「傷と対面」
「……ッ、が……は……っ!」
鉄の匂いが口内に広がった瞬間、ケイは膝から崩れ落ちた。全身の力が抜け、砕けるような痛みが内臓の奥から押し寄せてくる。
倒れた機械兵を見つめたまま、彼は地面に手をついた。冷たい床の感触が、ようやく終わったのだという実感を与えてくれる。
だが、それと同時に──
(……動けない)
呼吸ひとつするのにも肋骨が軋む。腹部の奥に鋭い痛みが残り、左足は感覚がなくなっていた。
「ケイ! 大丈夫か!?」
ゆいが駆け寄ってくる。髪は乱れ、額にはうっすらと汗。彼女の肩越しに、拓真も心配そうに覗き込んでいた。
「だ、だいじょ……うぶ……な、わけ……あるか……」
情けない声だった。力を込めたつもりでも、喉が潰れて音にならない。
(これ……内臓いってるかもな……クソッ……)
痛みと安堵が交錯する中、ケイはかろうじて意識を保ったまま、必死に思考を巡らせていた。
「僕、何か使えそうなもの探してきます!」
拓真はそう叫んで駆け出した。
二人きりになった空間に、しばし沈黙が落ちた。ケイは血を吐きながらも、かすかに笑みを浮かべる。
「……ゆい……」
「……なに?」
ゆいの声は、さっきまでの怒気が嘘のように柔らかかった。
ケイは、口元にうっすらと笑みを浮かべると、血で濡れた唇を震わせながら、途切れ途切れに声を発した。
「……あり……が……と……」
その一言に、ゆいは目を瞬かせ、そしてふっと口元を緩めた。
「……バカ。死んだら、無意味なんだからね……」
ゆいは、しゃがみ込み、ケイの額にかかった血混じりの髪をそっとかき上げた。いつもの鋭い態度とは違い、その仕草には穏やかな優しさがあった。
「わたしもさすがに焦っちゃった。勝てたのはあんたのおかげだよ」
ケイは何も言わず、ただ瞼をゆっくり閉じる。体は動かない。声もまともに出ない。それでも、表情の一片が、かすかに感謝を滲ませていた。
「……でも、やるときはやるんだよね。あんたって」
ゆいはそう言って、彼の肩に手を添える。
「いつもはさ、ヘラヘラして頼りなさそうなのに……あの時の動き、ちゃんと見てたよ。冷静に判断して、弱点を突いて、指示出して……ほんと、信じられないくらいだった」
ケイの口が、再び小さく動いた。ほとんど声にはならなかったが、かすれた息が「……そっち……も……」と形をなしていた。
「え……?」
「……ゆい……も……すご……かった……」
言葉を発しきると、ケイの眉が少し上がり、息苦しさに顔をしかめた。
「無理に喋らないで……でも、ありがとう」
ゆいは照れ隠しのように息を吐き、ほんの少しだけ俯いた。
「……ま、あんたが褒めてくれるなんて思ってなかったからさ。ちゃんと覚えとく」
彼女の声には、どこか嬉しそうな、安堵に似た震えが混じっていた。
そのときだった。
「これ! 使えそうな工具と、怪しいけど医療っぽい瓶とか、いっぱいありました!」
慌ただしく足音を響かせ、拓真が戻ってきた。
ケイは、拓真から受け取った瓶のひとつひとつにゆっくり手を伸ばし、震える指先でなぞる。触れた瞬間、頭の中で薬の構造や効果が浮かび上がっていく。
(これ……痛み止め。こっちは循環促進……血中酸素量を調整する補助剤……)
ケイは震える指で薬瓶をひとつ指さした。
「……これ……頼む……」
そのかすれた声に、ゆいは一瞬驚いたように瞬き、すぐにうなずいた。 「わかった。口、開けて」
ケイはうっすらと目を開け、わずかに首を振って否定する。そして、震える指で瓶のラベルをなぞるように示した。ゆいは一瞬戸惑いながらも、その意図を悟る。
「これ……と、これ……?」
ケイは弱々しくうなずいた。
ゆいは言葉なく、まず薬液の瓶を手に取る。キャップを外し、慎重に量を測ってから、ケイの顎をそっと支える。その口元は血で濡れ、唇は割れていた。けれど、彼はかすかに唇を開き、受け入れるように頷く。
薬液が舌の奥に触れると、ケイの喉がピクリと震えた。わずかな咳き込みとともに、液体が喉奥へと落ちていく。
次いで、錠剤を彼の手元に差し出すが、彼は動かせない腕の代わりにもう一度、目線でゆいを促した。
「わかった」
数種類の薬を飲み終える頃には、彼の顔にほんのりと赤みが戻り、呼吸も浅いながら規則を取り戻し始めていた。
胃の奥が熱を帯び、全身を這い上がっていく薬効。
夢のような即効性。現実離れした反応だったが、今のケイにはそれが必要だった。
「……死には……しない、くらい……か」
ケイは浅く息をつく。話せるようにはなったが、声はまだ途切れ途切れだった。
「これも、組み合わせれば使える……」
ケイは拾った部品と拓真が持ってきた素材を組み合わせるよう指示し、即席の補助装置を作り上げる。
「スイッチ、入れますよ……」
シュウゥ……という音とともに、酸素が肺に流れ込む。ようやく、まともに息ができた。
ゆいは、酸素装置の音を確認しながらも、ケイの顔を覗き込むようにして心配そうに訊ねた。
「……本当に、行くの? 無理しすぎじゃないの?」
ケイはうっすらと笑みを浮かべ、力のないまなざしで倒れた機械兵を見つめた。
「……行く。いま、見ないと……たぶん……もうわからなくなる……」
「そんな体で……」
横で拓真も眉をひそめ、声を潜めた。
「あまり無理しないでください……まだ応急処置も不完全ですし……」
ケイは力なく首を横に振る。
「……動けるうちに……今、しかない」
その言葉に、ゆいは唇を噛んで、黙ってうなずいた。そして、ケイの脇に腕を差し入れ、そっと支え起こす。
ケイは鉄パイプの破片を杖代わりに手に取り、よろけながらも立ち上がった。ゆいにしがみつくような格好で、ふらつく足を一歩ずつ前へ運ぶ。
「変なとこ触らないでね。そんときは、私、ぶっ叩くから」
「……怖……」
ケイがかすれた声でそう返し、ゆいの顔が思わず和らぐ。
そうして、半ば引きずられるようにして、倒れた機械兵へと向かった。
「……あいつ……ただの兵器じゃない。記録、見たい……」
たくまがゆいのバールで胸部をこじ開け、基板やメモリパックに指を這わせる。
「誰かに……戦闘ログを送ってた…… いや……試験……」
“転送中”と表示された文字列。
「やっぱり……監視されてた。この……戦闘事態が……試験だったんだ」
「誰に?」と拓真。
「……おそらくこ……の機械の設計者。……そいつに会えば、何かが……わかる気がする」
ケイは手元の基板を見つめながら、ふと気づいたようにつぶやいた。
「……これ、データ転送のログだ。送り先は……この施設の内部だ」
「内部ってこの施設のどこかの部屋に?」ゆいが眉をひそめる。
「うん、この……建物の中に……設計者がいる。直接、この戦闘データ……を送ってる。ネット……越しじゃない、ここにいるんだ」
「……じゃあ、まだ終わってないってこと?」
ケイはうなずいた。
三人は、一度その場に立ち止まり、互いに目を見交わした。空気は張り詰め、沈黙の中でそれぞれの覚悟が確認される。
ゆいは先に歩き出しながら、バールの柄をぎゅっと握り直す。
「……油断したら、次は本当に死ぬかもね」
拓真はこくりとうなずき、少し震える手で手持ちのライトを構えながら、そっとケイのもう一方の肩に腕を添えた。
「……僕、ちゃんと周囲見てます。あと、支えますから……無理しないでくださいね」
ケイは杖代わりの鉄パイプに体を預けながら、拓真の支えにもたれるようにして一歩を踏み出した。足取りは重く、呼吸も浅い。それでも、目の奥には確かな意志が宿っていた。
通路の先は、かすかに傾いた床と、途切れがちな照明の灯り。薄暗い天井には露出した配線が這い、壁には過去の戦闘の痕跡とみられる焦げ跡が残っていた。
三人は、警戒を強めながら最奥の扉へと向かう。
途中、廊下の壁に埋め込まれた配線の裂け目から、かすかに熱を帯びた風が吹き抜けていた。焦げた金属の匂いが鼻をつき、足元のタイルの一部は割れ、踏み込むたびに乾いた音を立てる。
ケイがふと立ち止まり、廃材の山の陰に隠れるようにして設置された制御パネルに目を留めた。 「ここ……鍵じゃないけど……アクセス端末……多分……ログイン認証の……」
かすれた声でそう呟くと、ゆいと拓真も足を止める。
「つまり、この扉の先……何か、特別な場所ってことですか?」
ケイは頷き、さらに歩みを進める。壁のひび割れをなぞるように指で確認しながら、角を曲がった先にある重厚な扉へとたどり着く。
扉の周囲には注意喚起の古いステッカーや、剥がれかけた警告表示が貼られていた。電子ロックの端子部分には擦れた痕跡があり、何度もアクセスされた形跡がうかがえる。
「ここ……だな」
ケイが壁の端末に視線を落としたとき、ゆいが前に出た。「任せて」とだけ言い、カッターナイフを取り出す。
端末のロック部分を目視で確認すると、ゆいは迷いなく刃を突き立てた。
キィィ……という金属を裂く音が静寂を切り裂く。鉄製のロック部分が、まるでチョコレートのように滑らかに切り抜かれていく。
刃が最後の一点を通過したとき、くり抜かれた鉄の蓋がガランと音を立てて内側に落ちた。
「下がってて!」
そう叫ぶと同時に、ゆいはいつの間にか出した1.5m大きなレンチを扉に叩きつけた。
扉全体がごうんと爆発的な音を立てて吹き飛んだ。煙と火花が弾け、内側の空間があらわになる。
破れた扉の向こう、灰色の室内。
そこには、モニターの前に背を向けて座る男の姿があった。
白衣、義眼、義手。そして、穏やかな笑み。
「よく、ここまで来たね」
男は静かに言った。
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