「小さな1歩」
初めて夢の世界にきてから、二ヶ月ほどが経った。
正確には、夢の中での時間だ。
眠ればこちらに来て、働き、金が貯まれば薬で眠り現実に戻っている。
数日おきに目を覚まし、部屋の天井を見て、「ああ、帰ってきた」と安心し、
また眠って、同じ場所に戻る。
その繰り返し。
現実と夢の境目は、次第に曖昧になっていった。
俺たちは、その二ヶ月間、ほとんど危険のないミッションだけをこなしていた。
倉庫整理、運搬、点検。
撃たれない、追われない、死なない仕事。
夢の中で働き、現実で少し休み、また夢に戻って働く。
毎日稼げる額は少しずつ上がった。
夢の中での身体の使い方がわかり、連続してミッションをハシゴする日も増えた。
毎日クスリを飲むほどにはまだまだ届かないが、確実に1日でこなせる仕事は増えている。
――それだけの生活。
その日も、夢の中でのミッションを終え、喫茶店へ戻った。
喫茶店はもう落ち着く場所になっている。
まず、カフェオレを淹れる。
それが、すっかり習慣になっていた。
豆を挽き、湯を注ぎ、ミルクを足す。
香りが立つと、頭が少しだけ整理される。
カップを持って、ソファーに座るゆいのところへ向かった。
「ありがと」
一口飲んでから、ゆいが聞いてくる。
「スキルは?」
「……出てない」
「二ヶ月経っても?」
「現実に帰っても、戻ってきても、何も」
自分でも意外なほど、淡々と答えていた。
焦りがないわけじゃない。
ただ、もう“待っても出ないかもしれない”と理解し始めている。
ゆいは驚かなかった。
カフェオレを飲み、淡々と頷くだけ。
「じゃあさ」
嫌な予感がして、背筋が先に固くなる。
「ちょっと離れたところのミッション、行かない?」
「……治安悪いとこ?」
「そう。でも、Dだよ」
ゆいはさらっと言った。
“D”を、怖がらせる材料としてじゃなく、安心させる材料として。
「Dは大したことない。私、何回も通ってる」
その言い方が妙に現実的で、逆に信じてしまいそうになる。
「……でも」
口に出すと、自分でも情けなかった。
二ヶ月、夢で働いて。
現実に戻っても、結局また戻って。
安全な仕事だけで、同じ場所を回っている。
怖いのは確かだ。
でも、今のまま何も変わらないのも、同じくらい怖い。
ゆいがカップを置き、こちらを見る。
「私がいる。死なせない」
断言。
言葉の強さじゃなく、言い方が強い。
当たり前の事実みたいに言う。
「それに、医療物資は金になる。効率がいい」
タブレットを差し出された。
【第三倉庫 医療物資の回収】
【危険度:D】
Dがどれほどか、俺にはまだ実感がない。
けど、ゆいは“知ってる顔”をしている。
軽い仕事だと、本当に分かっている顔だ。
俺は喉を鳴らして、息を整えた。
(ここで止まったら、俺はずっとこのままだ)
二ヶ月の繰り返しが、そのまま続くだけ。
安全だけが増えて、何も積み上がらない。
「……分かった」
口にした瞬間、胃の奥がひやりとした。
怖い。
でも言ってしまった以上、戻れない。
ゆいは短く頷く。
「じゃ、行こ」
こうして俺たちは、
二ヶ月続けた“安全な生活”から、ほんの少しだけ外へ出ることになった。
その“少し”がどれほどの距離かは、まだ知らないまま。
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