」
……あまりにも”選べる”とゆうワードに敏感になりすぎているみたいだ。
脳裏に、あの男――設計者の声が蘇る。
“君のスキルは、未来の選択だ”
“選べるってことが、どれだけ特別か。君はまだ気づいていない”
「……」
綾織はぺこりとお辞儀をして振り返らず、そのまま雑踏の奥に紛れていった。
ケイの手が、かすかに震えていた。
彼女が立ち去ってから、しばしの沈黙が三人の間に流れた。
その空気を切り裂くように、ゆいがぽつりとつぶやいた。
「……まるで今の仲間に、不満でもあるって言い方だったよね」
その声は鋭さを帯びていたが、どこか曇っていた。綾織の言葉に潜む含みを、どうしても気にせずにはいられなかった。
少し遅れて視線をゆいに向ける。「……確かに。」
自分のことばかりで気づかなかった。
拓真も、腕を組んだまま静かにうなずく。
「たぶん、本人に悪気はなかったんでしょうけど……言葉の選び方、ちょっと不自然でしたね」
「やっぱりなんかあるかもね。その”シェルター”」
ゆいの言葉に、誰も即座に反論はしなかった。
言葉は静かだったが、確かに鋭い棘がそこにあった。
ケイはふと視線を遠くに向け、風に揺れる街の広告幕をぼんやりと見つめた。心のどこかでまだ、設計者の言葉と、綾織の一言が重なって響いていた。
「……選べるのは幸運か。」
沈黙が続く中ゆいが口を開いた
「……とりあえず、カフェに戻ろう。作戦会議でもしないと」
「そうだね。ちゃんと、整理して考えた方がいい」
拓真の声はどこか落ち着いていたが、その目には揺らぎがあった。
三人はゆっくりと歩き出す。街の雑踏に紛れながら、それぞれの胸にひっかかる思いを、言葉にせず抱えたまま。
カフェへと向かうその背には、再び選択の岐路が忍び寄っていた。
三人は、カフェに戻ってきていた。
街の片隅に佇むそのカフェは、静かで清潔感のある空間だった。
埃ひとつなく整ったテーブルと椅子。カウンターの奥には未使用のグラスが並び、空気もほんのり甘い香りが漂っていた。
ケイはソファに沈み込むように腰を下ろし、ゴーグルをテーブルに置く。ゆいと拓真も、それぞれ椅子に体を預けていた。
しばらく無言の時間が流れる。
やがて、ゆいが静かに口を開いた。
「“助けてほしい”って言葉、たぶん本当だ。でもあの人の目、何度か揺れてた。あれは、物資が足りないとか、盗賊が怖いとかだけじゃない」
「うちのチームは、弱い人たちを守ってて……って言ってたけど、守られてる側が本当に“守られてる”と思ってるかは、別の話かもな」
ゆいが唇をかみしめた。
「困ってるなら助けてあげましょうよ!」
「それ、私たちが入り込んだらどうなると思う? “戦える”ってだけで、都合よく使われるかもしれない」
ゆいの鋭い目つきに拓真はしばらく考え込み、言葉を選ぶように口を開いた。
「でも……綾織さん自身は、本当に助けてほしいって思ってた。……誰かが助けてあげないと」
ケイはゴーグルを手に取り、ゆっくりと視線を落とした。
「助けたら、引き返せなくなる。あのチームの問題が表に出る前に、俺たちが“内部の人間”にされるかもしれない」
ゆいは眉をひそめ、ソファの背にもたれかかった。
「……巻き込まれる前に距離を置くべきか。助けてあげたい気持ちはあるけど、私たちだって余裕があるわけじゃないし」
「けど、放っておいたらどうなるかも、ちょっと怖いですね……」
拓真がぽつりと呟いた。
ケイはしばし黙っていたが、やがて地図の上に指を置き、静かに言った。
「……選択肢として、持っておこう。今日はもう暗い。少し休もう」
三人の間に、再び沈黙が落ちる。
今の彼らにとって、“選ぶ”という行為そのものが、すでに重たすぎるものになり始めていた。
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