「申請」
昼下がりのカフェは、まるで現実と変わらぬ穏やかな空気に包まれていた。
窓際の席から見える風景は、どこか人工的な完璧さを感じさせる。空は青く、雲は静止しているかのように動きがない。カフェの内装も、毎日見ていた記憶のまま――テーブルの角の傷、椅子の背もたれの布のよれ、微かに香るコーヒー豆の匂いまで、全てが“現実”の再現に思えた。
その中で、俺はひとりリストを睨みつけていた。
画面に並ぶのは、Eランク向けのミッション。低難易度と表記された項目の数々は、一見するとどれも地味で、選びがたい。
「物資運搬」「廃ビルの調査」「情報収集」「植物採取」……戦いもなければ、派手さもない。ただこなして報酬を得るだけの、作業のような案件。
「まだ迷ってんの?」
不意に隣から声がした。
彼女が、俺の肩越しに画面を覗き込んでいる。彼女の手には、いつものカフェラテ。ふわりとミルクの香りが鼻をくすぐった。
「……いや、どれも地味すぎて、逆に迷ってる」
俺の声は少し硬かった。眠気はないが、頭の奥に重りが乗っているような感覚が続いていた。
「最初はそんなもん。逆にハデなの選んで即死するやつも多いし」
彼女は苦笑するように言い、カップの縁に唇をつけた。彼女の目は笑っていない。現実味のない言葉だと思っていた“死”が、この世界ではすぐ隣にある。
「……死ぬと、どうなるんだ?」
言葉にした瞬間、自分でも少し震えているのがわかった。ゆいはゆっくりとカップを置き、カウンターの方に視線を向ける。
「普通に死ぬ。脳が焼き切れて植物状態になる場合もあるけど……ま、どっちにしろ終わりってこと」
さらりと告げるその口調に、冗談は一欠けらもなかった。
カフェのBGMが静かに流れている。スピーカーから聴こえるギターの旋律が、かえって背筋を凍らせた。
(本当に、ここは“死”がある場所なんだ)
わかっていたはずなのに、彼女の言葉は俺の中の最後の幻想を砕いた。
「このへんどう?」
彼女が指差したのは、“倉庫の備品整理”というミッションだった。
画面に表示された地図には、――る廃品工場の倉庫の座標が示されている。危険度は“低”。報酬も少なめだが、最初の足掛かりとしては悪くない選択肢だった。
「いいかもな。ちょっと探索っぽいし」
「OK、じゃあ申請するね」
彼女は端末を取り出し、数回タップする。申請ボタンに触れた瞬間、ピコン、と控えめな電子音が鳴って、画面に『受付完了』の文字が浮かび上がった。
俺はその文字を見つめながら、じわじわと緊張が胸に広がっていくのを感じた。
「申請完了っと」
カップを口元に戻しながら、彼女はふと俺を見た。
「……そういえば、名前まだ聞いてなかったよね」
「え?」
唐突な話題に、俺は一瞬だけ思考が止まった。
「自己紹介。ほら、これから一緒に動くんだし」
「……圭。吉田圭」
自分の名前を言うのに、なぜか少し躊躇した。けれど、彼女は自然に頷いた。
「ふーん、ケイね。私は“ゆい”。苗字は……まあ、ここじゃ意味ないし、ゆいでいいよ」
彼女の口調は軽やかだったが、その言葉の裏にはどこか割り切ったような寂しさが滲んでいた。
「ゆいって……本名?」
「うん、一応。現実じゃ気に入ってなかったけど、ここでは悪くないかなって思えてる」
ゆいは自分のカップを見つめながら、遠い記憶を掘り返すように静かに呟いた。
「ケイは?どこ出身?」
「東京郊外。家は……今はひとり暮らし」
「ああ、現実でも孤独組か。あたしもそうだよ。親はいないし、学校もまともに行ってなかった」
その言葉はどこか淡々としていて、感情を挟まないように努めているようにも聞こえた。
「いじめられてたの。見た目が原因で。こっちじゃそれを武器にできるけど、現実じゃただの的だった」
彼女は一瞬だけ視線を下げたが、すぐに顔を上げ、笑ってみせた。確かにこの見た目じゃ妬み嫉みを買うのも無理もないか
「……大変だったな」
「ううん、今はもうどうでもいいよ。ここじゃ誰かに笑われることもないし、あたし自身が強いから」
その笑顔は、どこか自嘲にも似ていたが、それでもしっかりと前を見ていた。
ゆいは身を乗り出すようにして、そっと右手を差し出してきた。
「よろしく、ケイ。せっかく一緒に行くんだから、ちゃんと仲良くしてよね」
彼女の手は細く、ひんやりとしていた。だが、俺がそっと握り返すと、ほんのわずかに、指先から微かな温もりが返ってきた。
――その温かさに、思わず胸の奥がじんとした。
不気味な夢の中で、はじめて感じた、人間らしい感触。
それはこの世界で“生きていく”覚悟を、もう一度静かに胸に刻み直すような瞬間だった。
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