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誤読  作者: ミノルマサカ/ChatGPT
第2部
16/17

第4章 調書

──キーボードの音だけが、部屋に残っていた。


斉木のパソコンの調書は、すでに数ページ分の記録が綴られている。

彼は、掌をハンカチで拭いながら、次の一文をどう書き始めるか、迷っていた。


外の雨音が、二重窓越しにぼんやりと響いている。

その静寂のなかで、俺たちは事件の“輪郭”を──言葉として、封じようとしていた。


斉木が息を吐き、再びキーボードを叩く。


【1】犯行の準備と動機


* 被疑者は過去に場面緘黙の既往があり、対人コミュニケーションにおいて一貫して筆記を選んできた。


* 大学文芸サークルにおける活動では、発話は少なかったが、提出作品には一定の水準を保つ筆力が見られた。


* 犯行の直接的な動機は、サークル内での“作品に対する嘲笑”および“好意対象である柚木に否定されたと受け止めたこと”に起因すると推測される。


* ただし、感情的衝動による突発的な犯行ではなく、事前に検索履歴(刃物、催涙スプレー、致死量など)を重ね、計画的準備を行っていた。


【2】“手記”の性質と目的


被疑者は、犯行後48時間以内に、A4用紙22枚に及ぶ「手記」を作成し提出。


本手記は、自己の行動を“感情的衝動による非計画的なもの”と見せかけるよう、文学的構造によって“演出”されている。


* 以下の特徴がある:


* 催涙スプレーによる生理的涙を、“悲しみ”として表現

* 犯行中の動揺を、“突発性”と誤認させる心理描写

* 犯行後の冷静な現場整頓行動を“感情の延長”として包摂


これらの描写は、読者の“情状酌量的読解”を誘導するために整えられており、文学的文脈と司法的文脈の交差点にある。


【3】過去の作品との関係


サークル誌『Re\:Verse Vol.13』より発見された文書、および出版社「文芸日朝社」に応募された作品を照合。


本作では“警察に手記を提出する青年”が主人公として描かれており、事件内容および人物像に多数の一致が認められる。


このことから、“手記”はこの作品の事後的続編として構成されていると判断。被疑者は、物語を現実化させることで、“小説の成立”を図った可能性が高い。



【4】犯行の性質と“証明欲求”


被疑者の動機は、単なる私怨や激情によるものではなく、「自身の構築した物語構造が、現実でも成立するか」という検証行為に近い。


サークル内で自身の作品が“笑われた”経験、ならびに好意対象である柚木による同調的な否定を契機として、「言葉では世界は変えられない」という認識への転換が見られる。


それは、「小説を読まれなかったこと」「理解されなかったこと」そのものよりも、理解されなかった結果、自分が世界に何も作用できなかった”という実感の方が致命的であったと考えられる。


よって本件は、感情の噴出ではなく、自己存在証明の最終手段として、“物語を現実化”させる過程で発生した殺人であると位置づけられる。


【5】“文学”を通じた構造的トリック


被疑者は、あくまで「手記」の中では“後悔”や“動揺”を匂わせているが、文体の中には一貫した冷静さと構造設計がある。


手記中における印象的な一文:


『それが悲しみだったかどうかは、今でも分からない』


この記述は、感情の記録であると同時に、読者に感情の錯覚を促す“罠”でもある。


被疑者は、“文学”が持つ二重性──言葉が人を癒しもすれば、欺きもするという特性を、完全に意図した上で利用していたと見られる。


彼にとっての“文学”とは、もはや表現ではなかった。

“認識を操作する構造物”としての文学を、自身の裁判戦略・自己証明の道具として選択したのである。


【6】結論と法的見解


以上の記録・証拠・手記および原稿内容から、被疑者・遠野 湊は、

「恋愛感情の破綻」や「サークル内での人間関係」によって感情的動機を発生させたわけではなく、

計画的かつ構造的に犯行を設計・実行したものと判断される。


手記は、文学的な体裁を持ちながらも、明確な構成目的を持った操作的文章であり、

情状酌量を目的とした“準備行為の一部”とみなされるべきである。


被疑者が作中で使用した「誰かに分かってもらえれば、それでいい」という記述は、

一般的な“理解されたい”という願望を装っているが、実態としては「理解されることが犯行の前提条件である」という、冷静な“設計者の条件”であった可能性が高い。


「言葉が現実を変える」

そう信じるしかなかった──彼の信仰は、ある意味では叶った。

だが、それは“命”を担保とした代償によってしか、成立しなかった。


***


「……これで、まとまりましたかね」

斉木がつぶやく。

「あぁ、お疲れさん。最終確認しとくよ」


彼の声には疲労と、どこか言い足りないものが混じっていた。

記録としては、もう充分だった。

構造も、動機も、形式も、すべては明確に“書けて”いた。──だが。


──それでも、足りないと思うのはなぜだろう。


机の上に置かれた手記の一文が、ふいに視界に滲んだ。


『でも、それが悲しみだったかどうかは、今でも分からない』


あの文章の向こう側にいたのは、どんな人間だったのか。


怒りを見せず、恨みも言葉にせず、ただ“書いた”だけの青年。

それが“表現”だったのか、“武器”だったのか、今でもはっきりしない。

だが──ひとつ、確かなことがある。


彼は、誰にも届かないまま死んでいった感情を、言葉にして残そうとした。

彼なりのやり方で、誰かに伝わることを願った。


……だから、怖いのだ。


あの手記は、正確すぎる。

悲しみを語らず、怒りも説明しない。ただ、“読ませること”に徹している。

それは、誰かに自分を理解してもらうための“文章”ではない。

“理解されたときに成立する構造物”──まるで、設計図だった。


──ならば、それに「感情を読み込んだ俺たち」は、

彼のトリックに“はまった”読者だったのかもしれない。


俺は、調書の末尾に目を落とす。


すべての論理が整っている。

証拠も、心理描写も、言葉の伏線も、分析は正しい。


──だが、この調書は、きっと裁判では採用されない。


証拠としては脆い。

動機の確定も状況証拠にとどまり、“文学的解釈”という曖昧さがつきまとう。

冷静に考えれば、この手記はただの自己申告であり、殺意の有無を決定づけるには弱すぎる。


だから、これは“証明”にはならない。


──けれど、それでも、書かねばならないと思った。


なぜか。

なぜ俺たちは、ここまで読んで、分析して、書き続けたのか。


その答えは、もしかしたら──

“彼の物語”ではなく、“彼女の人生”を物語にしないためだったのかもしれない。


俺たちが辿ってきたのは、遠野の手記を捜査して浮かび上がった「被害者」としての柚木遥の輪郭に過ぎない。


実家の家族旅行の写真やカフェでのバイト……

彼女自身の人生には、本当はもっと、いろんな色や匂いがあったのだろう。


ガスコンロの小鍋や冷蔵庫の卵パック……

そんな、ごくささいな明日への気配──


俺たちも彼女の本当の姿は分からない。


だからこそ、

理解という名の物語に変換され、“納得”の構造に組み込まれてはいけない。


「事件には、物語が生まれる。だが、死者には物語を与えるな」


その言葉を、昔、先輩に教わった。


これは“彼の物語”ではない。

彼女の人生の輪郭を、犯人の手から取り戻すための調書だ。


たとえ裁判で使えなくてもいい。

この記録が残ることが、彼女の“生”が物語に塗り潰されなかった証になる──


俺は、そう信じていた。

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