「もう一人」
ケイとゆいはふたりでミッションの目的地へと向かっていた。
今回の任務は、北に位置する廃品工場の倉庫に残された医療物資の回収。廃工場は数年前に稼働を停止して以降、朽ちかけた鉄骨と瓦礫に覆われた無人地帯と化している――そう、端末の説明には書いてあった。
実際はもっと生々しい。北に近づくほど、空気が乾いて、鉄の匂いが濃くなる。錆びた金属が擦れるような、舌の奥に残る味。風が吹くたびに、どこかで何かがカタリと鳴る。人の気配が薄いからこそ、些細な音が大きく聞こえる。
「場所は第三倉庫……搬入口は西側か。」
ケイはタブレットの地図を指で拡大し、倉庫の位置と導線を頭の中でなぞった。画面に表示される線は綺麗すぎて信用できない。現場は瓦礫で迂回を強いられるし、壁が倒れて道が塞がっていることもある。
——分かってる。分かってるのに、手は勝手に地図を何度も拡大した。確認していないと落ち着かない。自分が「慣れてる側」じゃないことを、こういうところで思い知らされる。
横でゆいが缶のカフェオレを啜りながら覗き込む。甘い匂いが一瞬だけ漂った。こんな時にその匂いがするのが、妙にちぐはぐだ。
「でも、この時期の北側ルートって、野盗が出やすいんだよね」
ゆいの声は軽い。けれど視線は地図じゃなく、ロビーの出口の方や、壁際にたむろしている人間の動きへ先に流れていた。癖だ。危険に対して身体が先に反応する。
「対人戦の記録はないけど、遭遇報告はあるな……」
ケイは言いながら、自分の喉が乾くのを感じた。“対人戦”という言葉が口の中で嫌に転がる。戦ったことなんてない。殴り合いだって、学生の頃に一度あったかないかだ。夢の中で銃声は聞いた。死体も見た。でも自分の手で誰かをどうこうした経験は——ない。
「……警戒は、必要だと思う」
最後だけ少し弱くなった。断言できない。断言できるほどの実感がない。
そんな会話を交わしているときだった。ロビーの隅から、足音が近づいてきた。
軽い足音。靴底が床を擦る音がやけに新しい。近づいたかと思うと一度止まり、また一歩だけ進む。勇気を出す練習みたいな歩き方。
ふたりが顔を上げると、一人の少年が、おずおずと近寄ってくる。
「お……同じミッション、ですよね? 第三倉庫の医療物資回収……」
声が細い。高い。背中のリュックが体に対して大きすぎて、肩ベルトが食い込んでいる。新品のジャケットの袖は長く、手首が半分隠れていた。顔立ちはまだ幼い。目元だけが妙に固く、無理に大人ぶっている感じがした。
(……中学生くらいか?)
ケイがそう思った瞬間、胸がひやっとした。こんな場所に、こんな年齢が。
ゆいは無言でその少年を見た。視線が冷える。睨むというより、“切る”目だ。
「……目的は?」
ゆいの問いは低い声だった。少年はびくりと肩をすくめ、慌てて言葉を継ぐ。
「た、高城拓真っていいます。僕……一か月前にここに来て……ずっと外に出るのが怖くて、部屋に……。食料の備蓄で何とか……」
言いながら、拓真は肩紐を強く握った。握りすぎて指先が白い。喉が何度も上下している。
「で、今日はなぜ出てきた?」
ゆいが詰め寄るように聞くと、拓真は顔を伏せたまま、ぎゅっと肩紐を握りしめた。
「勇気を出して……初めてミッションを受けに来たんです。でも……やっぱり怖くて……誰かと一緒なら、って……」
語尾が消える。言い終えた瞬間、逃げ道を探すみたいに目が揺れた。拒絶されるのが怖い。けど、ひとりで外に出るのも怖い。どっちも怖い顔だった。
ゆいは鼻を鳴らす。
「つまり、ひとりじゃ無理。私たちにくっついてくるつもり?」
「ち、違……でも……! 邪魔はしません! 足手まといにならないようにします!」
声が裏返る。必死で、必死すぎて、余計に危なっかしい。
ゆいの表情は変わらない。冷たいまま。
「ダメ。命がかかってる。連れてく理由がない」
拓真の口が開きかけて、閉じる。泣きそうな顔を必死に押し込めたみたいな表情だった。
その沈黙に、ケイのほうが耐えられなくなる。
「……ゆい」
自分でも分かる。口を出す資格なんてない。経験もない。戦えるわけでもない。なのに、目の前で“子ども”が切り捨てられるのを見て、黙っていられなかった。
「俺も……外、怖かった」
言ってから、情けなくなった。これじゃ慰めにもならない。ただの共感だ。共感なんて、この世界では武器にならない。
ゆいがケイを見る。冷たい目。けれど、そこにほんの少しだけ「で?」が混ざる。ケイがどう落とすのか見ている。
ケイは拓真に向き直った。
「内容、分かってるか?」
「は、はい。非戦闘系……医療物資回収……」
「……戦闘が起きるかもしれない。それでも?」
ケイ自身が言いながら、腹の底がひゅっと冷えた。自分が覚悟を問える側か? 俺だって怖いのに。
拓真は小さく頷く。頷き方が、泣くのを我慢しているみたいだった。
「……行かないと、もう……ずっと、何も変わらない気がして……」
その一言が、ケイに刺さった。
変わらない。何も変わらない。自分も、ずっとそれを言い訳にしてここに来たのかもしれない。
ケイはゆいを見る。ゆいは缶のカフェオレを軽く振り、残量を確かめるように音を鳴らした。答えを急かしているようで、急かしていない。
ケイは口を開く。
「……ついてきてもいい。ただし——」
拓真の目がぱっと開く。
ケイは続けようとして、言葉に詰まった。“条件”なんて言えるほど、自分も確かなものを持ってない。強く言い切れば嘘になる。だから、できる範囲だけを言った。
「離れるな。勝手に前に出るな。怖くなったら、黙って俺の服を掴め。走るときは、俺が走ったら走れ。止まるときも同じ」
言ってから、ケイは自分の声が震えていないか気になった。震えていたら、拓真の不安が増える。増えた不安は、そのまま足が止まる原因になる。
拓真は何度も頷いた。
「はい……はい! 分かりました!」
ゆいがため息をつく。
「……ケイ、優しいのは勝手だけど」
「分かってる」
分かってない。分かってるふりだ。
ゆいは拓真を見て、冷たく言う。
「ひとつ。あんた、年いくつ」
拓真が一瞬固まり、言いづらそうに答えた。
「……中二です」
やっぱり、と思うのと同時に、胸が重くなる。中二。ここにいる年齢じゃない。
ゆいは表情を変えないまま、言い捨てた。
「ならなおさら。余計な勇気出すな。勇気ってのは、出したやつから痛い目を見る」
拓真が顔を赤くした。怒られたというより、“見透かされた”感じがしたのかもしれない。
移動の準備をしながら、拓真はずっとそわそわしていた。リュックのジッパーを開けては閉め、ナイフの位置を触って確かめ、水筒の蓋を必要以上に締め直す。指先が忙しいわりに、手つきはぎこちない。
「そんなに確認しても、いざって時には全部忘れるよ」
ゆいが言うと、拓真は慌てて手を止めた。
「す、すみません……」
「謝るのも忘れる。だから今は呼吸して」
拓真が息を吸い直す。肩が上下する。浅い。怖さが息を細くしている。
そのとき、拓真がふと、ゆいを見上げた。
「ゆいさんって……すごく強そうですね」
言った直後に、しまったという顔をした。媚びに聞こえたかもしれないと焦ったのだろう。けれど、ただの本音だった。強い人のそばにいたい。強い人に守られたい。中学生なら、そう思うのが自然だ。
ゆいは一瞬だけ口元を上げた。
ゆいがいたずらな笑顔をみせながら言った。
「強いよ。たぶん、あんたよりは100倍くらいね」
拓真がぽかんとしたあと、小さく笑ってしまった。「百倍」はさすがに突拍子がなさすぎて、怖さの中に一瞬だけ隙ができた。
ケイはそれを横目で見て、少しだけ息を吐いた。ゆいはこういうやり方で、人を動かす。励ましじゃない。優しい言葉でもない。ただ、固まる前に、別の感情を差し込む。
「……行こう」
ケイは自分に言い聞かせるみたいに言った。
北へ。廃品工場へ。第三倉庫へ。
強いわけでも、慣れているわけでもない三人が、ただ“行く”ことだけを選ぶ。足音が三つ分、ロビーの床に重なっていった。
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